ラテン語が分からない人には、何が何だか分からないでしょう。ただこのくらい難しくないと、1895年に再発見されて以来、そしておそらく描かれた当時から、誰にも解けないことにはならないと思います。
今回は次の7行です。アクタイオンによる仲間たちへの呼びかけが6行と、それを聞いて仲間たちがとった行動の記述1行です。最後の1行は次回に回せばいいように思いますが、前の行を踏まえないと成り立たない表現なので、ここに含めています。
lina madent, comites, ferrumque cruore ferarum,
fortunaeque dies habuit satis; altera lucem
cum croceis invecta rotis Aurora reducet,
propositum repetemus opus: nunc Phoebus utraque
distat idem meta finditque vaporibus arva.
sistite opus praesens nodosaque tollite lina!
iussa viri faciunt intermittuntque laborem.
丁寧に解釈していきます。
lina madent, comites, ferrumque cruore ferarum,
linaは中性名詞linumの複数の主格/呼格/対格。意味はイタリア語でlino(亜麻、麻、リンネル)、そしてそれらを材料に作った、布、服、紐、糸、帆、網など、さらに材料が違う場合も含みます。それにしても、この絵にそんなものあったでしょうか。すぐに気付くのが、彼の右手にある弓の弦です。spago(紐)もlinumの意味の一つです。麻製かどうか分かりませんが、撚りが荒く描いてあります。しかし、これだと複数形にはなりません。他に何かないといけません。詳しく見ていくと、ケンタウロスが背負っている矢筒が麻袋のように見えます。彼の体毛と区別が付かない紛らわしい色をしていますが、よく見ると確かに彼の毛とは区別されて描かれています。これで複数形という条件に合います。
次のmadentは動詞madeoの三人称複数現在です。この意味はちょっと面白くて、esser baganato(濡れている、水に浸かっている)、esser molle(柔らかい、湿っている、曲がりくねっている)というのがあります。どうやら素直にlinaが主語でいいようです。弦は濡れてはいないようです。曲がりくねっているのは弓の部分ですが、まっすぐのはずの弦も微妙に曲がっています。これも一見分かりにくいのですが、右腕の内側に当たって曲がっています。もう一方の麻袋は盛大に曲がりくねっています。柔らかさもあります。さらに、これは水面に接して描かれているので、濡れているとも言えます。
そのあとのcomitesは名詞comesの複数の主格/呼格/対格ですが、ここでは呼格として考えた方がいいでしょう。意味は、compagno、accompagnatore(仲間、連れ、相棒、同行者)です。これは主語の弓と矢筒のことでしょう。それらの愛着のある武器に対して、「相棒たちよ!」と呼んでいるとします。もしかするとアクタイオンが愛用していた道具かもしれません。
次のferrumqueですが、中性名詞ferrumの単数の主格/呼格/対格です。意味はferro(鉄)、そしてそこから派生した、剣や武器、棒状の物、矢などです。実はこれもこの文の主語になります。これにはsaetta(矢)という意味もありますが、ここには複数描かれているのではこれではいけません。となると、弓です。ferrumには当然鉄の物という意味もありますから、この弓は鉄製かもしれません。弓の黒い部分は光沢もあってそれらしく見えます。しかしそうでなくてもarmi(武器)の意味でも成り立ちます。動詞madentの意味molleは、先ほど指摘したように、曲がりくねっているという意味を使います。
