2009年02月19日

『ウェヌスの誕生』の元になっているもの

以前、『ウェヌスの誕生』は、『ホメーロス讃歌』の二番目の『アフロディーテ讃歌』を元に書かれていることを書いた(『アフロディーテ讃歌』と『ヴィーナスの誕生』)。そのとき、そこにはゼフィロスの隣にいる女性が誰かは描かれていないということ、泡の代わりに貝が描かれていると書いた。

今まで書いたように、そのあといろいろ本を読んで、『馬上槍試合』も『ウェヌスの誕生』に影響を与えていることも分かってきた。該当するのは、99節から101節の部分。

この原文を次に引用する。
引用元:Angelo Poliziano - Stanze per la giostra
XCIX
Nel tempestoso Egeo in grembo a Teti
si vede il frusto genitale accolto,
sotto diverso volger di pianeti
errar per l'onde in bianca schiuma avolto;
e drento nata in atti vaghi e lieti
una donzella non con uman volto,
da zefiri lascivi spinta a proda,
gir sovra un nicchio, e par che 'l cel ne goda.

C
Vera la schiuma e vero il mar diresti,
e vero il nicchio e ver soffiar di venti;
la dea negli occhi folgorar vedresti,
e 'l cel riderli a torno e gli elementi;
l'Ore premer l'arena in bianche vesti,
l'aura incresparle e crin distesi e lenti;
non una, non diversa esser lor faccia,
come par ch'a sorelle ben confaccia.

CI
Giurar potresti che dell'onde uscissi
la dea premendo colla destra il crino,
coll'altra il dolce pome ricoprissi;
e, stampata dal pie sacro e divino,
d'erbe e di fior l'arena si vestissi;
poi, con sembiante lieto e peregrino,
dalle tre ninfe in grembo fussi accolta,
e di stellato vestimento involta.
ヴァールブルクによると、この部分は先の『アフロディーテ讃歌』を元にして、より細かく美しい描写をくわえられたものであり、そしてこの『馬上槍試合』の一節を元に『ウェヌスの誕生』は描かれたとされる。


また、『ウェヌスの誕生』の元になったのは、二世紀の風刺作家ルキアノスが描写したアフロディーテの姿だと言われている。この絵の参考として、ポンペイの壁画にあるアフロディーテがよく紹介される。

ルキアノスの著作のこの部分を探してみると、アフロディーテが貝に乗っている場面を見つけた。西風ゼピュロスと、南風ノトスが、何か会話をしている。その中の一文。
引用元:Works of Lucian, Vol. I: Dialogues of the Sea-gods: XV
crowning all, a Triton pair bore Aphrodite, reclined on a shell, heaping the bride with all flowers that blow.
原文はおそらくこのページに書かれていること。次のページが現代ギリシア語による解説と翻訳。
http://www.krassanakis.gr/europe.htm

該当箇所は抜き出すと:
Το αποκορύφωμα ήταν πως δυο Τρίτωνες μετέφεραν την Αφροδίτη ξαπλωμένη σε κοχύλι να ραίνει τη νύφη με κάθε λογής άνθη.
読めなくても、上記引用元に掲載されている画像を見るとよく分かる。たしかに、これはエウロペと白い牡牛に化けたゼウスの物語の一場面だ。アフロディーテが主役の場面かと思ったら、そうではなかった。白い牡牛のゼウスが、エウロペを背に乗せてクレタに向かう場面を描いている。挿絵には、神々の姿は描かれていないけれど。会話をしている風の兄弟たちも一行に加わっている。

英語の方を訳してみると、「皆は歓声を上げる。二人のトリトンが貝の上で寝そべっているアフロディテを運んできた。風に舞ったすべての花で花嫁を埋め尽くす。」という感じになる。

追記(2009年02月21日):
引用部分が現代ギリシア語ならば翻訳できる。オンライン翻訳も使えるし、古典ギリシア語と間違えて買った現代ギリシア語辞書もある。
「クライマックスは二人のトリトンが貝の中で寝そべるアフロディテを運んで来たことだった。女神は花嫁に様々な花をまき散らした。」
花をまき散らす動詞が三人称単数なので、主語がアフロディーテだとはっきりした。それにしても、英訳とはいろいろ違う。古典ギリシア語の原文を見つけられなかったが、英訳文よりも現代希語が近いはずだろう。追記終わり

ギリシア語が分かればいいんだけど、きっと花嫁を花で埋め尽くしているのはアフロディテ。花嫁というのは、ゼウスの化けた牛に乗っているエウロペのことだろう。ルキアノスの著作で他にもアフロディテを記述した部分はあるのだけれど、『ウェヌスの誕生』の場面に関連ありそうなのはここしか見つけられなかった。

