2008年01月13日

ハートの起源2(蝶の羽を持つキューピッド)

トランプで使われるハートマークについての考察の続き。今回は前回出てきたキューピッドについての補足。

ドイツ系スートのザルツブルグパターンやババリアンパターンでは、ハートのエースに相当するカードにおいて、蝶の羽をもち目隠しをした子供が矢を身につけている絵が描かれている。前回は、これによりハートの記号に対して愛という意味が関連づけられていると考えられるというところまで書いた。

下の画像はザルツブルグパターンのエース(このサイトのトランプの画像は私物)。



下の画像は上下対称のババリアンパターンのエース(これは鳥の羽)。



記号がその当時どのような意味を持っていたのかということをはっきりと知ることは難しい。だからこそ、この関連付けはいい足がかりになる。ハートマークはハートと呼ばれる。だがこのハートという言葉そのものは愛を直接意味しない。全然関連しない言葉ではないが、ハートという言葉以上にこの記号は愛の意味を示している。そんなことは呼び名からではわからない。呼び名はその記号を指し示すだけで、意味そのものを正確に表さない。記号とはそういうものだ。

この目隠しをし矢を身につけている天使の図像は、キューピッドと解釈していいだろう。キューピッドは、ギリシャ神話におけるアフロディテの息子エロスと同一視される。まさに愛。奇妙に思えたのが、鳥の羽ではなく紋のはいった蝶の羽に見えること。

まず、キューピッドの目隠しを調べてみる。これは現在のイタリアのカードでも使われている。下の画像は北部イタリアのベルガモパターンの聖杯の1。イタリアスートの聖杯はフランススートのハートに対応するとされている。




目隠しのキューピッドという記号は絵画にも使われている。サンドロ・ボッティチェリの「春」(1478) という作品が有名だ。次のリンク先に説明がある。また左側にある拡大表示で画像を大きくすることができる。

サンドロ・ボッティチェリ-春(ラ・プリマベーラ)- - Salvastyle.com

この絵にキューピッドが描かれていることを知ったのは、次のページを読んだから。ここを読むと、蝶の羽を持つキューピッドにはもっと別な背景があることがわかった。

関連リンク:2.西洋におけるキューピッドと天使の図像 - ニッポンのエンゼル

このページでは、キューピッド(クピド)の、記号としての役割なども述べてある。愛の寓意という解釈は心強い。他の章も読んでいくと、まさに求める「蝶の羽を持つクピド」について書かれている。これはいい。

ビクトリア朝では天使の蝶の羽は自然に描かれていたとある。妙なこのカードの図柄は単にその当時のキュービッドのデザインを受け入れただけのようだ。

前回参照した古いザルツブルグやババリアンパターンの画像は年代的にはどれもビクトリア朝かそれ以後のものだ。これらに限ればこの時代の影響下にあったと考えるのが妥当だろう。それ以前のババリアンタイプのハートのエースでどう描かれていたのかが知りたいところだ。

それにしても、このサイトには詳しそうな参考文献が示されているので、これでまた別の探求ができるぞ。


この記事を読むまでは、蝶はプシュケーに関連するのではないかと考えていた。ギリシャ神話において蝶と言えば、プシュケー。言葉の上でも物語の上でも、エロスとプシュケーは切っても切れない関係がある。

関連リンク:
プシューケー - Wikipedia
Cupid and Psyche - en.Wikipedia

上記リンク先で使われている画像の中で羽の描かれているものは、どれも19世紀のフランスの画家ブーグロー(William-Adolphe Bouguereau)の作品。拡大してみると、プシューケーの背中には紋のある蝶の羽が描かれている。ほかの作者の19世紀以前の例はまだ見つけていないので、この図像が上記のトランプパターンが成立した頃にも常識的に使われていたのかどうかわからないが。

蝶の羽を持ったキューピッドはこの物語を踏まえているのかもしれないと考えていた。プシューケーpsycheは、キューピッドに愛される美しい女性であるとともに、心・魂を意味する言葉でもある。その意味でもプシューケーの羽を持つキューピッドは、ハートマークの定義としては的を射ている。


こんなふうに、知的な探求をするのはおもしろい。探しているうちに、新たな発見や自分の思いこみにも気がついていく。気をつけないといけないのは、自分が望む結論を導くために都合のいい事実だけを並べてしまうことだ。常に自分を疑う必要がある。でもそれには限界がある。これを読む人に任せるしかない。そのためにも検証可能なようにいろんな関連情報を残す必要がある。