さて、残りの二つの単語です。ここがちょっと多く言葉を要します。cruoreは男性名詞cruorの単数奪格です。意味はsangue(血)です。ferarumは女性名詞feraの複数属格で、意味はbestia selvaggia(野獣)です。本来は「野獣たちの血によって」と解釈するのですが、ここには血を流している野獣は一匹も描かれてはいません。しかし発想を変えるとこの絵には血のようなものが描かれているのに気付きます。まさに主語の矢筒のところです。右肩にかけられた矢筒をぶら下げている細い帯は赤い色をしています。それが左肘と背中から勢いよく流れているかのように描かれています。ただしcruoreは単数なのに、2本の血が噴き出している描写はおかしいように見えますが、これは元々矢筒をぶら下げる一本の帯なので、単数形で表現しても問題ありません。問題は、複数形のferarumです。ケンタウロスの体は一つなので解釈を工夫しないといけません。赤い帯の前に見える部分はさかのぼっていくとケンタウロスの野蛮な髭から出ています。後ろからの部分はケンタウロスの裸の背中から出ています。したがって、この二つの単語の解釈は「複数の野性的なもの(野蛮な髭と自然のままの背中)の血の流れ(のようなもの)のところで」となります。このとき奪格は場所を表しているとします。矢筒はまさにこの血の色の物にぶら下げられていますし、弓は右肩のところでこの赤い帯に接近しています。
まとめると、「複数の野性的なもの(野蛮な髭と自然のままの背中)の血の流れ(のようなもの)のところにある、相棒たちよ!紐(弦)と袋(矢筒)そして武器(弓)は曲がりくねったり、水に浸かったりしている。」となります。
fortunaeque dies habuit satis;
fortunaeは女性名詞fortunaの複数の主格/呼格か、単数の与格/属格です。普通は「運命」ですが、以前も出てきたように「嵐」と解釈します。diesは名詞diesの単数の主格か複数の主格/対格で普通は「日」ですが、これも以前出てきた「気候」とします。fortunaeは単数属格、diesは単数主格か対格として、二つを結びつけ、「嵐の気候が」もしくは「嵐の気候を」となります。
habuitは動詞habeoの三人称単数完了で、一般的な意味はavere(持つ)です。主語は「嵐の気候」の可能性がありますが、これだとちょっとうまくいかないので、主語とhabeoの意味の解釈は保留します。次のsatisは本来は形容詞satisで、意味はsufficiente(十分な)と解釈しますが、ここでは動詞seroの完了分詞の複数の与格か奪格と考えます。動詞seroの意味はというと、seminare(種をまく)、piantare(植える)ですので、satisは形容詞として「植えられた」もしくは名詞として「植えられたもの」と解釈できます。これが奪格なのか与格のかはまだ分かりません。
訳が出そろったので、主語を決めます。嵐の気候が描かれているのは、中央にある山が描かれている空間と、女神がまとっている緑色の布のところです。この緑の布の裏から伸びて巻き付ている大きなツルがあります。これがsatis(植えられたもの)と考えられます。しかしこれ一本だけだと複数にはなりません。しかし、よく見てみると、お腹の方から別の奇妙なツルが下りてきています。これでsatisのこの絵での意味が分かりました。嵐はこのツルのところに描かれているので、奪格の処格用法が使われていると考えられます。そうすると、habeoは「彼女は身につけている」と考えればいいでしょう。もちろん主語の女神は省略されているとします。
まとめると、「彼女(女神)は、複数の植えられたもののところで、嵐の気候をまとっています。」となります。
altera lucem cum croceis invecta rotis Aurora reducet, propositum repetemus opus:
この文章は本来の構造からして複雑です。altera invecta Auroraが単数女性の主格/呼格/奪格のまとまりになっていますが、これが主語となる句です。alteraは「もう一つの、別の」で、Auroraは「女神アウロラ、夜明け、もしくはその光、曙光」です。invectaは動詞inveho(運ぶ)の受動分詞で「運ばれている」つまり「乗っている」となります。invectaを囲むように配されているcroceis rotisは複数女性の与格/奪格のまとまりで「サフラン色の複数の輪」となります。サフランの色は、赤色、黄色、そして金色の場合がありますが、炎を表現する赤、光を表現する金どちらでもこの場面ではふさわしいですが、ここではとりあえず金色とします。つまり「黄金の車輪」を表します。invectaは受動分詞なので、この両脇の奪格crocis rotisがこの動詞の意味上の主語となりくっついているわけです。