ポンペイの壁画のように横になっている。風ではなくトリトンが運んでいるというのが、誕生らしくない。ただ、風に吹かれる花を描写しているところが、絵と関連がありそうだ。海の上のウェヌスの描写で『アフロディーテ讃歌』にも、『馬上槍試合』のこんな描写は無かった。これが『ウェヌスの誕生』で花が舞っている表現につながるのだろうか。

ボッティチェッリの絵ではあの舞っている花の描写はよく分からなかった。ゼピュロスのとなりをフローラとするならば、花が舞うのは分かると思ってはみたが、この花はフローラと関係なく花嫁を祝福する花が、そのまま描写されていることになるのだろうか。あの花がフローラと関係のない描写ならば、ゼピュロスの隣にいるのは、もう一人の風の神となるのだろう。女性であるのは間違いないから、女性名詞のアウラになる。アウラは、ポリツィアーノの詩でウェヌスの髪に吹くそよ風として出てくる。




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2009年02月20日

『ウェヌスの誕生』についてのまとめ

前回はボッティチェッリの二つの作品へ影響した『馬上槍試合』の部分を探した。そのついでにルキアノスの描くいわゆる「ウェヌス・アナデュオメネ」の描写を探してみたら、面白いものを見つけることができた。そのため昨日は二つの記事に別けることにした。

「ウェヌス・アナデュオメネ」というのは、ラテン語で、venus anadyomene。この anadyomene というのは、古典ギリシア語の単語で、Αναδυo'μενη 。英語では「Venus Rising From the Sea」とか、「Venus Emerging from the Sea」とか訳される。日本語では「海から上がるヴィーナス」と訳される。

昨日の記述を見るまでは、「ウェヌス・アナデュオメネ」はウェヌスが海から生まれる場面だとばかり思っていたが、そうではなかった。ルキアノスが記述していたのは、白い牡牛のゼウスの背に乗り海を渡るエウロペを、祝福している神々の描写の一場面だった。

アペレスが「ウェヌス・アナデュオメネ」を着想した理由が、Wikipedia に書いてあったので、確認のため、ペルセウス・プロジェクトでプリニウスの博物誌の英訳を読んでみると、注釈に「that the courtesan Phryne was his model, whom, at the festival of Neptune, he had seen enter the sea naked at Eleusis.」と書いてあった。ちなみに、ポセイドン祭は冬に行われる。(参考:アテナイの12ヶ月 | テオポリス)。Wikipediaに「問題なく」と書いてあるのは、そういうこと。また、Wikipedia では、「エレウシスで」ではなく、「エレウシス祭」と英語の段階でされている。どちらが正しいかは分からない。

ルキアノスが記述した場面が、アペレスが描いた場面と全く同じなのかは分からないが、引用部分直前では、ポセイドンが現れている。そしてそれに続いて引用した彼の息子たちのトリトンに運ばれてアフロディーテが現れる。これはポセイドン祭に関連しているからのように思う。アペレスの描いたものも同じ場面だったのならば、『ウェヌス・アナデュオメネ』は本来ウェヌスが誕生している場面ではないことになる。「venus anadyomene」は、海から上がるでも、海から誕生するでもなく、ただ単に海面に現れるという意味だったのかもしれない。生まれたばかりのウェヌスではないからこそ、泡ではなく、貝に乗っているのではないだろうか。

泡に入ったまま風に運ばれ、初めて地上へ上陸する場面を描いた『ホメーロス讃歌』中『アフロディーテ讃歌』の描写と、花嫁を祝福するためにトリトンに運ばれる貝に横になったアフロディーテの記述とを、詩人ポリツィアーノが融合させることによって、泡ではなく、貝に乗って風に運ばれて上陸するウェヌスという姿ができあがったのだろう。そして、さらにボッティチェッリが、彫刻のヴィーナスを参考に、貝から地上に今まさに降り立とうとする美しいウェヌス像を描き出したということになるだろう。

のちにボッティチェッリは、ルキアノスが記述する『アペレスの誹謗』を描くが、『ウェヌスの誕生』の時期に既にルキアノスの影響があったかどうかは研究者ではないので分からない。でもそれだと話が続かないので、以後、直接的か間接的かは分からないが、ボッティチェッリのこの作品に対して、ポリツィアーノの『馬上槍試合』、ルキアノスの『海神たちの対話』、オウィディウスの『祭暦』、『ホメーロス讃歌』の影響を仮定し解釈する。


