ようやく前半部分も見れて正直うれしいです。この絵について一般的な知識を得るにはこれでいいと思います。絵が発見された場所や、ボッティチェリの生家の跡など、関連するフィレンツェの場所を映像で示してもらえるだけでも、ためになります。見てて楽しかったです。でも本格的に謎が知りたいと思うと、やはりちょっと物足りなく感じます。
ここで以前書いた僕の独自の解釈を書いても面白くないので、そこまで踏み込まずに今回の解釈の問題点を少し考えてみます。
まず、日本では、この絵はどういうわけかロレンツォ・イル・マニフィコとボッティチェリィの関係で読み解こうとするものが多く見られます。この番組でもそうです。実際ロレンツォはボッティチェリのパトロンだったのですが、神話画に関してはもう一人のメディチ家のパトロン、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの関わりの方が重要だと考えられます。
この番組では、ボッティチェリと親しかったロレンツォ・イル・マニフィコとの関係を柱に読み解いていくために、余計な説は排除して語られています。番組内で、「春」と「パラスとケンタウロス」がロレンツォの親族の結婚式のために描かれたとありましたが、その親族こそがロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコその人です。
番組内では、依頼主が親族(ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ)だがロレンツォ・イル・マニフィコの意向でこれらの祝いの作品は作られたとなっていました。しかし、そのままロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ本人が内容も含めて依頼したとしても成り立つでしょう。
ただしその場合、結婚に際しての戒めというこの番組での解釈は諦めなくてはならないかもしれません。そうなると結婚式に合わせる必要もなくなってしまうかもしれません。しかしポリツィアーノが讃えていることからも、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコのラテン語やギリシア語に関する教養はそうとう高く、この難解な絵の内容を細部まで注文できる人物として十分候補となりえます。
同じ名前の二人は又従兄弟の間柄です。つまり「祖国の父」コジモ・イル・ヴェッキオの弟の家系がロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコとなります。メディチ家の歴史を調べると直ぐに分かることですが、ロレンツォ・イル・マニフィコとロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコは実際は仲がよくありませんでした。
13歳のときロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコは父を亡くし、14歳年上のロレンツォ・イル・マニフィコによって弟ジョバンニと共に養育されます。ロレンツォ・イル・マニフィコのもとで、フィチーノやポリツィアーノといった高名な人文学者を家庭教師にして学び、恵まれた教育を受けることができましたが、一方で彼のもとにいることで、財産の面で不利益もこうむりました。
彼らが成人するまで管理すべき財産をロレンツォ・イル・マニフィコが使い込んでしまい、それを取り戻すために裁判沙汰にまでなりました。1492年にロレンツォ・イル・マニフィコが亡くなるとその溝は決定的になり、ロレンツォ・イル・マニフィコの後を継いだ息子のピエロと対立し、1494年には兄弟はフィレンツェを追放されてしまいます。
しかしその年フランス軍がフィレンツェに侵攻してくると立場が逆転します。フランス軍との対応を誤ったメディチ家は民衆たちから非難を浴び、ピエロは兄弟たちとともにフィレンツェから追放されます。共和国体制となったフィレンツェに戻ったロレンツォとジョヴァンニは、民衆たちの側に立ち、ポポラーノのという名字で呼ばれるようになります。そしてフィレンツェで台頭してきたサヴォナローラを支援するのです。
この番組ではメディチ家の邸宅にあったために神話画が難を逃れたと言っていますが、この事実を踏まえると、印象が変わってきます。メディチ家が追放されたのに無事だったのはポポラーノ側にあったことを示しているのでしょう。しかし疑問が残ります。サヴォナローラを支援しているポポラーノ自身が異教的な絵画を捨てなかったことです。支援はしても、信仰までは深く影響は受けていなかったからと言えばそれまでですが。
そして番組ではサヴォナローラの死に抗議して「誹謗」を描いたとしていますが、この絵には裸婦像が描かれていたり、彫刻の中にある神話の描写などから、サヴォナローラへの狂信以前でないと辻褄が合わなくなります。自分の絵を焼いてしまうほど彼に心酔していたのならば、彼の死を抗議する作品でこういう描写は描けないでしょう。「誹謗」を描いた理由は単に、アルベルティの「絵画論」に素晴らしい作品だと書いてあったからという理由で十分ですよね。
