そういうわけで、《Allegoria della Primavera》やその翻訳が書籍の中で使われ出した時期が19世紀後半からだということが分かりました。19世紀前半は《プリマヴェーラ》についてはどの本もヴァザーリの文章からの引用だけが唯一の情報源でしたが、一方の《ウェヌスの誕生》の研究は一歩先んじており実際に絵を見て書かれた文章もありました。
今回は19世紀後半の表記について書いていこうと思います。
そのまえに、前回の補足になりますが、19世紀前半に《ウェヌスの誕生》とポリツィアーノの詩との関連を指摘している文章を見つけました。《プリマヴェーラ》の話題から外れますがちょっと書いておきます。
Storia della pittura italiana esposta coi monumenti, 第 3 巻
これは1841年に出版されたイタリアの絵画史について書かれた本です。この本の152ページに注釈として関連する情報が書かれています。アペレスに対抗してボッティチェリがこの絵を描いたことや、この絵がホメロス風讃歌第六章のアフロディテ(II)が元になっていること、そしてポリツィアーノが素晴らしい模倣を書いたとし、『ジョストラ』の100節と101節が引用されています。つまり、もうこの頃にはこちらの絵を理解するのに十分な情報がそろっていたわけです。
さて、《プリマヴェーラ》に戻ります。今回は《Allegory of Spring》のその後を考察してみます。
19世紀後半になると、数多くの本が検索に引っかかるようになります。特に英語の本が多くなっていきます。英語以外の重要な情報が電子化されていないのかもしれませんが、とにかくこの絵について語られる中心の言語が英語に移っていきます。フランス語やイタリア語でこの絵のことが語られるのはカタログの中のタイトル名がほとんどです。他のものがあったとしても、ヴァザーリの解説をシンプルにして短く辻褄が合うようにしたような解説になります。
ボッティチェリを世間に広めた立役者として有名なのが、イギリスのラスキンですが、彼の本もこの検索で出てきます。
Ariadne florentina: six lectures on wood and metal engraving given ..., 第 1〜6 巻
この本の中には《Allegory of Spring》という表記はみつかりませんが、ボッティチェリの名前が何度も出てきて、ヴァザーリの書いたボッティチェリの伝記の一部が英訳され引用されています。
この翻訳の引用元はどれかと調べてみると、1851年に出版された Mrs. Jonathan Foster による英訳だと分かりました。
Lives of the most eminent painters, sculptors, and architects
この英訳には、注釈のところに1849年の情報として現在の二つの作品の展示場所が書いてあり、どちらもウフィツィ美術館ということになっています。やはりこの注釈でもこの絵を名前で呼んでいません。このあと《プリマヴェーラ》がウフィツィ美術館からアカデミア美術館に移されて、遅くとも1854年にはカタログで《Allégorie du Printemps》と呼ばれるようになるのですが、その5年前の話です。
この英訳中の二つのヴィーナスが出てくる部分を引用します。
Of these there are still two examples at Castello, a villa of
the Duke Cosimo,-one representing the birth of Venus,
who is borne to earth by the Loves and Zephyrs; the second
also presenting the figure of Venus crowned with flowers
by the Graces: she is here intended to denote the Spring,
and the allegory is expressed by the painter with extraordinary
grace.
この部分の英訳は何種類か見たことがあるのですが、この訳は初めて見ました。言葉を細かく補ってわかりやすくしてあります。原文には allegory に相当する語がないのに書き足してあります。この絵がしっかり寓意画に分類されていたことを示す言葉だと思われます。これが情報源となり、直接見たことがない読者にそのことを広める言葉にもなったでしょう。
《春の寓意》という名前が付けられると、フランス語やイタリア語のカタログではその美術館での名前通りの表記がされます。しかし英語の場合は多少事情が違ってきます。そのまま《Allegory of Spring》という名前で書かれるものもありますが、他の名前でも書かれたものが見つかります。1867年に出版された旅行ガイド Handbook for travellers in central Italy [by O. Blewitt] のp181には次のように書かれています。