ビクトリア朝の天使の図像の問題は、先サイトの参考文献を読んで調べてみるのはおもしろいだろう。ただここでの考察ではもうこれ以上考えなくていいだろう。キューピッドの記号の確認はこれまで。


この考察はまだまだ続く。


この記事へのコメント
プリマベーラについてですが、ヴィーナスにはキューピッド、エロスにはプシュケーとアフロディテ、ゼフィロスのように見えますが。
ギリシャ神話はルネサンス時期に東ローマとかイスラム圏のアラビア語から伝わったと聞きます。
数学の アルジェブラもアラビア語からそのまま取り入れたものと聞きますから。
ボッティチェリはギリシャ神話をどのようなルートから知ったのでしょうか。
よろしくお願いします。
Posted by 石山みずか at 2009年01月15日 08:29
石山さん、コメントありがとうございます。
ルネサンス期のアラブからの影響は、昔教育テレビで見たぐらいであまり詳しくないのですが、その当時アラブ世界からヨーロッパへは、アラビア語に翻訳された古代ギリシャの知識や、ギリシャ語の文献そのものが伝えられたらしいのは聞いたことがあります。

でもボッティチェリ自身がギリシャ神話の知識をどうやって知っていたのかまでは知りません。当時どのような本が読まれていたのかまで調べないといけないでしょうね。でも改めて考えると、この時代もいろいろ面白いです。
Posted by takayan at 2009年01月16日 01:34
キューピッドはローマ神話でエロスはギリシャ神話のようです。つまりローマ神話とギリシャ神話がキメラになって画面に出ているようです。1000年間忘れ去っていた? ものですから、ギリシャ神話は当時の彼らには新着異教文化でセンセーションを起こしていたようなのですが。
Posted by 石山みずか at 2009年01月18日 07:16
この絵について何も知らないのでWikipediaの記事で理解していました。ただ、クロリスからフローラへの変身説はちょっと無理があるかなと感じましたが、根拠としているオウィディウスの「祭歴」の記述を確認すれば、納得できるのかもしれません。
石山さんの取られている説の全体像は分かりませんが、ゼピュロスとプシュケーは関わりがあったようなので、その解釈もあるかもしれません。またローマ神話とギリシャ神話の登場人物が混在するのもあり得る話だと思います。本来別々の体系の神々を名前や役割で無理に同一視したわけですから、その結びつきが忘れ去られれば、この絵が描かれた当時別々の存在だと認識されていた存在があってもおかしくありません。
とにかくおもしろいですね。
Posted by takayan at 2009年01月18日 12:00
エロスは炎の矢を受けて、プシュケーを愛してしまいます。しかし母親のヴィーナスは難問を掛けます。エロスはゼフィロスにプシュケーを自分の所に運んできてくれるように頼み、ゼフィロスはその依頼を実行したのでした。
Posted by 石山みずか at 2009年01月19日 09:28
エロスは炎の矢で自分を誤って傷つけ、プシュケーを愛してしまい、母親のヴィーナスからとがめられます。エロスはゼフィロスにプシュケーを自分の所に運んでくれるように頼み、ゼフィロスはその依頼に応えプシュケーをエロスの所に運んできたところです。でもアフロディテの庭ですから、不安があり、大丈夫かしらとゼフィロスを振り返っているところでしょう。
Posted by 石山みずか at 2009年01月19日 09:35
石山さん、丁寧な説明ありがとうございます。昔読んだ、ローマ神話や、ギリシャ神話の本を引っ張り出してまた読み返したくなりました。
ほんとに、この絵はとても魅力的な絵ですね。改めて細かく知りたくなったので、印刷してずっと眺めています。
そしていろいろ調べてみて、このブログに記事を書いてみたくなりました。ただ、いまのところ、クロリス=>フローラ説でいいんじゃないかと思っています。
Posted by takayan at 2009年01月20日 00:53
ルネサンス頃までギリシャ神話は1000年間忘れられていたようです。ローマ神話だけ。
初めて知ってセンセーションを起こし、この絵が描かれた、それがルネサンスの始まりのようです。
数学はアルジェブラといいます。アラビア語をそのまま持ってきたもので、つまり数学も哲学もなかったので、12世紀以来アラビア語から翻訳したようです。エロスとクロリスとゼフィロスでは、絵は何を言いたいのでしょうか、結婚祝いに贈られた絵なのにそれが分かりません。花が咲いて、三美神が踊って祝っている、そんなつまらない絵なのでしょうか。エロスとプシュケーには、結婚を祝う素晴らしい神話がありますのに。
Posted by 石山みずか at 2009年01月20日 09:01
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