前回、ボッティチェリが描いた三美神のそれぞれの名前を示しましたが、改めて考え直してみるとこの解釈に問題があることに気がつきました。三美神の左の女性像にある大きなブローチを無視してはいけませんね。「慎み」の女神としたこの女性が持っていることに疑問を持つべきでした。もう少しじっくり考え直してみます。
前回の三美神は左から「慎み」、「愛」、「美」であるとしました。三美神のそれぞれの女神にはいろいろな名前がありますが、この三つの名前はボッティチェリの描いた三美神の解釈としてよく使われるものです。この言葉は、15世紀後半に作られたジョヴァンナ・トルナブオーニ(Giovanna Tornabuoni)の肖像が描かれたメダルの裏に三美神とともにあります。下の画像はヴァールブルクの本にあるそのメダルの図です。よく見ると分かりますがメダルの縁に CASTITAS、PULCHRITUDO、AMOR と刻まれています。前回は、順序は無視したかたちで、この言葉を使って解釈しました。
これと同時期のメダルに、哲学者ピコ・デラ・ミランドラ(Pico della Mirandola)の横顔が描かれたものがあります。このメダルにも裏に同じような三美神が描かれています。図像は全く同じなのですが、銘文が「PULCHRITUDO AMOR VOLUPTAS」となっています。順番が変わり、「Castitas慎み」の代わりに「Voluptas喜び/快楽」が入っています。これらのメダルの銘文にはその由来となる書物の典拠がどこかにあるのでしょうが、今回はそこまで探しませんでした。当時そのようなメダルがあった事実だけで十分だと思います。
この三美神についての詳しい解説が知りたいときは、以前紹介したEdgar Windの『Pagan Mysteries in the Renaissance』を読むといいでしょう。また、日本語で読めるものとしては、高階秀爾氏の『ルネッサンスの光と闇』があります。この本はウィントの本を参考にしていますが、結論は独自な解釈を導いています。
余談ですが、先日NHKハイビジョンで見た15分の番組「額縁をくぐって物語の中へ 春 プリマヴェーラ」では三美神は Pulchritudo, Castitas, Voluptas とありました。ジョヴァンナ・トルナブオーニのメダルとピコ・デラ・ミランドラのメダルの銘文の折衷のような感じですが、これはウィントの本でのボッティチェリにおける三美神の解釈と同じものです。ただし日本語の意味は「美」、「貞節」、「愛」としてありました。最後のVoluptas には、喜び、快楽、性行為という意味はあるのですが、愛とは訳せないはずなので、ちょっとおかしいです。この番組は録画してあるので、内容については後日まとめるつもりです。
前回、鑑賞者に背中を向けている女性像を「Amor愛」としました。従来はその質素な姿から「Castitas慎み」とされている女神です。あえて「Castitas慎み」の女神に愛の矢を射ることがこの絵を劇的なものにしているのですが、ここに疑問を感じ、逆に彼女が Amor だからこそ、それを示すために Cupid(Amor) に射られるのではないかと考えました。あの矢はまさに矢印となって、彼女の名前を特定しているとしました。この解釈は今回も同じです。Pulchritudo-Amor-Voluptas にすると、単語の並びと同じ中央となります。
三美神の右側の女性を「美」とし、後ろの女神に祝福されていることをその根拠の一つとしました。これは今回も同じです。この中央の女神は、以前からの考察によりマイアであるとしています。前回は、マイアは美しいことが数少ない特徴である女神であることから、その女神に祝福されることで、彼女が「Pulchritudo美」を意味するとしていましが、この解釈は都合がよすぎます。マイアには、名前からも分かるように母の属性があります。ですから、右端の女性が母となることを暗示させることの仕草だとも解釈可能になってしまいます。そこで、pulchritudo という言葉を羅英辞書で念入りに確認してみました。この女性名詞は、beauty; attractiveness という意味があります。さらに、この単語の元になる形容詞の pulcher だと、beautiful, handsome; glorious; illustrious; noble とあります。この意味を見ると、「美」という漢字一字では表せない pulchritudo の意味が分かってきます。女神に祝福されていることも、以前より受け入れやすくなるように思います。美しい髪飾りと首飾りをつけ、さらに女神に祝福されていることが、「Pulchritudo」であることを表していると言えるでしょう。
前回メルクリウスに背中を向けている三美神の左端の女性像は「Castitas慎み」であるとしました。しかし今回はまるで逆の「Voluptas喜び」とします。彼女の髪の様子、姿勢、彼女の胸にある大きなブローチ、そういうものを見ると、「Castitas慎み」というよりもピコ・デラ・ミランドラのメダルの銘文の方の「Voluptas喜び」に思えてきました。これはウィントの解釈の影響です。なお高階氏はジョヴァンナ・トルナブオーニのメダルの「Amor愛」としています。前回は、一人だけメルクリウスを見ていないことを根拠にしましたが、今回はメルクリウスの一番そばに寄り添うようにいることが、彼女が「Voluptas喜び」であることの根拠とします。これで、三美神の特定が終わりました。
さて、ピコ・デラ・ミランドラのメダルの三美神とボッティチェリの三美神の違いは何でしょうか。まず並び方ですね。メダルでは三人が並んでいて、この絵では手を繋いで円になっています。もう一つの違いは中央の女性の顔の向きです。メダルは右を向いていますが、絵では左を向いています。これは並びが反転していることを示していると考えられます。つまり、Voluptas-Amor-Pulchritudo という並び順です。これはまさに今までの説明と整合します。前回は勝手に並び順を変えていましたが、並びも重要だったのが分かります。
以上のように、《プリマヴェーラ》の三美神の周りにいる神々が三美神のそれぞれを修飾する役目を果たしています。つまり、男性であるメルクリウスが「Volputa喜び」、愛の神クピドが「Amor愛」、女神マイアが「Pulchritudo美」と、その存在だけで説明しているわけです。
このメルクリウス、クピド、マイアの三神以外は『祭暦』の5月2日に記述されているフローラの物語に登場します。しかし、控えめな女神マイアと、メルクリウスは5月を司る神です。そしてクピドは5月の神ではないけれど愛が始まるところならどこにでも飛んで来る神です。したがって、この絵が愛のある5月の風景であるのですから、この三神はこの絵の中心にある物語を崩さずに当たり前のように存在することが許されます。このフローラの物語とは直接関係ないはずのこの三神は、この絵にとって決して部外者などではありません。それどころか、なくてはならないものとなっています。意味的にも、視覚的にもこの絵をいっそう深く華やかなものにしてくれています。
最後に。フローラの物語に出てくる神々がいるこの場所は、『祭暦』の記述通り花に満ちています。ここは、ポリツィアーノが描いた「ウェヌスの治国」ではなく、オウィディウスの描いた「フローラの庭園」です。そして、おそらく、花の都フィレンツェを表しています。
追記:
そして、画像に元になった言葉を載せてまとめてみました。
《プリマヴェーラ》の解答