Inde ferae pecudes persultant pabula laeta:
Et rapidos tranant amneis: ita capta lepore
Te sequitur cupide: quo quamque inducere pergis.
inde ferae pecudes persultant pabula laeta
indeは副詞「したがって、それから、その場所から」、もしくは動詞indo「入れる、身につける、紹介する」の二人称単数命令。faraeは女性名詞fera「野獣、動物」の単数属格/与格、複数主格/呼格、もしくは形容詞ferus「野蛮な、野生の」の女性単数属格/与格、女性複数主格/呼格。pecudesは女性名詞pecus「羊、動物」の複数主格/呼格/対格。persultantは動詞persulto「駆け回る、を通過する」の三人称複数現在。pabulaは中性名詞pabulum「飼料、牧草地」の複数主格/呼格/対格。laetaは形容詞laetus「楽しい、豊かな、草木の茂った」の女性単数主格/呼格/奪格、中性複数主格/呼格/対格。
形容詞ferareと名詞pecudesは女性複数主格で「野生の動物たちが」となり、これが主語です。動詞は三人称複数なので、合っています。名詞pabulaと形容詞laetaは中性複数対格となります。動詞を他動詞と考え、これを目的語と考えます。まとめると、本来の意味は「それから野生の動物たちは豊かな牧草地を駆け回っている。」
絵に合わせて考えます。しかしこれはほとんどそのままで使えそうです。野生の動物たちというのは、半獣のサテュロスたちのことと解釈できるでしょう。また真ん中のサテュロスが跳ねている様子から、駆け回っているというのも使えそうです。そして彼らが描かれている背景は開けた草原が広がっているように見えます。ここまでそろっているのですから、あとはより近い訳語を考えるだけです。
ferae pecudesはそのままでいいでしょう。persultanteはいろんな意味で解釈できる動詞です。三人の子どもたちの様子と関係がありそうなのは、 fare incursione「急襲する、襲撃する」、saltare「跳ぶ、跳ねる」、rimbombare「轟く、鳴る」 です。左のサテュロスは槍を持って襲撃をしています。真ん中のサテュロスの足としっぽはぴょんと跳ねた様子を表しています。右のサテュロスは法螺貝を使って、音を響かせています。
動詞の目的語も絵の内容に合わせる必要があります。ここでpabulaとlaetaを別々に考えます。つまり、pabulaを中性複数対格とし、laetaを名詞化した場所を示す女性単数奪格と考えます。laetaは両側のどちらかの茂った木々を表しています。左のサテュロスは左側の茂みに接しています。右側のサテュロスは右側の茂みに接しています。そして真ん中のサテュロスは頭で右側の茂みと接しています。
そしてpabulaです。左のサテュロスが槍で襲撃しているのは、蜂の巣です。これはイタリア語の訳語alimento「栄養物、食料」の意味で表せるでしょう。真ん中のサテュロスは本来の解釈のようにpascolo「牧草地」でいいでしょう。そして右側のサテュロスですが、これはちょっとひねらないといけません。彼はマルスに向けて吹いているので、マルスを表せるpabulumの意味を探してみましたが、ありませんでした。そうではなく、ここでは法螺貝を目的語と考えます。これは貝ですからalimentoの意味が使えます。またこのことから左端のサテュロスの標的を蜂の巣ではない場合でも、法螺貝と考えてもいいことが分かります。
したがってこの文は次のように解釈できます。
それから茂みのところにいる野蛮な動物たちが、食料(蜂の巣)を襲撃したり、牧草地を跳ねたり、食料(法螺貝)を鳴らしたりしている。
thence the wild animals on the bush raid the food (beehive), leap the grass and roar the food (conch).