cumは時を表す副詞か接続詞、奪格支配の前置詞です。前置詞とする解釈もできなくはないのですが、この節を副詞節とするための接続詞と考えた方がいいようです。lucemは名詞lux(光)の女性単数対格です。最後にあるreducetが動詞reducoの三人称単数未来で、reducoの意味は元の状態にすることを表す言葉です。動詞が未来形なので、文脈から主語の「別の夜明け」は「明日の夜明け」のことだと分かります。まとめると本来の意味は、「黄金の車輪に乗った明日のアウロラ(夜明け)が光を再び導いたときに、」となります。つまり「明日、」です。
主節propositum repetemus opusは三つの単語からなります。opusは中性名詞opus(仕事)の単数で主格/呼格/対格の可能性があります。propositumは動詞propono(示す)の完了分詞の複数属格か男性単数対格、中性単数の主格/呼格/対格の可能性がありますが、opusを修飾していると考えて、性数格はこれに一致します。repetemusは動詞repeto(繰り返す)の1人称複数の現在か未来です。副詞節が未来だったので、これも現在ではなく未来になります。まとめると、「(明日)、示していた仕事(狩り)を繰り返そう」となります。
以上の構造を踏まえて、この絵に相応しい意味を考えてみます。やはり、一番分かりやすいのはcroceis rotisです。この句がまさにこの絵の中で女神が指輪のちりばめられた服を着ている根拠となるでしょう。invehoの別の意味を調べてみると、apportare(引き起こす)があります。つまり、croceis invecta rotisは「複数の黄金の輪によって引き起こされた」と解釈できます。これが主語auroraを修飾しているわけです。
そう思ってこの絵を眺めると、女神の周りに淡い光が漂っているのが分かります。特に足の左右にある白い服の襞です。足の上に掛かっている部分は光の色か透けて見える肌の色か判別が難しいのですが、その横の服だけが描かれている部分では明らかに服が光を帯びています。夜明け直前のような淡い光です。auroraは「夜明け」だけでなく、その光「曙光」も表すので、これでいいでしょう。当然この光は夜明けの光そのものではなく別の光なので、この描写にaltera(別の)も表現されています。lucemの意味がluce(光)だと、曙光と意味が重なってしまうので、splendore(輝き)の意味とします。reducoはこれも「再び導く」でいいでしょう。動詞が未来形なので、将来そうなっていこうとする予兆が描かれていると考えれば、あまりよく分かりにくい光の表現も納得できると思います。
次に、propositum repetemus opusです。propositum opusは「先に提示したもの」というわけですが、この絵だと、指輪のことだと考えるとうまくいきます。前の文に出てきたのは複数の指輪ですが、これは服に付いている指輪全体のことです。そしてそれを三つや四つからなるかたまりが構成しています。この三つもしくは四つの指輪を繰り返して並べた図形のことを、この文が表していると考えます。繰り返すという表現は、服に同じ模様を散らばらせる行為よりも、規則的に並べる行為を表していると考えたほうがいいでしょう。ところでこの動詞は本来の訳では未来形ですが、さっき述べたとおり現在形でも解釈できます。図形は既にたくさん描かれているので、これは現在時制でしょう。それからこの文は1人称複数ですが、主語は絵を描いた本人ボッティチェリと絵の内容を細かく考えた人物のこととします。
しかし、二つ目の節を現在を表す短文にしてしまうと、前の文を副詞節にしているcumの解釈も変えなくてはいけなくなります。cumを奪格支配の前置詞とすると、cum croceis invecta rotisがひとまとまりになります。「黄金の指輪に引き起こされたものを伴った」と解釈できます。主語はaltera Auroraだけになって「別の夜明けが」となります。修正はこれだけで、あとはさっきと同じです。
まとめると、「複数の黄金の指輪に引き起こされたものを伴った別の夜明けが輝きを再び導くだろう。私たちは先に示したもの(黄金の指輪)を繰り返す。」となります。
nunc Phoebus utraque distat idem meta
