2007年05月25日

ドラゴンの翼

調べていくうちに方向性がずれていく。ドラゴンに翼がついている理由を調べてみた。

ギリシャ語系の竜を表す言葉dragon。最初、ギリシャ神話には様々な怪物が出てくるので、何かその中に翼のある蛇がいて、そこから出たものかと漠然と思っていたのだけど、単純にそうではないらしい。

「龍の文明史」(八坂書房)という安田喜憲氏編集の龍にまつわる論文集がある。その中にある田中英道氏の第三章「西洋のドラゴンと東洋の龍 − デューラーとレオナルド・ダ・ヴィンチの作品をめぐって」にそのことが書いてあった。西洋美術史が専門の著者が、美術作品の中に描かれるドラゴンの姿について、その背景となるキリスト教からの解説が書いてある。聖書の中にサタンとドラゴンの同一視があって、その悪魔のシンボルとして同じ羽根をもっているという。

この章で例に出している絵画がいくつかあるのだけれど、その中に「ヨハネの黙示録」12章を描いたデューラーの二枚の作品、「Apocalpyse:Dragon with the Seven Heads」と「St. Michael's fight against the dragon」(英語名)が示してある。一枚目は聖母マリアを思わせる太陽の女性とその女性の産み落とす子供を狙っている七つ頭のドラゴンの図、二枚目がそのドラゴンを退治する大天使ミカエルの図。

ネット上で見られる上記の絵へのリンク(どちらも開いた後、クリックすると大きくなる):
Apocalpyse:Dragon with the Seven Heads(Wikimedia commons)
Düer, Albrecht: St. Michael's fight against the dragon(Web Gallery of Art)

この章では、そのあと「聖ゲオルギウスの龍退治」の話をそのラファエロの作品とともに取り上げ、異教徒つまりキリスト教の敵である東方への敵対心のシンボルとなっていくドラゴンの話へと続く。またレオナルド・ダ・ヴィンチのドラゴンのデッサンの中に、当時のイタリアに伝わっていた龍が描かれている中国の陶磁器の影響を見つけていく。

この「ヨハネの黙示録」12章にどんなことが書かれているかが気になってしまう。もちろん概略は絵の説明の文章に書かれているのだが、知りたくなった。それも原典が知りたい。そういうわけで探してみた。

Parallel Greek New Testament Index に新約聖書のギリシャ語、ラテン語、英語の対訳が置かれている。ラテン語に関しては、標準ラテン語訳Vulgateだけだが、ギリシャ語、英語は何通りかのバージョンが並列されている。目的のヨハネの黙示録第12章は、The Revelation to Saint John Chapter 12にある。女性が描かれている場面は第1節から第5節の描写で、そして戦いの絵は第7節の描写だ。第9節にはドラゴンの別の呼び名が述べられている。

聖典を独自に解釈するような恐れ多いことはやらないのでご安心を。それにしても「炎のように赤く、大きなドラゴン」と具象的に描かれていても、それは何か別の本来は具体的な人や組織を暗喩していそうに思えてしまうのがこの黙示録。そういう表現に満ちている。

さて、ドラゴンは天に現れ、大天使ミカエルたちとの戦いにより天から地上へと追放された。この文章では地上に降りた女には翼の描写があるが、ドラゴンの翼の描写はない。ただ、第9節にあるようにドラゴン(δράκωυ)は、ヘビ(οφις)、ディアボロス(悪魔)、サタン(敵対者)とも呼ばれる存在であって、悪魔に羽根があれば同じものを表しているドラゴンにも羽根があるということになる。悪魔は反乱を起こした天使が変貌したものであるとの伝承もあり、この第12章の文章がドラゴンに翼があることに深く関わりがあるのは間違いないだろう。

デューラーは木版画集「黙示録」で自分の作品をヨーロッパ中に広めることができたが、それ以前に翼のあるドラゴンを描いたものはないかと調べてみた。利用したのは、Dragons in Art and on the Web。ドラゴンが描かれている画像や、ネット上のリソースを集めたサイト。

デューラーの「黙示録」が出版された1498年以前にも翼のあるドラゴンが描かれているものがいくつもあることが分かる。眺めているとドラゴンに翼があることは、すでに周知の事実となっている感がある。ここで見つかる古いドラゴンの絵の多くは、黙示録のドラゴンと、聖ゲオルギウスに退治されるドラゴン、そして聖マルガリタに踏みつけられるドラゴンを描いたもの、キリスト教にまつわるこの三つの物語を描いたものが大半である。それ以外の物もキリスト教関係のラテン語で書かれた動物寓話のようだ。カドモスを描いたものが一つある。

12世紀頃のいくつかの作品を挙げてみると、

・次のリンクの作品は大天使ミカエルとドラゴンとの戦いが描かれている。このドラゴンには翼がある。ドイツ、ヒルデスハイム。1170年代頃。
Saint Michael Battling the Dragon (Getty Museum)

・ルーブル美術館に展示されている12世紀前半ブルゴーニュの彫刻。これも聖ミカエルとドラゴンとの戦いを描いている。少しわかりにくいがこれにもちゃんと翼がある。
Saint Michel terrassant le dragon

・12世紀後半のイル=ド=フランスの彫刻。ルーブル美術館所蔵。黙示録の女性の子供を狙うドラゴン。
La Femme de l'Apocalypse attaquée par le dragon

・ルーブル美術館所蔵。Vallée de la Meuse。 1160 – 1170。これは男に翼が描かれていないので、聖ミカエルかどうか分からない。ドラゴンの尻尾が植物になっている。何を意味するか分からないが、尻尾が植物になっているドラゴンの絵は他でも見られる。
Plaque : Guerrier combattant un dragon

大英図書館の資料に1255年から1265年の間に作られたとされる Theological miscellany(神学論文集?)があって、それにはドラゴンを含めたキリスト教世界での動物の解説らしきものが載っている。ラテン語と思われる言葉でぎっしり書かれているが内容がわからない。ここで描かれるドラゴンの翼は天使やグリフォンのような鳥の翼であって、蝙蝠のような翼ではない。また上の植物の尻尾と何か関係ありそうなページもある。


ドラゴンに翼があるという特徴は聖書に由来すると断定まではできないが、悪魔と同一視されているこの黙示録12章を描写した作品を通して、羽根のあるドラゴンの姿がヨーロッパの人々に広められていったのは確かだろう。現在のドラゴンに描かれる翼が蝙蝠に似た悪魔の翼であることの由来も悪魔の象徴から来ているのだろう。そしてその存在を聖書の中で表しているギリシャ語δράκωυ、ラテン語dracoおよびその訳語が、翼を持った姿のドラゴンという意味で使われているのはそのためだと思われる。


posted by takayan at 03:17 | Comment(2) | TrackBack(1) | 日記・未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ピンキリの語源を調べていてここにたどり着きました。「うんすんかるた」や「葡日辞書」まで調べている熱心さで、くわしさにおどろくばかりです。葡日辞書の存在すら知りませんでした。

うんすんかるたでキリがレイ(王)と呼ばれているので、キリの意味が日本語の切りなのかそれとも王の意味があるのか、自分でも調べてみようと思います。とりあえず今度の休みの日に滴翠美術館にでも行ってみようかと思います。
Posted by Rスズキ at 2007年05月27日 21:23
Rスズキさんようこそ。
ピンもキリもちょっと調べさえすれば答えが出せそうに思ったのに、奥が深いです。勝手に他のことにも興味がひろがってしまったわけですが。
キリのことはネットや地方の図書館では限界のようです。何か分かったら教えてくださいね。
Posted by takayan at 2007年05月28日 08:01
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