2006年09月17日

純情きらり 第24週

第24週「あなたがここにいる限り」

<一週間分、内容をまとめてみて、思ったこと>

達彦は桜子の支えで心を取り戻すことができたのだけど、それ以外の人物の役割もとても重要だった。

第23週では、戦友若山の姉の言葉は、達彦の心をえぐるような言葉であったに違いないが、達彦自身が自分で追い詰める言葉とは違い、大きなきっかけになっている。達彦本人との結びつきは無かったけれど、戦友との問題ではないかと達彦を訪ねて若山の姉のところへと導いてくれた義兄鈴村の力も忘れてはいけない。もちろん姉杏子が今まで以上に姉として桜子の心をずっと影から支えているということも。

マスター・ヒロはこの週はとても重要な役割を果たす。達彦は復員してからはじめて現れたというのに、カフェ・マルセイユにきてヒロに自分の気持ちを素直にいろいろしゃべっている。この場所とヒロの存在がそれだけで、達彦の心を癒していることを表している。またヒロから桜子への言葉も助けになっている。達彦がここに来たら楽になれるのではということも、ヒロと桜子の会話の中で、出てきたことだった。そして桜子が出演する演奏会へ柔らかに誘ってお膳立てをしてくれるのもヒロである。

そして冬吾。マロニエ荘の芸術家仲間である。戦友がたくさん死んだのに自分だけが幸せにはなれないという達彦の言葉を、言い訳だと一蹴する。また達彦が桜子に迷惑をかけたくないというと、いままで迷惑ばかりかけていたのにそんなこと言えた義理かとこれまた達彦の考えを批判する。昔から知っている冬吾だからこそそんなことが言えるのだけど、見ているだけでも優しい気持ちにさせてくれる冬吾のしゃべりかたや性格が、言葉だけで見るときびしい一言を使って、達彦の頑なな心をほぐしてくれている。

最後に、仙吉さん。桜子と赤いドレスを着ているかねの写真のわけを教えてくれる。達彦のいない間のかねと桜子の様子、桜子がピアノを弾いていた意味を伝えてくれる。子どもの頃から達彦を見守ってきた仙吉は、達彦の使用人というその分を越えはしないのだが、強く訴えるように、桜子のその当時の気持ちを達彦の心の底に届くように伝えてくれた。この仙吉さんの心を揺さぶる強い言葉が、ついに達彦の目を覚まさせ、演奏会場に走らせる。

単に桜子の力だけではなく、いままで達彦に関わってきた人たち一人一人が、達彦の快復を願い支えようとしている。そういう描写を積み重ね、丁寧に達彦が心を取り戻すことを描いている。

そして演奏会、輝くような桜子の演奏する姿。自分の知らない間に、自分が一人自分の苦しみの中にいる間に、夢を実現し羽ばたこうとしている桜子の姿を見て、達彦は涙する。ここに来たというだけでも、達彦が元の心を取り戻したということであり、桜子のその姿を見て涙を流せるということも、心を取り戻した証拠である。桜子が会場からの賞賛に応えて弾いていたこの曲は「埴生の宿(Home sweet home)」。これは幼いとき桜子の実の母が弾いてくれた思い出の曲、だから桜子の一番好きな曲、桜子が最初に弾いた曲、達彦の母と別れるときに好きな歌をと言われて歌った曲。そしてこの場を借りて達彦に送った曲。

桜子の腕を見込んだ熱心な誘いにものらず、桜子は達彦のそばにいたいと言う。これが今週のテーマ「あなたがここにいる限り」。

木曜日までの話で達彦は心を開き、桜子の思いを受け入れた。あの出征の頃の二人の関係に戻ることができた。ただここですんなり二人は結ばれない。桜子には冬吾とのことがある。何事もなかったように二人だけの思い出として桜子はあの心の動きを隠してしまうのかと思ったが、そうはならなかった。お互い静かに思い合っただけで何も起きなかったけれど、達彦のことを六年間思い続けることができなかった自分を正直に話す。走れメロスの最後の俺を殴れという正直な告白のように。Tは達彦だと嘘をつけば済んだかもしれない。でも桜子はそうしなかった。万が一、桜子と冬吾の間に出来事が起きていたならばと思うと、桜子も冬吾もよくぞ思いとどまってくれたと思うばかり。

仙吉は、桜子が山長でピアノを弾いていたのは達彦が生きていることを祈ってのことだと伝えたが、山長を出てからもそうだったわけではない。仙吉はその後の桜子には会っていないので、仙吉がそう思い、そう達彦に伝えたとしても仕方がない。現実の桜子はかねが死んでしまい、山長にもいられない状況になってしまったあと、達彦が生きていることを信じることができなくなってしまった。それは金曜日の桜子の告白からも分かるし、あの絶望した日々の描写からもわかる。

冬吾によって桜子は音楽への気持ちを思い出させてもらい、前を向けるようになったのだけれど、だからといって、消えてしまった心の中の達彦はよみがえらなかった。代わりに心の中を占めたのは冬吾。ここで物語的にも破綻しかねないぎりぎりの話になっていく。好みの問題だろうが、この展開はいい。六年間誘惑に負けず、達彦のことを思い続けたという理想の展開は望まない。それもここには誘惑はない。誘惑ではなくて、支えを失った自分自身が求めたものとして心変わりが描かれる。このとき桜子が冬吾と一緒にならなかったのは、笛子とかず子とトオルがいたからであって、達彦が生きているかもしれないと思っていたからではない。別の知らない女と結婚していた冬吾に支えられたのなら、こうはならなかっただろう。その時点で達彦への未練を完全に断ち切ってしまう。この冬吾への思いの葛藤の時期、達彦への思いを理由に自分を制する描写を強調して描いても良かったのにそれをしていなかったのは、明らかに心から達彦が消えていたことを伝えるためだろう。

桜子は冬吾への気持ちがあったことを達彦に告白するとき、それを片思いだったと最後に言う。二人はそれぞれで思い合っただけでそれ以上の何事もなかったのだから、そういう言い方でも間違いではないけれど、なんか違和感がある。桜子も冬吾のほうの気持ちも知っていたのだから、相思相愛と言えなくもない。告白の後、笛子は杏子に桜子の最後の発言は嘘だと批判を話す。片思いでもないし、気の迷いでもないし、抜き差しならないものがあったと言う。それはあの時期、有森家の一つ屋根の下で暮らしたときに両者の心を観察できる立場からの正しい見え方である。
ただ桜子も自分の心の動きを正直に話している。あのどん底だった桜子に会いに岡崎に来てくれたときの冬吾の優しさと厳しさは二人だけしか知らないものだ。あのとき心を支えてもらった事実が一連の感情の根底にある以上、それ抜きには桜子はこのことを語らないし、それを踏まえた桜子の感情からすれば、ここでの桜子の発言は嘘でも言い訳でもなく、全て正直な言葉になる。達彦に自分の心を語るこの場面では、冬吾と笛子夫婦が同席してもいなくても、あのとき冬吾がどう思っていたかは全く関係がない。冬吾を慕い、そして諦めたその事実は、あとほんの少しのきっかけで何かが起こってしまってもおかしくない状況だったにしても、桜子にとっては片思いに終わった恋としか言いようがない。


posted by takayan at 02:01 | Comment(1) | TrackBack(0) | 純情きらり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by アフィリエイトプログラムのご紹介 at 2006年09月17日 19:08
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