et rapidos tranant amneis:
etは接続詞。rapidosは形容詞rapidus「急な」は複数男性対格。tranantは動詞trano「泳いで渡る」の三人称複数現在。amneisは男性名詞amnis「川」の複数対格。
形容詞のrapidosは複数男性対格の名詞amnisを修飾しています。意味は「急流を」です。動詞はtranantで主語は、前述の野生の動物たちです。まとめると本来の意味は、「そして彼らは急流を泳いで渡る。」となります。
ではこの絵ではどうでしょう。この絵には川は描かれているようには見えません。しかし真ん中のサテュロスの足下を見てみると、ここに複数の流れがあるようにも見えます。下の流れは、小さな弧がたくさん並んでいます。これは風になびいて同じ方向に草が倒れているせいかもしれません。または草原に水があふれて、これが横方向に流れて、草が同じ方向に倒れているのかもしれません。真ん中のサテュロスの前の方にでている足をよく見てみると、水がしたたった表現にも見えます。これは透明な水が流れている表現と考えることができるでしょう。
そしてその緑の流れの上に黄色がかった草地が描かれています。ここには小さな弧は描かれていませんが、横方向に筋が描かれていて、やはりこれにも流れの表現がされています。槍のつばの部分がそれに触れて流れを乱しているように描かれています。その上の草地には流れは見られないので、流れと呼べるのはこの二種類の草地の表現となります。
問題はrapidosです。この流れはそれほど速くは見えません。代わりにこの流れの特徴は、できたばかりの川だということです。以前からある川ならば川底の土が見えているはずです。「急にできた」という意味で「急な」と解釈します。ラテン語や当時のイタリア語の単語の意味の範囲でこの変更ができるか、厳密に分かりませんが、そう解釈します。
動詞tranoの一般的な意味は「泳いで渡る」ですが、他に比喩表現で、attraversare「横切る、横断する、貫通する」、penetrare「入り込む、貫く、洞察する」があります。槍も描かれているので、この「貫く」という意味を使えたら面白いでしょうが、それだとamneisの処理に困ります。結局、tranoの意味を泳がずに単に「横切る」とします。まとめると次のようになります。
そして彼らは複数の急にできた流れを横切る。
and they walk across the streams appeared suddenly.
ita capta lepore
itaは副詞「このように、それゆえ」、もしくは動詞eo「行く」の完了分詞女性単数主格/呼格/奪格か中性複数主格/呼格/対格。captaは動詞capio「つかむ、捕まえる」の完了分詞女性単数主格/呼格/奪格か中性複数主格/呼格/対格、もしくは中性名詞captum「獲得」の複数主格/呼格/対格、形容詞captus「捕まえた」の女性単数主格/呼格/奪格か中性複数主格/呼格/対格。leporeは男性名詞lepor「魅力」の単数奪格、もしくは中性名詞lepus「ウサギ」の中性奪格。
captaは中性複数主格で「捕まえられている」という主語の状態を表しています。leporeは単数奪格で原因もしくは行為者を表しています。この魅力とはもちろんウェヌスの魅力です。したがって、本来の意味は、「このように、魅力にとらえられている。」となります。野生の動物たちが騒いでいる原因を説明しています。
次に絵に合わせた解釈をします。captaは女性単数主格/呼格/奪格とします。そしてそれが名詞化しているとします。つまり「捕まえられた者」を表しています。この絵では右下のハルモニアです。leposの意味にはイタリア語でarguzia「鋭敏」があります。さらにarguziaには「機知に富んだ言葉、言葉遊び」があります。この言葉遊びはアナクレオンテアの解釈に由来します。蜂とクピドの詩を言葉遊びで意味を変えてしまったために、その別の意味の中ではハルモニアが犯人になっています。
まとめると、次のようになります。
このように言葉遊びのせいで捉えられた者(ハルモニア)がいる。
thus the person (Harmonia) was captured for the word play.
