このギリシャ語を絵に合うように訳してみます。
最初の文。
Ἔρως ποτ΄ ἐν ῥόδοισι κοιμωμένην μέλισσαν οὐκ εἶδεν, ἀλλ΄ ἐτρώθη τὸν δάκτυλον.
μέλισσαν (蜂)は動詞 εἶδον の目的語とします。この動詞の主語は Ἔρως とします。実際、兜をかぶったエロスは画面右端の蜂たちの動きは見えません。この絵の蜂たちはこの描写のためだけに描かれていると考えられます。動詞 κοιμάω の主語は書かれていませんが、このとき、ἐν ῥόδοισι というのを、バラ色の敷布の上と解釈すれば、この主語はアレスとなります。
問題は誰が指を怪我していかということです。絵に描かれている神々の指を丹念に見てみます。でも見つかりません。では足の指をどうでしょう。足の指を見せているのはアフロディーテだけです。彼女はこれ見よがしに左足の裸の甲を見せています。特に変わったところはない健康そうな足です。しかし、よく見ていくと、親指に黒い線で描かれた傷があります。一見、草のように見えてしまうので、気づきにくいかもしれませんが、傷を探そうとして眺めてみれば、これ以外に指の傷に見えるものはありません。つまり、怪我をしているのはアフロディーテとなります。アレスの右手の人差し指が何かを指し示しているような形だったのは、そういうことでした。誰がアフロディーテを傷つけたのか、その犯人探しもしなくてはいけませんが、とりあえずこの文章の訳は次のようになります。
ある日のこと、彼(アレス)がバラ色の敷布の上で休んでいて、エロスが蜂を見ていないとき、彼女(アフロディーテ)は指に怪我をしていました。
次の文章。
Πατάξας τὰς χεῖρας, ὠλόλυξε·
これは短い文章です。これは本来の訳とそれほど変えなくてもいいでしょう。叫んでいるので、これは右側のホラ貝を持ってるサテュロスの描写となります。ただ声ではなく、ホラ貝の音を使って、大きな音をたてるところが違ってきます。また、このこのサテュロスは、ダイモスとフォボスのどちらでしょうか。これは後から出てくる文章との兼ね合いですが、叫び声をあげているので、恐怖の神ダイモスとします。
彼(アレス)をやっつけようと、彼(ダイモス)は大きな音を鳴らした。
その次の文章。
δραμὼν δὲ καὶ πετασθεὶς πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρην, ὄλωλα, μῆτερ, εἶπεν, ὄλωλα,κἀποθνήσκω.
今度は真ん中で後ろを振り返っているサテュロスです。実は引用した文章の παταχθείς の活用がよく分からないので、異本で使われている πετασθεὶς (πέτομαι)を使って訳しました。前回も同様です。この意味は fly, dart, rush; escape となります。前回は飛んで、逃げ帰るという意味でしたが、今回は槍を持っている様子を描写しているので、突撃すると訳します。前回の意味では、移動の方向は、アフロディーテのところでしたが、今は槍の進む先に体が向かっています。そのため、顔を向けるている方向が、アフロディーテとなっていますが、これでも文章として成り立つでしょう。それから、怪我をしているのはエロスではなくアフロディテになるので、同じセリフでも意味が違ってきます。
さて、このサテュロスがフォボスかダイモスのどちらかという問題ですが、言葉としての意味はほとんど同じ意味ですが、神としての特徴を調べると、フォボスの方が混乱や敗走という特徴が加えられています。このことから、この絵では突撃する方向ではなく後ろに気持ちが向いてしまっているので、彼はフォボスだと考えます。結果として文の意味は次のようになります。
彼(フォボス)は走って突進しながら、アフロディーテの方を見て、「ケガしてるの、お母さん。ケガしてるの。死んじゃうの。」と言う。
次は、フォボスの質問への解答です。
Ὄφις μ΄ ἔτυψε μικρὸς, πτερωτὸς, ὃν καλοῦσι μέλισσαν οἱ γεωργοί.
ここは本来は、引き続きエロスの言葉ですが、傷つけられたのがアフロディーテなので、これはアフロディーテの台詞と考えます。アレスとアフロディーテの子供の中で、蛇と関係があるのは、『変身物語』で描かれているように将来蛇となる娘のハルモニアです。また、この絵の中で蛇のように腹這いになっているのは右下のサテュロスだけです。したがって、右下で鎧の中に入っているハルモニアが、この文章で描写されています。
形容詞 πτερωτὸς は通常「羽のある」と訳されます。この言葉に近い πτερόν という「羽」の意味の名詞があるのですが、この言葉には「予兆」という意味もあります。つまり、一般的な訳ではありませんが、この形容詞は「予兆のある」とも訳せます。腹這いになっていたり、舌を突き出しているように見えるのが、彼女が蛇となる予兆なのでしょう。
ここからがさらに見事な描写です。ふつう μέλισσαν は蜂を意味する名詞として扱われますが、これは動詞 μελίζω の分詞形と考えることができます。この動詞の意味は「体をバラバラにする」という意味です。おそらく頭・胸・腹がくっきり分かれるので蜂はこう呼ばれているのでしょう。さて、この絵の中でハルモニアがどう描かれていたかと言うと、鎧の頭の出るところから、頭と左手、そして腕が出てくるところから、右手が出ています。まさに、体がバラバラになっています。
そして、γεωργοί です。この絵には農夫がいませんが、心配ありません。今回は動詞として解釈します。絵をよく見ると、まさにハルモニアは左手で何か緑色の実を持って、右手で土を掘っているような仕草をしています。まとめると次のようになります。予兆に気づいているのはちょっとおかしいかもしれませんが。
小さな予兆のある蛇のような子(ハルモニア)が傷つけたのよ。体が別々になって(出てきて)いる子と彼(アレス)に呼ばれているわ。彼女は地面に何か植えているの。
最後も引き続き、アフロディテの台詞です。ただし、話しかけている相手はエロスに変わっています。
Ἡ δ΄ εἶπεν·
εἰ τὸ κέντρον πονεῖ τὸ τῆς μελίσσης, πόσον δοκεῖς πονοῦσιν, Ἔρως, ὅσους σὺ βάλλεις;
ここは、傷を受けたアフロディーテが話し手なので、本来の詩の意味と少しずつ変わってきます。名詞 κέντρον は蜂の針やその針による痛みの意味ですが、ここではアレスの左手の下にある鉄製の棒のことだと解釈します。これは何に使うものなのかはよく分かりませんが、家畜を追うときに使う棒などのことも、この言葉で呼ぶようです。この棒でいたずらをしてハルモニアはアフロディーテを傷つけてしまったのでしょう。そしておそらく、アレスに取り上げられ、アレスはそのまま寝てしまったのでしょう。彼女は罰として鎧の中に閉じ込められているとも考えられます。
彼女は言う。「体が別々のところから出てきているあの子の突き棒で、私は怪我をしたけれど、あなたはどれだけの人を傷つけたか考えてみなさい。エロス、あなたは槍を使ってどれくらい傷つけているの。」
以上のように訳せます。あとから修正しないといけないところもあるでしょうが、だいたい意味はあっていると思います。それにしても、見事な意味のずらしです。この詩からこの絵を作りだした知性は驚嘆すべきものです。
まとめは、次回。