さて、この絵の描写をまとめてしまうとこうなる。

ボッティチェッリ『ウェヌスの誕生』の画像

『ウェヌスの誕生』

この作品の中央には、一人の裸の女性が立っている。誰もが注目せずにはいられない美しい女性。手と長い髪で大切なところを隠している。彼女は大きな貝の上に乗っている。この貝によって彼女が誰なのかが示される。その根拠の一つは、ルキアノスの『海神たちの対話』にあるトリトンに運ばれる貝の上に寝そべるアフロディーテの記述。彼女は、ウラノスの切り落とされた男根に生じた泡から生まれ出でた、愛と美の女神アフロディーテ(ウェヌス)。


画面右には、花の描かれた赤い衣装を掛けてあげようと、岸に上がろうとするウェヌスを一人の女性が待ちかまえている。彼女は花が描かれた白い服を着ている。首には草花で作った首飾り、腰には草花でできた帯をしている。この花の帯をしていることで、彼女がホーラたちの一人であることを示している。ホーラたちはよく花々を入れる籠をもっている。その根拠の一つは『祭暦』5月2日のホーラーの記述。籠はイタリア語で cesto。よく似た言葉にラテン語で cestos があるが、こちらは帯という意味。つまり、絵の中で花の帯という特殊な記号を持つことが、彼女がホーラたちの一人である可能性を示している。

アフロディーテとホーラの出てくる物語を探すと、『ホメロス讃歌』に収められている『アフロディーテ讃歌』が見つかる。『ホメロス讃歌』には三つの『アフロディーテ讃歌』があるがその二番目のもの。それに次のような場面がある:湿った西風(ゼピュロス)が激しい波を起こし柔らかな泡の中に入ったアフロディーテを運び、金の飾りを付けたホーラたちがうれしそうにアフロディーテを出迎え、ホーラたちは神々しい衣服をアフロディーテに着せる。

画面左を見ると、翼の生えた二人の神々がいる。一人は男の神。彼に抱きつきながら飛んでいるのは、女性的な描写で、はだけた胸からも女の神だと分かる。二人の口元を見ると、ウェヌスへ向けて白い息を吹きかけている。翼を持つ男は頬をふくらましており、息は力強く描かれている。翼を持つ女には優しくやわらかな息が描かれている。男の神は、『アフロディーテ讃歌』の描写から、アフロディーテをキュプロスまで運んだ西風だとわかる。翼のある女の神は誰だろう。

ウェヌス(アフロディーテ)とホーラ、ゼピュロスの出てくる物語を探すと、ポリツィアーノの詩『馬上槍試合』の一節が見つかる。99節-101節。この中にウェヌスに吹きかかる優しい風の描写がある。そよ風(アウラ)がウェヌスの長く乱れた髪にさざ波を立てる。アウラはただの風なのかどうか分からない。調べるとニンフとしてのアウラも、女神としてのアウラもいるのが分かる。でもこれはボッティチェッリの創作であってもいい。(参考:AURAE : Nymphs of the breezes ; Greek mythology ; pictures : AURAI

『アフロディーテ讃歌』と『馬上槍試合』から、この絵はウェヌスが海から生まれ、そしてキュプロスの陸地に上がろうとしている場面だと分かる。ルキアノスの記述のような、花嫁を祝福している場面は描かれていない。しかし、その場面ではないけれど、ルキアノスの記述のように、左側にいる風の神たちの周りを花々が舞っている。右側でも赤と白の服が風になびき、描かれている花々が風に舞っている。この絵の中のすべての花は赤い服のように誕生したばかりのウェヌス自身を祝福するものでもあるが、それと同時に、ウェヌスの美しさに感動を抱く者をその花々で祝福してくれるのだろう。


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2009年02月24日

ウェヌスの卵

今回は、ボッティチェッリの絵から少し離れてしまう。前回『ウェヌスの誕生』に関することをまとめみたが、ちょっと疑問に思ったことがあったのでさらに調べてみた。

まず、以前ルキアノスの記述の中に花嫁を祝福する神々とその真打ちとして現れたアフロディテの描写があると書いたが、物語のその場面の雰囲気をよく表した絵を見つけたので紹介する。ノエル=ニコラ・コワペルの『エウロペの略奪』だ。
ノエル=ニコラ・コワペルの『エウロペの略奪』の画像

この絵が直接ルキアノスの記述をそのまま描いたものかは分からないが、同じ場面、まさしく白い牡牛のゼウスとその背に乗ってエウロペが海を渡るのを神々が祝福する場面だ。集団の後ろの方にアフロディテがいる。他の女性とは貝殻で区別されている。ただこの絵では寝そべっていない。三叉の矛を持ったポセイドンと話をしている。花は舞っていない。

