《プリマヴェーラ》の右の二人を、右からゼピュロス、オウロラとする解釈について。
1873年に出版された「Walks in Florence, 第 2 巻 」という旅行ガイドがあります。著者はSusan Horner, Joanna B. Horner です。 美術館の作品についてカタログの展示番号を示しながら主要な作品を説明しています。これに《プリマヴェーラ》の解説も載っています。このときの作品の名前は「An Allegory of Spring」です。
p.354にある《プリマヴェーラ》の解説の一部:
In the midst of a grove, Spring is seen attired in a white garment, sprinkled over with bunches of flowers. She holds a bow in one hand, and raises her dress with the other to receive the flowers poured into it from the lips of a nymph, who flies from a genius of the wood. These two last figures resemble the Zephyrus and Aurora in the picture of Venus rising from the Sea. In the midst of the grove, Venus stands clothed in a white dress, over which is thrown a red mantle, lined with blue and gold. Botticelli has been more successful in producing his idea of beauty in the goddess than in Spring. She stands gracefully, with her head slightly bent; Cupid hovers above, and aims his arrow at the Graces, who dance in a circle, their hands entwined, whilst gazing at a youth wearing the cap of Mercury and gathering the roses above his head. The Graces are draped in white, and their movements appear slow and languid. The colour of this picture has been much damaged.
訳すとこうなります:
「木立の中央で、春は花束がちりばめられた豪華な白い衣装を着ているようです。彼女は片手で弓を持ち、ニンフの唇から流れ込んでくる花々を受け取るために、もう一方の手でドレスを持ち上げています。そのニンフは森の精から飛んで逃げています。この2つの像は「海からあがるウェヌス」(ウェヌスの誕生)のゼピュロスとオウロラに似ています。木立の中央で、ウェヌスは白いドレスを着て立ちます。そのドレスの上には、青と金の線の入った赤いマントルがかかっています。ボッティチェリは春に対してよりもこの女神に対してさらに美しさの思想を産み出すことに成功しています。彼女は優雅に立ち、わずかに頭を傾けています。クピドは上空に浮かび、三美神に矢の狙いを付けています。三美神たちは、メルクリウスの帽子をかぶっている頭上のバラを集めている若者を見つめながら、互いに手は絡め円になって踊っています。三美神は優雅なひだのある白い服を着ており、その動きはゆっくりと、物憂げに見えます。この絵の色はとても損傷を受けています。」
花柄の服の女性像は「春」、中央奥の女性はウェヌスです。ニンフと森の精は、ウェヌスの誕生からの類推でゼピュロスとアウロラということになっています。《ウェヌスの誕生》でもそう解釈されているのでしょう。空に浮かんでいるのはクピド、手を繋いで踊っているのが三美神、左端にいる若者はメルクリウスの帽子をかぶった若者という表現で断言を避けたような言い方になっています。その若者の目的はバラの花を集めていることになっています。
「holds a bow in one hand」というところが何か変ですね。別な解釈ができるのか辞書を引きまくりましたが、よくわかりませんでした。1877年版を見ると、そこはが「She holds one hand in her lap」となっています。これも絵にそぐわないちょっと変な描写ですね。1884年の版を見るとさらにいろいろ修正されています。
Walks in Florence and its environs
in the midst of a grove, Spring is seen attired in a white garment, sprinkled over with bunches of flowers. She gathers up her dress to receive the flowers poured into it from the lips of a nymph, who flies from a genius of the wood. In the midst of the grove, Venus is standing clothed in white, with a red mantle lined with blue and gold. Botticelli has been more successful in producing his idea of beauty in the Goddess than in the figure of Spring. Her attitude is graceful, her head slightly bent; Cupid hovers above, and aims his arrow at the Graces, who dance in a circle, their hands entwined, whilst Mercury with his caduceus shakes down roses. The Graces are draped in white, and their movements appear slow and languid. The colour of this picture has been much injured.
「木立の中央で、春は花束がちりばめられた豪華な白い衣装を着ているようです。彼女は、ニンフの唇から流れ込んでくる花々を受け取るために、ドレスをたぐり上げています。そのニンフは森の精から飛んで逃げています。木立の中央で、ウェヌスは白いドレスを着て立っています。そのドレスの上には、青と金の線の入った赤いマントルがかかっています。ボッティチェリは春の像に対してよりもこの女神に対してさらに美しさの思想を産み出すことに成功しています。彼女の態度は優雅で、わずかに頭を傾けています。クピドは上空に浮かび、三美神に矢の狙いを付けています。メルクリウスがカドゥケウスで頭上のバラを揺すって落としているとき、三美神たちは互いに手は絡め円になって踊っています。三美神は優雅なひだのある白い服を着ており、その動きはゆっくりと、物憂げに見えます。この絵の色はとても傷つけられています。」
特に変わったのは、森の精とニンフの二人が、ウェヌスの誕生からの類推でゼピュロスとオウロラだとする文がなくなりました。またメルクリウスの帽子をかぶった若者と紹介されていたのが、メルクリウスと特定された表現に変わりました。「the figure of Spring」という表現も変わりましたが、これは季節表現との混同を避けるためでしょう。
春は擬人化されたものとして解釈されていますが、はっきり女神とは呼ばれていません。これはラスキンの著作で引用されたヴァザーリの英訳からの流れで理解できるでしょう。同様にウェヌス、三美神は、ヴァザーリの指摘のまま特定されています。残りの像の特定が問題となります。クピドはその仕草から問題なく認識されています。二つの版を見比べると、残りの左の若者と右の二人に悩んでいる様子がうかがえます。この本では『ジョストラ』や『祭暦』などとの関係は指摘されていません。ニンフと森の精が誰であるのかは1884年の版では明確にされていませんし、推測されている1873年の版でも《ウェヌスの誕生》からの類推による指摘です。
この絵の二人を Zephyrus と Aurora とする説はこの本以前の出版物では見ることができませんでした。他に見られるのは、1886年に出版された本にある Dante Gabriel Rossetti の書いた FOR SPRING BY SANDRO BOTTICELLI という詩の中です。この詩にはいつ頃作られたのか書いてありませんが、彼は1828年生まれで1882年になくなっているので年代的にはどちらも先になりえます。
ここでちょっと、《ウェヌスの誕生》の解釈をしてみます。この本の1884年版には《ウェヌスの誕生》の解説もあります。
Walks in Florence and its environs
The goddess has newly risen from the sea, and stands on a shell; a nymph, typical of spring, prepares to throw a red mantle over her, whilst Zephyrus and Aurora waft her towards the shore.
