以前、オウィディウスの『祭暦』からの影響を書きましたが、今度は《プリマヴェーラ》におけるオウィディウス『変身物語』の影響を確認しておきます。
この影響についてはヴァールブルクがとても詳しくポリツィアーノの作品との関係を説明しています。一行一行オウィディウスの句とポリツィアーノの句を並記しています。ここで改めて引用することはしませんが、ヴァールブルグの主張をまとめると次のようになります。
《プリマヴェーラ》の右側の二人、ゼピュロスとフローラ(ヴァールブルクの説)の描写は、『変身物語』のダプネの追跡の箇所の影響が見られるとヴァールブルクは指摘します。またこの『変身物語』のダプネの場面は『変身物語』第2巻の最後で描写されるエウロペが連れ去られる箇所と合わさって、ポリツィアーノの『ジョストラ』第105節で描写されるエウロペの誘拐に模倣されていることも細かく引用し指摘します。さらに『ジョストラ』第109節はまさに逃げ続けるダプネに対しアポロンがかける言葉が詩となっています。このようなオウィディウス→ポリツィアーノ→ボッティチェリの関連を示し、ボッティチェリにとってポリツィアーノが学識の助言者であったと主張しています。
自分で『変身物語』を実際読んでみると、この絵のアモルの描写に関して影響を与えていると思われるところがありました。
原文はペルセウス・プロジェクトの P. Ovidius Naso, Metamorphoses で確認しました。1892年のものです。
ダプネの話が書かれているところの冒頭には次のような描写があります。(岩波文庫 中村喜也訳、以下同様)
このアポロンの最初の恋人は、河神ペネイオスの娘ダプネだった。そして、この恋を呼び覚ましたのは、あの盲目の「偶然」ではなく、クピードの残忍な怒りだった。
ラテン語の原文は第1巻452行目から:
Primus amor Phoebi Daphne Peneia, quem non fors ignara dedit, sed saeva Cupidinis ira.
盲目の偶然とクピドという言葉が一つの文の中に見えたので、訳しかたを工夫したら絵の中の構図にならないかと思いましたが、このままではそうはならないようです。
次の部分はいいかもしれません。クピドの矢の描写です。
一つは、恋心を逃げ去らせ、もうひとつは、それをかきたてる。この、かきたてるほうの矢は、金で作られていて、鋭い鏃がきらめいている。恋を去らせるほうは、なまくらで、軸の内側に鉛がはいっている。この、あとのほうの矢で、愛神クピードは、ペネイオスの娘を射た。いっぽう、もうひとつの矢でアポロンを射ると、それは、神の骨を貫いて、髄にまで達した。
この原文は第1巻470行目から:
Quod facit, auratum est et cuspide fulget acuta; quod fugat, obtusum est et habet sub harundine plumbum. Hoc deus in nympha Peneide fixit, at illo laesit Apollineas traiecta per ossa medullas.
クピドの二種類の矢の説明があります。黄金で、鋭くきらめく鏃(やじり)というのは、絵の中の描写に近いでしょう。また、アポロンに当たった場所の描写は、《プリマヴェーラ》の中でクピドが真ん中の女性像の首の骨を狙っている理由になると思います。
話はそれてしまいますが、この部分の英語訳を見てみていて面白いことに気づきました。1567年の Golding の訳を見ると:
That causeth love, is all of golde with point full sharpe and bright, That chaseth love is blunt, whose stele with leaden head is dight. The God this fired in the Nymph Peneis for the nones: The tother perst Apollos heart and overraft his bones.
英詩にするために過剰な訳っぽいです。どこが面白いかというと、最後の行の、矢が命中した場所です。古い英語過ぎて意味が分からない単語もありますが、その意味は日本語訳や元のラテン語から推測していいでしょう。問題は heart です。ラテン語の medullas には kernel 核心とか中心部という意味もありますから、heart という訳も間違いではありません。でも heart と訳してしまったら、それは心臓にしかみえなくなってしまいます。ということは、この英訳が、「ハートに矢を射る」という現代の我々が知っているキューピッド像に繋がっているのかもしれません。この誤訳がです。
ハートに矢を射る姿の由来は別にあるかもしれませんし、仮にこれが本当の由来だとしても、とてもわかりやすいところにあるので、きっとこの指摘は既に誰かがやっていることでしょう。これを調べるのも面白いでしょう。
最後に、あと一つ『変身物語』で指摘しておかなければならない箇所があります。これはヴァールブルクも引用していますが、春の女神に関連するところです。
以前、ホーラたちは三人組が標準だけれど、四人組でそれぞれ季節を表す流儀もあると書いて古い文書を引用して示したことがありましたが(春の女神「プリマヴェーラ」)、『変身物語』にも四人組のホーラの記述がありました。これはヴァールブルクが例の論文に「春」の特徴の部分だけ引用していたのですが、見落としていました。以前引用したノンノスは4世紀から5世紀に活躍した人なので、オウィディウスのほうが古いです。
第2巻冒頭近く:
左右には、「日」と「月」と「年」と「世紀」、それに、等しい間隔を置いて並んだ「時」たちが控えている。さみどりの「春」は、花の冠をいただいて立ち、衣を脱ぎ捨てた「夏」は麦の穂の輪飾りを付けている。「秋」は踏み砕いた葡萄の色に染まり、寒冷の「冬」は、白髪を逆立てている。
原文は、第2巻25行目から:
A dextra laevaque Dies et Mensis et Annus Saeculaque et positae spatiis aequalibus Horae Verque novum stabat cinctum florente corona, stabat nuda Aestas et spicea serta gerebat, stabat et Autumnus, calcatis sordidus uvis, et glacialis Hiems, canos hirsuta capillos.
話はまたそれてしまいますが、これで思い出すのが、以前トランプのことを調べているときに出てきたハンガリーカードです。上記の描写そのものではありませんが、女性たちが花、麦の穂、葡萄、白髪と、この描写を連想する図柄とともに描かれています。彼女たちも伝統的な四季のホーラの表現につながる女性たちでした。