26. Sandro Botticelli, Spring, an allegorical subject.
1874年、1875年の版でも、作品の番号は違いますが、この表記です。翻訳の意味としては同じなんでしょうが、「Spring」と呼んでもいいような書き方をしてます。この旅行案内が勝手にこんな訳をしたのか、既にこの呼び名があったのかわかりませんが、こういう呼び方が既にこの時点であったという実例です。そしてこの言葉もこれを読んだ人々に広まったでしょう。前のMrs. Jonathan Foster によるヴァザーリの翻訳を見ると、「Allegory of Spring」と訳すよりも「Spring, an allegorical subject」と訳すほうがあっているように思えます。
この絵に対して《Spring》という表記をしている例を探してみると、John Addington Symonds が1877年に出版した本が見つかりました。
Renaissance in Italy, THE FINE ARTS
この本のp251に、ルクレティウスの『物の本質について』との関係を述べた文章があり、この絵を《Spring》と呼んでいます。斜体は原文のまま。
His painting of the Spring, suggested by a passage from Lucretius, is exquisitely poetic;
ボッティチェリについて語っている文章の中ですから、それと分かりさえすれば、美術館のガイドのように正確な名前で呼ぶ必要はないのでしょう。しっかりこのシンプルな名前で呼んでいます。なお、シモンズは『物の本質について』だけの関連をいっているわけではありません。彼の1881年の本 Renaissance in Italy: Italian literature, 第 4 巻 のp408には、ポリツィアーノの『ジョストラ』との関連について次のような注釈を自分自身で入れています。斜体は原文のまま。
the birth of Venus from the waves (i. 99-107) is a blending of Botticelli's Venus in the Uffizzi with his Primavera in the Belle Arti;
ここでは英語の「Spring」ではなくイタリア語の「Primavera」で呼んでいます。そういう呼び方も浸透していたのかもしれません。そうでなくても、シモンズの解説はこの絵のことを知りたい人たちにも読まれたでしょうから、こういう呼び名がそのまま使われていったでしょう。
1886年に出版されたラファエル前派のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作品集
The collected works of Dante Gabriel Rossetti, 第 1 巻 には、『FOR SPRING BY SANDRO BOTTICELLI.(In the Accademia of Florence.)』という名前のソネットが収められています。詩の内容からもこの絵の描写をうたったものであることが分かります。
このように、英語においては"allegory of”という言葉のない表現が、この絵をよく知る人たちの間で使われていました。
delle quali oggi ancora a Castello, luogo del Duca Cosimo <fuor> di Fiorenza, sono due quadri figurati, l'uno Venere che nasce, e quelle aure e venti che la fanno venire in terra con gli amori, e cosi un'altra Venere che le Grazie la fioriscono, dinotando la Primavera; le quali da lui con grazia si veggono espresse.
ヴァザーリの「dinotando la primavera」という表現で気がついたことを書いておきます。19世紀前半のこの原文の引用を見てみると、P を小文字で書いたものばかりが出てきます。気になったので、検索して確認してみると、1882年以前には一つもPが大文字のものがないことが分かります。「dinotando la Primavera」という表記が使われ始めるのは、1883年出版の解説書の中での引用が最初になります。
le Grazie などはいつの時代でも常に大文字で書かれていますが、これは神々を表す固有名詞だからです。そして、la Primavera という表記も、これが女神の名前だという認識があったから生まれたものではないかと思われます。既に英訳や、フランス語の解説では「dinotando la primavera」は女性についての説明と受け止められているのが分かりますから、その反映なのでしょう。それでも原典の表記を厳密に引用しようとする考えのほうが主流であることには変わりなく、二つの表記が混在していきます。