本来の解釈は次の通りです。nuncは副詞で「現在」という意味です。Phoebusは太陽神としてのアポロンの別名です。これは男性名詞単数の主格でこの文の主語になっています。utraque distat idem metaは数行前に出たmeta distabat utraqueに近い表現です。distatがこの文の動詞で、disto(離れている)の三人称単数現在、utraqueは代名詞uterque(それぞれ)の女性単数の主格/呼格/奪格か中性複数の主格/呼格/対格のどれかで、metaは女性名詞単数の主格/呼格/奪格です。uterqueはmetaを修飾していると考えます。このmetaの意味が特別で、日の出日の入りのそれぞれの地点となります。idemは「同じ」の意味の代名詞ですが、ここでは動詞distatを修飾する副詞として使われています。まとめると、「いまや太陽神は東西から同じように離れている。」となっています。太陽が一番高いところにあるということです。
この文章を別の意味で考えていきます。まずPhoebusという固有名詞が難敵です。Phoebusが表すアポロンというのはアルテミス(ディアナ)の双子の神で、月の女神としてのアルテミスにはこれによく似たPhoebeという別名があります。最初ここから攻めてみましたが、徒労に終わりました。次に語源を考えてみました。Phoebusは古典ギリシャ語Φοῖβοςに由来します。さらにこの固有名詞は形容詞φοῖβοςに由来します。これを調べると、luminoso(明るい、光を発する)、splendente(光り輝く、輝かしい)の意味があります。確かに、光を発する者だから、太陽神です。では、この絵の中で光を発するものはというと、いろいろあります。金の指輪を服にちりばめた女神もそうですが、その一つ一つの指輪だってそうです。以前解釈したようにケンタウロスの下にある金色の草も、「光を発するもの」と呼べるでしょう。これだけではまだどれか確定できません。
utraqueとmetaは前回の解釈と同じように、仮に陰嚢と円錐にしてみます。しかし今回は順番が違います。queが付いている単語はその前にある単語と結びつくので、metaではなくPhoebusと一緒にならなくてはなりません。つまり、Phoebus utraqueがひとまとまりになり、主語になります。しかしそうなると問題が発生します。動詞distatは三人称単数なので、主語と動詞の文法的数が合わなくなってしまいます。したがってutraqueは陰嚢ではなく、本来通りmetaを修飾する形容詞としたほうがいいでしょう。
ではmetaがcono(円錐)だとすると、複数の円錐が描かれていなくてはいけません。しかしよく探してみましたが見つかりません。違う意味を探すと、metaには他にpiramide、paracarro、colonnettaなどがあります。その中のpiramideならば、この絵にはいくつでも描かれています。指輪に飾られている宝石がまさにpiramide(角錐)です。そうすると、phoebusは金の指輪になります。つまり宝石の部分がどれも一番外側にある配置がこの文に対応する描写となります。三つの指輪からなる図形も、四つの指輪からなる図形も、この規則で並んでいます。
まとめると、「輝くもの(指輪)がそれぞれの角錐(宝石)から同じように離れている。」となります。
finditque vaporibus arva.
queは前の文とつなげる接続詞です。finditは動詞findo(分ける)の三人称単数現在、vaporibusは男性名詞vapor(蒸気、熱気、熱)の複数の与格か奪格、arvaは中性名詞arvum(平野、牧草地)の複数の主格/呼格/対格です。この部分の本来の意味は「平野が熱によって裂けている。」となります。つまり太陽が真上から照り付けて、暑さで地面がひび割れているという状況を表しています。もちろんこの様子はこの絵には見つかりません。
そこで違う意味を調べます。イタリア語のvaporeには、複数で用いて、薄い霧や靄(もや)という意味があります。それを踏まえて絵の中を探すと、ケンタウロスと女神の間の空が下が白く上が青く分かれている部分が見つかります。このあたりにこの文の表現がないか考えてみます。この右横にある女神がまとっている緑の布は、草原と呼べるかもしれません。緑色をしています。蔓草も生えています。そして、ちょうど霧のある部分の横に、裂け目と呼べるものがあります。vaporは場所を表す奪格とすればいいでしょう。
まとめると、「そして薄い霧のところで草原(緑の布)が裂けている(ようにみえる)。」となります。
sistite opus praesens nodosaque tollite lina!