この時点では、この絵のように貝に載るアフロディテは、誕生を表すのではないと考えていた。

「ウェヌス・アナデュオメネ」という語句は、海から誕生するウェヌスを描く芸術作品の一つの形式を表している。日本語では「海から上がるヴィーナス」と訳されている。「ウェヌス・アナデュオメネ」を紹介するときよく例に出されるのは、次のポンペイの壁画。

ポンペイのヴィーナス

ラテン語の単語 anadyomene は、元はギリシア語で、綴りは ἀαναδυομένη 。この形は文法的には中動態動詞の現在分詞女性主格。簡単に言うと、「〜〜している・・」の形。古典ギリシア語の辞書は持っていないので、参考までに現代ギリシア語辞典で αναδύομαι を調べると、意味は「emerge, break surface」とある。venus anadyomene の訳と比べて、現代もほとんど同じ意味で使われていると考えていいだろう。生まれる、現れるなどの意味がある。

何か情報はないかと、アフロディテの誕生について書いてある Theoi Project の STORIES OF APHRODITE 1 : Greek mythology を見てみると、文章で書いてある部分はほとんど知っていることだったが、載っている写真の中に初めて見るものがあった。二人の蟹頭のイクチオケンタウロスとアフロディテ、その上に二人のエロスたちが描かれている。イクチオケンタウロスというのは、名前から分かるように半人半馬のケンタウロスに似ていて、ただしその馬の体の後ろ半分が魚のしっぽになっていて、さらに頭の両側にロブスターのはさみのような角をもっている。この二人にはギリシア語で名前が添えられているモザイク画もあり、それにはアフロス(海の泡)とビュトス(海の深み)となっている。

そのページで紹介されている写真は、アペレスと同時代紀元前二世紀の赤像式の壺や、例のポンペイの壁画のヴィーナス、ローマ帝国時代のチュニジアのブラ・レジア遺跡にあるモザイク画、ローマ帝国時代のシリアのスウェイダ博物館にあるモザイク画。イクチオケンタウロスのページを開いてみると、さらに、トルコのガジアンテップ博物館にある壁画など、似たモチーフの絵が紹介されている。アペレスよりも先にトリトンとアフロディテのモチーフがあったのではないかと想像することはできるが、そこに提示されている画像はアペレスと同時代の物はあってもはっきりと古い物がないので、これだけの情報では断言できない。

トリトンとアフロディテのことを、さらに探すことにした。

イクチオケンタウロスのページでは、紀元前64年生まれの著作家ヒュギーヌスの作品(とされる)『神話集』が紹介されている。その第197節にvenusについての記述があり、今まで聞いたことがないウェヌスの誕生の話が書いてある。一般に知られているものとは別の魚座の由来とともに書かれている。

ラテン語原文
引用元:Hyginus: Fabulae
VENUS

In Euphratem flumen de caelo ovum mira magnitudine cecidisse dicitur, quod pisces ad ripam evolverunt, super quod columbae consederunt et excalfactum exclusisse Venerem, quae postea dea Syria est appellata; ea iustitia et probitate cum ceteros exsuperasset, ab Iove optione data pisces in astrorum numerum relati sunt, et ob id Syri pisces et columbas ex deorum numero habentes non edunt
そして、参考までに英語訳
引用元:Classical E-Text: HYGINUS, FABULAE 150 - 199
Into the Euphrates River an egg of wonderful size is said to have fallen, which the fish rolled to the bank. Doves sat on it, and when it was heated, it hatched out Venus, who was later called the Syrian goddess. Since she excelled the rest in justice and uprightness, by a favour granted by Jove, the fish were put among the number of the stars, and because of this the Syrians do not eat fish or doves, considering them as gods.
ラテン語原文から訳出してみると、次のようになる。

「天からユーフラテス川に驚くべき大きさの卵が落ちてきたと言われています。魚たちはその卵を岸に運び上げました。鳩たちはその卵を抱きました。温めることがウェヌスを卵から孵(かえ)しました。彼女はのちにシリアの女神と呼ばれました。女神は他の誰よりも正義と高潔さに優れていました。ジュピターの与えた選択により魚たちは星々の中に運ばれました。シリアの人たちは魚と鳩を神々だと考えているので食べることはありません。」

魚座の由来でよく言われているアフロディーテとエロスの親子が怪物テュポンに怯えて魚に身を変えて逃げたという話は、同じヒュギーヌスが書いたとされる『天文詩』の第2巻30節にある。この日本語訳はヒュギーノスの星座物語で公開されている。二つの話は内容が違うのだけど、物語の構成がとても似ていて成立に何らかの関係があることはすぐにわかる。