次は三美神の名前についての諸説について。
この番組では三美神の解釈は諸説あるとしながらも、それぞれが左から愛、純潔、美としていました。三美神についての詳しい研究が書かれているWind(ウィント)の本では、ルネサンス期の三美神の名前として次のパターンが示されています。
Voluptas - Amor - Pulchritudo
Voluptas - Caritas - Pulchritudo
Amor - Caritas - Pulchritudo
つまり、今回紹介されたパターンは、Amor - Caritas - Pulchritudo となります。この組み合わせの意味は、高階秀彌氏の「ルネッサンスの光と闇」に詳しく述べられています。海外の資料でこの配列を調べると、「春」の三美神を特定としたものではありませんが、ヴァールブルグの本にこの言葉が刻まれたメダルが紹介されています。なお、ウィントの説は、Volputas - Caritas – Pulchritudo です。詳しくは、彼の「ルネサンスの異教秘儀」で述べられています。なお、前回 Voluptas の意味として愛欲という言葉を使いましたが、これは間違いでした。「喜び、官能、快楽」の方が相応しいです。
最後に1つ。この番組とは関係ないのですが、前から気になっていたのですが、ウィキペディアの「プロマヴェーラ」の記事に、この絵の所有者について次の文があります。
しかしながら、1975年に再発見された1499年当時の財産目録には、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコと彼の弟のジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノの資産が記録されており、以前には『プリマヴェーラ』がフィレンツェの大邸宅に飾られていたことが明記されている。その後でこの作品はロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの私室への待合室に飾られたのであり、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが最初の所有者ではないことが判明した。
と書いてありますが、この財産目録は、1499年当時、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ所有のラルガ通りにある邸宅に絵があったことを示した資料で、この資料で別の所有者の存在を語っていなかったはずです。以前紹介したブレデカンプの本などでも、この財産目録については触れていますが、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが本来の所有者であることを示す根拠として使われています。Wikipedia のこの記事の記述は出典がはっきりしていないので、どのような解釈で別の所有者の話が出てきたのか確かめようがありません。
「春」は弟ジュリアーノとピオンビーノのセミラミーデ・アッピアーニとの婚礼の祝賀品として用意しましたが、ジュリアーノがパッツイ家に暗殺されてしまったので、代役としてセミラミーデと結婚したピエルフランチェスコが絵をもらったという訳です。
ピオンビーノは要衝の港であり、また、イタリア唯一の鉄鉱石を産するエルバ島を抱えています。フィレンツェの安全保障の上、どうしても同盟を結びたかったようです。また、マニフィコは同時に、鉄鉱石の専売の権利も手に入れています。
安全保障と繁栄・・・これはこの政略結婚の目的ですが、実は、この絵に隠された願いでもあります。
絵には、愛と美のヴィーナスの永遠の治国の様子が描かれていますが、ロレンツォの願いは”メディチ家の永遠の治国”です。
「春」の画面中央に地上のヴィーナスが佇んでいますが、その背景は祭壇のように半円形にヴィーナスの神木ミルテが茂っています。
その枝葉の隙間から空が見えますが、そのかたちは、O,C,L,Tに見えませんか。イタリア語のOccultoです。オカルト宣言をヴィーナスがしているんですね(笑)。
私の電子書籍、”隠された歌は真実を告げる”第3巻に詳しく書いてありますので、もしご興味があればどうぞ。
「ヴィーナス誕生」と「春」は、対になった占星術の護符です。「ヴィーナス誕生」のほうは、息子のピエロの結婚の祝賀品。込められた願いはメディチ家からの教皇輩出です。
実は私も数年前から、この2作品に興味を持ち、多少の調査をいたしました。
現在、考えていることを少々コメントいたしました。
この前文を後から書き足したのですが、反映されていないようですので、改めて記しました。
失礼いたしました。
この絵について調べるのは面白いですね。
いろいろな考え方をすることで答えが分かっていくのだと思います。、