アクタイオンの台詞の最後の部分です。この本来の意味は次の通りです。sistiteは動詞sisto(やめる)の二人称複数の命令法現在です。opusは中性名詞opus(仕事)の単数対格で、praesensはその名詞を修飾する形容詞praesens(今の)の単数対格です。nodosaque tollite linaがもう一つの文で、queで前の文に連結しています。この文の動詞はtolliteで、動詞tollo(持ち上げる)の二人称複数の命令法現在です。linaは中性名詞linum(麻、糸、網)の複数対格、そしてnodosaはlinaを修飾する形容詞です。nodosaは形容詞nodosus(たくさんの結びのある)の中性複数対格です。意味は「今の仕事を止めて、結び目の多い網を取り外そう!」となります。
もちろんこの通りの様子はこの絵の中には描かれていません。しかし、このラテン語の通りの記述はこの絵の中に見つけることができます。二つの文のうち後の方を調べていて、どこの描写かわかりました。linumにはvela(帆)という意味があります。帆と言えば、ケンタウロスと女神の間に浮かんでいる船です。以前アルゴ船と間違えてしまった船です。小さく描かれていますが、この船は帆船です。nodosusはimbrogliatoとします。imbrogliatoの意味には「欺かれた、込み入った、もつれた」があります。よく見ると帆の片側では向こう側の景色が見えています。理由は分かりませんが、帆が片側によっているのでしょうか。したがってnodosus linumを「込み入った帆」と解釈します。
しかしこれでは単数にしかなりません。そこで、もう一つのlinaを探します。すると舳先の人影の仕草が奇妙に見えてきます。彼は二又の棒を持って、向こう岸の線を持ち上げようとしています。この描写を表すためには、linumの意味をfune(大綱)とします。nodosusの意味をimbrogliatoの「欺かれた」とします。この線は見ている者全てを欺こうとしています。したがって、もう一つのnodosus linumは「欺かれた大綱」とします。tolloの意味は帆に対しても、大綱に対しても、「上げる」でいいでしょう。解釈は「込み入った帆と欺かれた大綱をあげなさい!」となります。
今度は前の文です。動詞sistoには、innalzare(上昇させる、掲げる)という意味もあります。名詞opusの意味はstrumento(道具)を使います。praesensはefficare(有効な)とします。すると、sistite opus praesensは「有効な道具を掲げなさい!」となります。これは舳先の人影が持ち上げている二又の棒のことです。単数なので、道具はこれ一つで問題ありません。ところで、向こう岸の線をどうして舳先の人物は持ち上げているのでしょうか。思いつく答えとして、彼らはこの線が帆を完全に揚げるのを邪魔していると考えているのではないでしょうか。したがって、この道具を使って大綱を上にあげれば、帆の右側から邪魔なものがなくなり、帆はあがった状態と区別がつかなくなります。つまり、この道具一つによって帆を上げることができると考えているのでしょう。
したがって、「有効な道具を掲げなさい、そうして欺かれた大綱を持ち上げ、込み入った帆をあげなさい!」となります。
iussa viri faciunt intermittuntque laborem.
この文の本来の意味は、上記のアクタイオンの昼になったので今日の狩りはやめようという命令を受けて仲間の狩人がとった行動です。faciunt intermittuntqueは、二つの動詞がqueで結び付いています。faciuntは動詞facio(実行する)の三人称複数現在、intermittuntも動詞intermitto(中止する)の三人称複数現在です。faciuntの目的語はiussaで、これは中性名詞iussum(命令、言葉)の複数対格です。intermittuntの目的語はlaboremで、これは男性名詞labor(仕事、労苦)の単数対格です。主語はともにviriで、これは男性名詞vir(人、男)の複数主格となっています。意味は「人々は命令を実行し、仕事を中止しています。」となります。
この絵に合わせた解釈は本来のものとほとんど変わりません。今回それを先に示すと、「ある者たちは命令を実行している。そしてある者たちは仕事を中止している。」となります。
この絵ではどう描写されているかですが、これはあまりにも細かく描かれているのでちょっとわかりにくいです。舳先と船尾、マストにいる人影は作業ををしているように見えます。彼らは命令を実行している人たちです。それ以外の人影は突っ立っていたり首を曲げ疲れているように見えます。彼らは仕事を中止している人たちです。
今回はここまでです。