Theoi Project のイクチオケンタウロスの説明してあるページでは、イクチオケンタウロスとアフロディテは、この卵の物語と関係があるのではないかと示唆している。つまり、この魚とイクチオケンタウロスが対応する。岸に運ぶことが描かれている点で、アフロディテの誕生神話との関連を思わずにはいられない。ユーフラテス川やシリアという言葉があるので、メソポタミア由来の神話がもとになっているのは間違いないだろう。そこでシリアの女神を捜してみるとアタルガティス(Atargatis)という名前を見つけることができた。

女神アタルガティスについての神話は、Wikipedia に次の記事がある。
Atargatis mythology - Wikipedia, the free encyclopedia

日本語でも以下のページでいろいろな話が紹介されている。先に挙げた『天文詩』の中の魚座の物語もそうだが、ウェヌス(アタルガティス)にまつわる話で、構成要素と最後の文が同じで内容が違う物語がいくつか見つけることができる。
魚座編・12星座の神話と由来
うお座(2)、みなみのうお座 - 切手に見る星のギリシャ神話(3)
Ktesias 断片集(2/7) [2,4]

人の顔に魚の形としても描かれるアタルガティスの存在が元になったと考えると、アフロディテ(ウェヌス)と海との深い結びつきも理解しやすくなるだろう。上掲の『エウロペの略奪』の絵も、アフロディテとともに、鳩の代わりとなるエロスたち、そして魚の代わりとなるトリトンやネレイスが描かれている。ポンペイの壁画も、エロスとトリトンが一人ずつだけれど、ちゃんとウェヌスの卵の物語につながるモチーフが使われている。ウェヌスが描かれている場面は、どれも誕生のモチーフを引き継いでいることになる。


ボッティチェッリの『ウェヌスの誕生』も(意図したわけではないだろうが)ウェヌスの卵の物語の変形と解釈することができるだろう。二人の有翼の風の神が、翼によって鳩を象りながら、女神を運ぶという魚の役割を演じている。体を温める役割がホーラたちの一人に受け継がれていると見ることもできる。

鳩が温める卵は「丸」い形をしていて「殻」がある。つまり「泡」にも「貝」にも置き換えることができる。様々な文化や時代、場所を経る毎にいろいろな言葉の置き換わりが起きたのだろう。『神話集』で書かれた「卵」自体、既に置き換わった物なのかもしれないが、卵という存在ほど誕生という場面にピッタリなものはない。


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2011年09月09日

《ヴィーナスの誕生》 解答

正直、今キーボードを打つ手が震えています。《ヴィーナスとマルス》の解釈が終わって、もしやと思って、《ヴィーナスの誕生》も同じ方法で読み解けるのではないかと調べてみたら、この絵も読み解けてしまいました。

《ヴィーナスの誕生》の解釈を試みたのは、2年半前です。そのとき様々な記事を書きましたが、核心部分は次の二つの記事でした。
『ウェヌスの誕生』の元になっているもの
『ウェヌスの誕生』についてのまとめ

このときは、ルキアノスの文章に出てくる貝の上で横たわるアフロディーテの記述をもってきて、彼女がアフロディーテであることを示すために貝が使われていると解釈しました。この文章は『エウロパの略奪』の場面なので、この絵には花嫁を祝福する意味も含まれるとしました。花が舞うこともその文脈で説明しました。

二年半前は、ボッティチェリがこの文章を読んだという証拠は何もありませんでした。しかし、今回調べてみると、この文章がまさに、この絵を読み解く文章だということが分かりました。このときは、現代ギリシア語の文章しか見つけられなかったのですが、今回は古典ギリシア語を見つけて、それを訳してみたら、まさに、この絵の記述でした。

 

次の文章がアフロディーテの貝が出てくる古典ギリシア語の文章です。エウロパを祝福するために、水の中からアフロディーテが出てくる場面です。

ἐπὶ πᾶσι δὲ τὴν Ἀφροδίτην δύο Τρίτωνες ἔφερον ἐπὶ κόγχης κατακειμένην, ἄνθη παντοῖα ἐπιπάττουσαν τῇ νύμφῃ.

