ボッティチェリの神話画の独自の解釈をずっと書いてきましたが、以前書いたことの中でずっと引っかかっていたものがあります。それが今回のタイトルの「霧」です。《プリマヴェーラ》で左端のメルクリウスが頭上を見上げ、カドゥケウスでつつきながら覗きこんでいる、霧、霞(かすみ)、靄(もや)、雲などと呼ばれているもののことです。
これについては、いろいろ考えを述べてきましたが、今年の初めの頃の「「プリマヴェーラ」の解釈」において、『ホメロス風讃歌』のヘルメース讃歌の章で書かれているメルクリウスを形容する言葉、「νυκτὸς ὀπωπητῆρα, πυληδόκον 夜の見張り、戸口の番人」の前半の、形を変えた描写ではないかとしました。つまり、「夜」ではなく「暗闇」と解釈するならば、筋が通るのではないかと考えました。
この解釈はすっきりしないので、ずっと自分で気にはなっていましたが、他に何も思い浮かばないのでそのままにしていました。しかし今回ふと思いついて調べてみたら、はっきりした解釈を見つけました。これで決まりだと思います。
描写されていたのは、ヘルメース讃歌の語句「νυκτὸς ὀπωπητῆρα」で間違いなかったようです。この単語を Google Books にある 「ギリシャ語-イタリア語辞典」 で調べてみて分かりました。
調べてみると、νυκτὸς の基本形 νύξ の意味として、「notte; caligine, tenebre」が出てきました。一番最初の notte はもちろん、「夜」です。そしてその次の caligine の意味を手元の伊語辞典で調べてみると、「1.霧、濃霧、スモッグ、もや 2.《地域的》煤 3.《比喩的》やみ;混沌、意識もうろう」とあります。最後の tenebre は「闇」です。もちろん、厳密にはボッティチェッリの時代の辞書に書かれていることを示した方がいいのですが、それは無理というものです。この1846年の希伊辞典で十分だと思います。
これで、この絵のメルクリウスの姿が νυκτὸς ὀπωπητῆρα を描写していることがはっきりとしました。本来『ホメロス風讃歌』では「夜の見張り」と訳されるのですが、この絵の中ではわざと「霧の監視人」として描かれています。メルクリウスが監視しているとされる「νυκτὸς」を絵の中に用意するために、「霧」が描きこまれていたのです。本来の「夜」には形がありませんから、描くことのできる「霧」を使ったのでしょう。これがこの絵に霧が描かれている理由です。ボッティチェリは、どの神話にも記述されていない霧を見つめている姿を描くことで、彼が νυκτὸς ὀπωπητῆρα であること、つまり彼がまさにメルクリウスであると示していたのです。
ついでに、この希伊辞典で、以前《パレスとケンタウロス》の解釈で出てきた δαίς を調べてみると、予想通りイタリア語で banchetto という意味が書かれていました。並んでいる他の意味からして、この言葉は「宴会」の意味で置かれているのでしょうが、この単語そのものの意味から「小さな台」として描かれたのだと思います。
さあ、これでボッティチェリの神話画に描かれている意味不明な不思議な描写がほとんど説明できました。僕の解釈を短い言葉で表すと「言葉遊び」説ですね。それが見事に一貫しています。でもかえってその屈折した描写によって具体的にどの文章を典拠にしたのかを、はっきり示せるのですから、これらの描写はほんとに素晴らしいです。
ここまで調べたならば、これは本にしたほうがいいでしょう。答えを探しながら書いているので、頭から読んでもきっとよく分からないでしょうから。やっぱり、まとめる必要があります。それにラテン語や古典ギリシャ語の訳は見直すと恥ずかしものがあります。まだいくつか発見できるかもしれませんから、それも盛り込んで。