訳すと:
「女神は初めて海から上がってきて、貝の上に立っています。春を表すニンフは、赤いマントルを彼女に掛けようと待ちかまえています。それと同時にゼピュロスとオウロラは岸に彼女を運んでいます。」
「typical of spring」は以前引用した1844年のフランス語の《ウェヌスの誕生》の解説文を踏まえてそうな修飾です。イタリア語からフランス語への誤訳がこの英語の文まで巡り巡ってきたとすると面白いですね。赤いマントルを着せようとしているのは絵の直接の描写ですが、人物の特定はあのフランス語の文章を使ったのかもしれません。そして空を飛ぶ翼を持った男女の像は、ゼピュロスとオウロラとなっています。
Aurora は ギリシア神話では Eos に対応します。
Eosの画像、参考ページ:
http://www.theoi.com/Gallery/T19.1.html
http://www.theoi.com/Gallery/T19.2.html
http://www.theoi.com/Gallery/T19.3.html
彼女は有翼の女神です。有翼であるという外観から、《ウェヌスの誕生》に出てくるにはぴったりですので、この解釈が生まれたのかもしれません。ギリシア神話の Eos は Zephyrus の母親ですが、ローマ神話の Aurora に関しては親子関係の設定は無いようです。
他の理由がないか書籍検索を続けてみると、ミルトンの詩『L'Allegro』があることがわかりました。ミルトンは1608生まれで1684年に亡くなったイギリスのとても有名な詩人です。叙事詩『失楽園』が代表作になっています。
L'Allegro
11行目から先をちょっと引用すると:
But com thou Goddes fair and free,
In Heav'n ycleap'd Euphrosyne,
And by men, heart-easing Mirth,
Whom lovely Venus at a birth
With two sister Graces more
To Ivy-crowned Bacchus bore;
Or whether (as som Sager sing)
The frolick Wind that breathes the Spring,
Zephir with Aurora playing,
As he met her once a Maying,
There on Beds of Violets blew,
And fresh-blown Roses washt in dew,
当たりみたいですね。それらしい単語が並んでいます。でも英詩の訳は難しいので、正確な内容は分かりません。「Venus at a birth」なんて、もろに《ヴィーナスの誕生》を連想します。バラまで出てきます。余計なバッカスもいますが。
《ウェヌスの誕生》を見たときはイギリス人はこの詩を連想せずにはいられなかったのかもしれません。そして空を飛んでいる二人が、Zephir と Aurora に見えたのでしょう。
つまり、《ウェヌスの誕生》についてのヴァザーリの解説を、ミルトンの L'Allegro の中で描かれる Zephir と Aurora の姿で補ったのが、この本の中で描かれる《ウェヌスの誕生》の解釈だと思われます。そしてこの二人から類推して、《プリマヴェーラ》の右側の二人も同じ二人だとしたものが、この本での《プリマヴェーラ》の解釈でしょう。
このミルトンの詩の和訳を読みたいのですが、簡単には手に入らないようです。将来読めたら、考えを修正しなくてはいけないかもしれません。
最後に念のために付け加えます。最初に思いついたのはこちらの方です。
もしかすると、この Aurora は Aura の間違いかもしれません。《ウェヌスの誕生》の現在の解釈の一つに、ゼピュロスと一緒に飛んでいる有翼の女性像は、Aura(そよ風)のニンフとするものがあります。これはポリツィアーノの『ジョストラ』第100節6行目にある季節女神ホーラたちの髪をなびかせるそよ風をボッティチェリが具象化したとする解釈です。彼女に翼があるという歴史的な記述は見つかりませんが、口から目に見える息を出し、風を起こしている描写には合致します。
1841年のPisaで出版されたイタリア語の本では、既に《ウェヌスの誕生》の絵とポリツィアーノの『ジョストラ』との関係が指摘されています。残念ながら、その本の中ではホーラとゼピュロスしか特定されていないのですが、1873年までに、このPisaの本の解釈を発展させて、有翼の女性がAuraとする説が出ていたとすれば、綴りがよく似ていて、さらに古代ギリシア時代から有翼として描写されているAuroraと間違えてしまったと考えることもできます。もちろんこの説を言うには、この間にAura説を記述した本を見つけなければならないでしょう。しかしこれは見つかりません。ミルトンの詩というはっきりとした理由があるので、言葉の間違いという理由ではないでしょう。