そして訳です。

そして、皆の前に、二人のトリトンがアフロディーテが寝そべっている貝を運んできました。(女神は)花嫁の上にたくさんの花々をまき散らしています。

これが普通の訳です。

これを今までのように意味を少しずらして訳します。Τρίτωνες の後で文章を切ってしまいます。

ἐπὶ πᾶσι δὲ τὴν Ἀφροδίτην δύο Τρίτωνες. ἔφερον ἐπὶ κόγχης κατακειμένην, ἄνθη παντοῖα ἐπιπάττουσαν τῇ νύμφῃ.

訳すと、

そして、皆の前に、アフロディーテと、二人と、三番目の者が現われました。
彼ら(二人)は、貝の上にたたずんでいる者を運んできました。
(二人は)その女性にたくさんの花をまき散らしています。

「δύο Τρίτωνες」 を別々に解釈して、「二人」と「三番目」と訳します。絵の中では二人で寄り添って飛んでいる神々がちゃんといます。彼らが体をしっかりとくっつけているのは彼らが「二人」であることをはっきりと示すためです。「三番目」というのは、ローブをかけようとしている女性のことです。この女性に関しては以前から解釈の問題がありました。『ホメーロス風讃歌』の記述ではこの役割の女性は複数なのに、どうしてこの絵では一人になっているのかということです。しかし、これではっきりとしました。ボッティチェリが Τρίτωνες を3番目と解釈してこの絵を描いたからです。つまり、三姉妹のホーラたちの中で一番下の妹の平和と春の女神エイレーネ(Εἰρήνη)です。

次の文章では、κατακειμένην の解釈を少し変えました。この単語は κατάκειμαι という動詞の分詞形だと思われます。これは通常は「横になって休んでいる」という意味で、ポンペイのアフロディーテの壁画の姿勢と同じ姿を思い浮かべるべきなのですが、この動詞には 英語の remain の意味もあります。それで、ここでは その場に立ったままでいる、つまりたたずんでいると訳しました。

また本来の訳では主語は二人のトリトンなのですが、ここでは言葉を分けたので、二人組と解釈しました。 そうすると、空に浮かんでいるゼピュロスともう一人ということになります。ただこうすると、先ほどと違って、『ホメーロス風讃歌』の記述とちょっと合わなくなってしまいます。『ホメーロス風讃歌』では西風のゼピュロスだけですから。この女性が誰なのかという問題が出てきます。これはこの絵が再発見されてからずっと解釈が分かれてきた問題でもあります。二人という表現は夫妻という意味が込められていると思いますので、彼女はフローラになるでしょう。彼女にも翼があるようにも見えなくもないですが、あれは全部ゼピュロスの翼だとします。前回解釈したときは、ポリツィアーノの詩『馬上槍試合』の一節からそよ風アウラだと、よく使われている説を採用しましたが、この絵はポリツィアーノの詩を参考にせずに直接古典の記述から描いています。

最後の文です。本来の解釈では、アフロディーテが主語の分詞節として訳しましたが、今回の誤解釈では、専門家の花の女神フローラがいますので、彼女と、それを風でまき散らしてくれる旦那のゼピュロスの二人を主語にします。また、νύμφῃ という単語は「花嫁」を表す言葉ですが、単なる「女性」も表すこともある言葉なので、この解釈ではアフロディーテ本人のことだとします。

 

以上のように、この文章を利用すると、次のことがきれいに説明できます。

  • ローブをかけているホーラが一人だということ。
  • アフロディーテを運んできたのが、一人ではなく二人であること。
  • アフロディーテのそばで花が舞っていること。
  • アフロディーテが貝の上に立っていること。

つまり、そう解釈できる文章をボッティチェリが絵にしたからです。

ボッティチェリが目指したとされる、ルキアノスの記述そのものを使った解釈ですので、これが正解だと思います。

 

二年半前、答えのすぐそばにいたことにちょっと自分でも驚いています。誤解釈という発想はそのときはなかったので、別な方向に進んでしまって、気が付くのにだいぶん時間がかかってしまいました。それにしても、立て続けですが、この難問を解き終えた感動は、素晴らしすぎます。



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2012年01月24日

《ヴィーナスの誕生》アフロディーテ讃歌の翻訳(1)

最近は古典ギリシア語の復習をしていました。中途半端なところを短期間で補うのはやっぱり無理でしたが、その過程で便利なプログラムができました。

Perseusの辞書は便利ですが、いちいち一つ一つの単語を調べるのも面倒なので、ダウンロードしたデータを使って、ギリシア語のテキストを与えると可能性のある単語の一覧を出力するスクリプトを書いてみました。これがあると翻訳の作業がかなり、はかどります。

今回、それを使ってホメーロス風讃歌にあるアフロディーテ讃歌2の翻訳をしてみます。これは直接もしくは間接的にボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》の元になったとされる文章です。既に、沓掛良彦氏の『ホメーロスの諸神讃歌』に翻訳があるのですが、あえて自分で訳してみます。