te sequitur cupide:
teは代名詞tu「あなた」の単数対格/奪格。sequiturはsequor「ついて行く、追いかける」の三人称単数現在。cupideは形容詞cupidus「熱望している」の男性単数呼格、もしくは副詞cupide「熱心に、不公平に」。
動詞はsequiturで主語は三人称単数になります。主語はおそらく野生の動物のことでしょうが、今までは複数でしたが、ここでは単数になっています。これは後続の文と関係があるためでしょう。目的語はteで、ここではVenusを表しています。そして全体で、「彼はあなたを熱心に追いかける。」となります。
では、絵での意味です。折角、cupideという単語があるので、これを左端のサテュロスであるクピドを示せないか考えてみます。cupideを形容詞と考えてそれを名詞化すれば、ちょっと強引ですがCupidoを表せるでしょう。ただし呼格なので、前の二つの単語と区切る必要があります。tuは今までウェヌスかマルスだったので、今回もそのどちらかとします。そしてsequiturの三人称単数の主語を省略したあとで、その後に呼格で強調していると考えます。最後はsequorの意味です。いろいろある中にイタリア語だとtendere「目指す、ねらう」、mirare a「見つめる、狙いを定める」があります。これはクピドの槍の向かう先がマルスの頭であるように見えることを指していると解釈します。単にそう見えるように描いただけなのかもしれませんが、この描写は何か新しい物語上で意味のある行動なのかもしれません。
この文は次のように解釈できます。
彼(クピド)はあなた(マルス)を狙っている。クピド!
He (Cupid) aims at you (Mars). Cupid!
quo quamque inducere pergis.
quoは、代名詞qui/quisの男性/中性単数奪格、もしくは副詞quo「どこへ、何のために」、接続詞quo「その結果、〜のところで」。quamは代名詞quiの女性単数対格、quamqueは代名詞quisque「誰でも、何でも」の女性単数対格。inducereは動詞induco「導く、紹介する」の不定法現在、命令法二人称単数完了、もしくは直説法二人称単数未来。pergisは動詞pergo「進む、続ける」の二人称単数現在。
quoの解釈は後回しにします。動詞は二人称単数pergisです。主語はあなた、つまりここではウェヌスです。inducereは不定法。したがって、quamque inducere pregis のところは「あなたは誰でも導き続ける。」となります。今までずっと野生の生物のことを言ってきたので、このquaamqueもそれを指していると考えます。そして、quoは前の文とつなげている関係詞と考えた方が良さそうですが、前の文の内容から場所を表す関係副詞になるでしょう。合わせて解釈すると、「どんな生き物もあなたが導き続けるところで、あなたを追いかける。」と訳せます。
今度は絵に合わせた解釈です。不定詞inducereのイタリア語でのindrodurre「入れる、案内する」という意味がマルスが両手でそれぞれ指し示す仕草として使えそうです。そうすると、quo quamqueが、単数奪格quoと女性単数対格quamになり、「何によって」と「何を」を表します。つまり、以前指摘した傷害事件の凶器と傷跡を、マルスが案内していることになります。
最後に、pergisの二人称の主語はマルスで、意識を失いながらも指さし続けている様子を表してい婁と考えます。まとめると次のようになります。
あなた(マルス)は「何によって」(突き棒)と「何を」(足の指の傷)を案内し続けている。
you (Mars) go on to indicate “by what “(the goad) and “what”(the wound of toe).
最後の解釈の見つけたときはゾクゾクしました。マルスの指の配置はこの解釈以外に説明不可能だと思います。一連の解釈はどれもそうなんですが、これは特に凄い表現です。奪格を使って凶器を、そして対格を使って傷付いた箇所を示しているのが見えてきたときは感激しました。しかし、これは『アナクレオンテア』にあるクピドと蜂の詩を使った解釈を先に成功していたから分かったことです。
今から考えても、アナクレオンテアが典拠の一つになっていることに気づくことは限りなく奇跡に近かったと思います。こちらの『物の本質について』が典拠であることが発見されるのは時間の問題だったでしょう。それが50年後か100年後になったかは分かりませんが、マルスの首の表現との類似は大きなヒントになっています。しかし、アナクレオンテアの詩にはマルスもサテュロスも出てこないし、この絵にはクピドそのものの姿が描かれていないので、絵と詩の関係を思いつくことは、関係が分かった今であってもなおさら、不可能に近いと思ってしまいます。それにしても、何度も書きますが、この言葉遊びを考え作品を作り上げた知性はやはり素晴らしい!