冒頭から細かく、調べていきましょう。
Εἲς Ἀφροδίτην
これはこの章のタイトルです。εἰς はここでは英語のinto、for、aboutなどの意味を持った前置詞で、後ろに対格をとります。確かに、後ろのἈφροδίτηνは対格の形をしています。これだけで「アフロディーテに」という意味になります。日本語訳では通常分かりやすく「アフロディーテ讃歌」と呼ばれています。
さて本文が始まります。
αἰδοίην, χρυσοστέφανον, καλὴν Ἀφροδίτην ᾁσομαι,
まず最初に形容詞が三つ連続します。どれも後ろのἈφροδίτηνと同じ対格をしていて、並列してこの語を修飾しているのが分かります。Ἀφροδίτηνが対格なのは、それがその後ろの動詞ᾁσομαιの目的語だからです。ᾁσομαιはἀείδωの一人称単数中動態直説法未来と考えます。意味は英語のpraiseで、「賞賛する、詩などで讃える」となり、讃歌の冒頭らしい言葉となります。この讃歌を謡う者本人が主語で、これからのことを表現しているため、時制が未来になっています。
では形容詞の意味を調べます。αἰδοῖοςは通常「尊敬すべき」という意味で訳されますが、この言葉にはもう一つの意味のグループとして「内気な、恥ずかしがり屋の」もあります。この意味を知ったとき、もしかするとこの文章もボッティチェリの絵に合わせた解釈ができるのではないかと思ったわけです。これは裸の彼女が手で体を隠している仕草を表している形容詞と言えるでしょう。
次の形容詞χρυσοστέφανοςは、二つの言葉χρυσός(黄金)とστέφανος(王冠、輪)の合成語です。通常はそのまま「黄金の冠をかぶった」と訳されます。しかし冠をかぶるという表現は、比喩的なものとして、頭の方を囲んでいるとか、飾っているという表現として考えることが可能です。つまりこの形容詞もこの絵に合わせて解釈すると「黄金で頭を囲んだ」つまり金髪の描写を表す言葉になります。
そして最後の、美しいという意味の形容詞καλόςですが、これはまさに魅力的な彼女自身の描写そのものとなります。
まとめると
「恥ずかしがり屋の、黄金の髪をした、美しいアフロディーテを讃えよう。」
という意味の文章になります。こうなるとボッティチェリの絵を表す文章の冒頭に相応しい始まりに思えます。
これから先の文章もこの絵の描写の元になる意味に解釈は可能なのでしょうか。
ἣ πάσης Κύπρου κρήδεμνα λέλογχεν εἰναλίης,
ἥはここでは、関係代名詞の主格女性単数となり、アフロディーテその人を表しています。これを主語とするこの節の動詞はλαγχάνωで、目的語はκρήδεμνονの対格となります。これにΚύπροςの属格がくっついて、残りは二つの形容詞πᾶςとἐνάλιοςのそれぞれの属格で、これらがΚύπροςを修飾しているという構造になります。
πᾶςとἐνάλιοςとΚύπροςの三つの単語で「完全に海に囲まれたキプロスの」となり、まとまってκρήδεμνονを修飾しています。この名詞はベールとか蓋とか胸壁とか、いろいろ意味があるのですがよく分かりません。仕方が無いので既存の訳を参考にして「城壁」、そしてそこに囲まれた町そのものを表しているとします。動詞λαγχάνωの意味もいろいろありますが、目的語が町となれば、「治める」がいいようです。
そうするとこの節全体は、「彼女は完全に海に囲まれたキプロスの城壁都市を治めている。」となります。従来の意味はこうなりますが、これを絵に合うように、うまく訳せないか考えてみます。
κρήδεμνονはイタリア語で意味を調べると、bastioneとなります。この説明をさらにイタリア語で調べると、土塁、土手、堤防の意味の言葉terrapienoが出てきます。土塁という言葉を知って、この言葉にぴったりなものが描かれていないかとボッティチェッリの絵を見てみると、アフロディーテとホーラの間にある海岸線の形に気がつきます。これは単に海岸線が入り組んでいるだけでなく、しっかりこんもりと盛り上がって描かれています。この描写は海に突き出した天然のbastioneを描いていると考えられます。
この海岸線に何かしているのは、アフロディーテではなく、ホーラの方です。本意ではないでしょうが、彼女はちょうどこの地形に対してローブを掛けるような仕草をしています。ここでまれな用法ですが、ἥを単なる指示代名詞とみなしてみます。アフロディーテではない女性名詞、つまりホーラがこの節の主語であると考えるわけです。
この行動に合うようなλαγχάνωの意味を調べてみると「守っている、保護している」という意味が見つかります。彼女がアフロディーテの体にローブを掛けようとしている姿は、それと同時に海辺のκρήδεμνονを守っている姿の描写となります。
この節をまとめると、
「彼女は海に接しているいくつもの土塁を保護しています。」
となります。地形をローブを掛けて保護するなんて変な訳ですが、でもまさにこの場面の描写としてはぴったりのものです。
冒頭の2行ちょっとを訳してみましたが、なんかいい感じで解釈できそうです。こんなふうにこの21行のアフロディーテ讃歌をボッティチェッリの絵に合った訳にできるかやってみます。
つづく