ホメーロス風讃歌には、アフロディーテを謡ったものは三つあります。それぞれの詩の長さは並べられた順に293行、21行、6行で、海から上がるヴィーナスの描写があるのは二番目の長さのものです。もちろん今回訳すのはこれです。

Εἲς Ἀφροδίτην
αἰδοίην, χρυσοστέφανον, καλὴν Ἀφροδίτην
ᾁσομαι, ἣ πάσης Κύπρου κρήδεμνα λέλογχεν
εἰναλίης, ὅθι μιν Ζεφύρου μένος ὑγρὸν ἀέντος
ἤνεικεν κατὰ κῦμα πολυφλοίσβοιο θαλάσσης
ἀφρῷ ἔνι μαλακῷ: τὴν δὲ χρυσάμπυκες Ὧραι
δέξαντ᾽ ἀσπασίως, περὶ δ᾽ ἄμβροτα εἵματα ἕσσαν:
κρατὶ δ᾽ ἐπ᾽ ἀθανάτῳ στεφάνην εὔτυκτον ἔθηκαν
καλήν, χρυσείην: ἐν δὲ τρητοῖσι λοβοῖσιν
ἄνθεμ᾽ ὀρειχάλκου χρυσοῖό τε τιμήεντος:
δειρῇ δ᾽ ἀμφ᾽ ἁπαλῇ καὶ στήθεσιν ἀργυφέοισιν
ὅρμοισι χρυσέοισιν ἐκόσμεον, οἷσί περ αὐταὶ
Ὧραι κοσμείσθην χρυσάμπυκες, ὁππότ᾽ ἴοιεν
ἐς χορὸν ἱμερόεντα θεῶν καὶ δώματα πατρός.
αὐτὰρ ἐπειδὴ πάντα περὶ χροῒ κόσμον ἔθηκαν,
ἦγον ἐς ἀθανάτους: οἳ δ᾽ ἠσπάζοντο ἰδόντες
χερσί τ᾽ ἐδεξιόωντο καὶ ἠρήσαντο ἕκαστος
εἶναι κουριδίην ἄλοχον καὶ οἴκαδ᾽ ἄγεσθαι,
εἶδος θαυμάζοντες ἰοστεφάνου Κυθερείης.
χαῖρ᾽ ἑλικοβλέφαρε, γλυκυμείλιχε: δὸς δ᾽ ἐν ἀγῶνι
νίκην τῷδε φέρεσθαι, ἐμὴν δ᾽ ἔντυνον ἀοιδήν.
αὐτὰρ ἐγὼ καὶ σεῖο καὶ ἄλλης μνήσομ᾽ ἀοιδῆς.

これを先ほど紹介したスクリプトで処理すると次の内容が出てきます。

https://neu101.up.seesaa.net/etc/ToAphrodite2.pdf

たった21行についての情報ですが、16ページになります。一緒に書かれている単語の英訳は簡易的なものだと思った方がいいです。でも見出し語形が分かるので手元の辞書で調べ直すのも楽でしょう。リストの最後にある「unknown words」というのはデータベースに見つからなかった単語です。これはアクセント記号や気息記号が本来のものと向きが変わってしまっているだけのこともあります。

それでは、以後しばらくこの情報を使って、アフロディーテについての文章を翻訳していきます。



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2012年01月26日

《ヴィーナスの誕生》アフロディーテ讃歌の翻訳(2)

冒頭から細かく、調べていきましょう。

Εἲς Ἀφροδίτην

これはこの章のタイトルです。εἰς はここでは英語のinto、for、aboutなどの意味を持った前置詞で、後ろに対格をとります。確かに、後ろのἈφροδίτηνは対格の形をしています。これだけで「アフロディーテに」という意味になります。日本語訳では通常分かりやすく「アフロディーテ讃歌」と呼ばれています。

さて本文が始まります。

αἰδοίην, χρυσοστέφανον, καλὴν Ἀφροδίτην ᾁσομαι,

まず最初に形容詞が三つ連続します。どれも後ろのἈφροδίτηνと同じ対格をしていて、並列してこの語を修飾しているのが分かります。Ἀφροδίτηνが対格なのは、それがその後ろの動詞ᾁσομαιの目的語だからです。ᾁσομαιはἀείδωの一人称単数中動態直説法未来と考えます。意味は英語のpraiseで、「賞賛する、詩などで讃える」となり、讃歌の冒頭らしい言葉となります。この讃歌を謡う者本人が主語で、これからのことを表現しているため、時制が未来になっています。