問題なのは、現在電子化されているヴァザーリのイタリア語の原典が、どのサイトでも「dinotando la Primavera」になってしまっていることです。これを見た人は間違いなく、昔から大文字だったと思いこむでしょう。誰かの引用で小文字になっているものを見つけても、そちらのほうが間違っていると思ってしまいます。この表記だと、春の女神「プリマヴェーラ」の存在は逆にヴァザーリの言葉から予感させられるものになってしまいます。性愛の神、優雅の神と、大文字で始まる他の単語が神を表すのに、「la Primavera」だけが女神を表していないと考えるのはかえって難しいでしょう。
本当に原典でも小文字だったのかというのははっきりとは分かりません。書籍検索で見つかる最古のヴァザーリのイタリア語の列伝は1759年に出版されたものです。そのため1550年の原典においても神々は大文字、春は小文字というふうにしっかり使い分けられたかどうかはわかりません。分からないのであるなら、百年以上ずっと一つの例外もなく小文字で出版し続けられたものを疑わしいとするよりも、明確な理由もなく大文字化されている方が疑わしいと考えるべきでしょう。少なくとも、この頭文字が大文字であることから、これが春の女神の存在を示しているとする考えは排除すべきです。
最後にまとめとして。いろいろ面白いものが見えてきました。なお、あくまでも電子化された資料から言えることですので、新たな情報で突き崩される可能性があります。
意外にも、イタリア語よりも先にフランス語の《Allégorie du Printemps》で呼ばれていました。時期はアカデミア美術館に移動されそこで管理されるようになる頃です。ただその頃のイタリア語版のカタログが見つからないだけなのかもしれません。これは当時この美術館が何語で管理を行っていたかが分かれば、どちらが本当に先かは確定できるでしょう。なおイタリア語の《Allegoria della Primavera》という名前が出てくるのは、偶然なのかイタリアが統一されてからになります。これらのことから、この名称は作品が作られたときではなく、アカデミア美術館に所蔵されたあとだと考えた方がいいでしょう。もちろん、アカデミア美術館に所蔵されるときに呼び名に困って本来の呼び名の研究がなされたと考えられなくもないですが、それは研究の痕跡を見つけて初めて言えることです。
とりあえず、統一的な呼び名が決まりました。そしてそれをそれぞれの国の言葉に訳して呼ぶようになりました。電子化された文書を眺めると特に英語でこの作品が語られることが多くなります。それらの書籍の中では、シンプルに《Spring》と呼ばれる実例が出てきて、それらの本を通じてさらにその呼び名が英語圏で広まっていったと考えられます。その後のことは分かりませんが、イタリアの作品なので次第にこの作品を示す言葉としてイタリア語の「la Pimavera」に置き換えられ、現在に至るのでしょう。
検索をしているうちに、過去にどんな解釈がされていたのかも知ることができました。また、これからは主要な説を整理してみたいと思います。
よく調べられてますね。
ヴァザーリの小文字には、とても感心致しました。
それはそうと、
絵がアカデミア美術館に移された以前には、
(電子化資料で)allegoriaの記載が見つからないから、
移設の際(1853年?)に題名が付けられたのでは、
という主旨のご意見のようですが。
私には、どーも納得いきません。
〈春〉がウフィツィに入った1815年当時、どう呼ばれていたのか、
ぜひ調べて頂きたいのですが…
allegoria della Primaveraからla Primaveraへの省略はあり得るとしても、
(ウフィツィが省略形を用いるようになったのは、ごく最近のことです)
逆は考え難いのでは。
だいいち、誰がどんな理由でallegoriaを付け加えたのか、
理解に苦しみます。
snowさん、コメントありがとうございます。
僕もその頃のことが知りたくて1815年以降の目録などを念入りに調べたのですが、分かりませんでした。1817年のウフィツィ美術館が出した本にある"la Venere con le Grazie"という呼び方や、ヴァザーリの英訳の注釈にある現在ウフィツィ美術館にあるという文に書いてある"The Venus crowned by the Graces"ぐらいしか見つかりませんでした。
最初にウフィツィ美術館に置かれていた時期は、ヴァザーリの文の簡略的な表現ですませていて、正式な名前が定められていなかったのではないかと思っています。
それから、抽象概念を擬人化した神話の神々が描かれているのですから、寓意画(Allegoria)と後世の人が呼び名を付けても問題ないと思います。そして La Primavera という呼び名でも Allegoria をわざわざタイトルに含めなくても寓意画は寓意画ですから。