では形容詞の意味を調べます。αἰδοῖοςは通常「尊敬すべき」という意味で訳されますが、この言葉にはもう一つの意味のグループとして「内気な、恥ずかしがり屋の」もあります。この意味を知ったとき、もしかするとこの文章もボッティチェリの絵に合わせた解釈ができるのではないかと思ったわけです。これは裸の彼女が手で体を隠している仕草を表している形容詞と言えるでしょう。

次の形容詞χρυσοστέφανοςは、二つの言葉χρυσός(黄金)とστέφανος(王冠、輪)の合成語です。通常はそのまま「黄金の冠をかぶった」と訳されます。しかし冠をかぶるという表現は、比喩的なものとして、頭の方を囲んでいるとか、飾っているという表現として考えることが可能です。つまりこの形容詞もこの絵に合わせて解釈すると「黄金で頭を囲んだ」つまり金髪の描写を表す言葉になります。

そして最後の、美しいという意味の形容詞καλόςですが、これはまさに魅力的な彼女自身の描写そのものとなります。

まとめると

「恥ずかしがり屋の、黄金の髪をした、美しいアフロディーテを讃えよう。」

という意味の文章になります。こうなるとボッティチェリの絵を表す文章の冒頭に相応しい始まりに思えます。

これから先の文章もこの絵の描写の元になる意味に解釈は可能なのでしょうか。

ἣ πάσης Κύπρου κρήδεμνα λέλογχεν εἰναλίης,

ἥはここでは、関係代名詞の主格女性単数となり、アフロディーテその人を表しています。これを主語とするこの節の動詞はλαγχάνωで、目的語はκρήδεμνονの対格となります。これにΚύπροςの属格がくっついて、残りは二つの形容詞πᾶςとἐνάλιοςのそれぞれの属格で、これらがΚύπροςを修飾しているという構造になります。

πᾶςとἐνάλιοςとΚύπροςの三つの単語で「完全に海に囲まれたキプロスの」となり、まとまってκρήδεμνονを修飾しています。この名詞はベールとか蓋とか胸壁とか、いろいろ意味があるのですがよく分かりません。仕方が無いので既存の訳を参考にして「城壁」、そしてそこに囲まれた町そのものを表しているとします。動詞λαγχάνωの意味もいろいろありますが、目的語が町となれば、「治める」がいいようです。

そうするとこの節全体は、「彼女は完全に海に囲まれたキプロスの城壁都市を治めている。」となります。従来の意味はこうなりますが、これを絵に合うように、うまく訳せないか考えてみます。

κρήδεμνονはイタリア語で意味を調べると、bastioneとなります。この説明をさらにイタリア語で調べると、土塁、土手、堤防の意味の言葉terrapienoが出てきます。土塁という言葉を知って、この言葉にぴったりなものが描かれていないかとボッティチェッリの絵を見てみると、アフロディーテとホーラの間にある海岸線の形に気がつきます。これは単に海岸線が入り組んでいるだけでなく、しっかりこんもりと盛り上がって描かれています。この描写は海に突き出した天然のbastioneを描いていると考えられます。

この海岸線に何かしているのは、アフロディーテではなく、ホーラの方です。本意ではないでしょうが、彼女はちょうどこの地形に対してローブを掛けるような仕草をしています。ここでまれな用法ですが、ἥを単なる指示代名詞とみなしてみます。アフロディーテではない女性名詞、つまりホーラがこの節の主語であると考えるわけです。

この行動に合うようなλαγχάνωの意味を調べてみると「守っている、保護している」という意味が見つかります。彼女がアフロディーテの体にローブを掛けようとしている姿は、それと同時に海辺のκρήδεμνονを守っている姿の描写となります。

この節をまとめると、

「彼女は海に接しているいくつもの土塁を保護しています。」

となります。地形をローブを掛けて保護するなんて変な訳ですが、でもまさにこの場面の描写としてはぴったりのものです。

冒頭の2行ちょっとを訳してみましたが、なんかいい感じで解釈できそうです。こんなふうにこの21行のアフロディーテ讃歌をボッティチェッリの絵に合った訳にできるかやってみます。

つづく



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2012年01月29日

《ヴィーナスの誕生》アフロディーテ讃歌の翻訳(3)

それでは再開です。見切り発車で書き始めた話題ですが、とりあえず内容の確認が終わりました。でもまとめるのがちょっと大変そうです。まだ一割しか公開してないのですが、このままギリシア語の文法や単語の意味を持ち出して、細かく説明を書いていくと、いつ終わるか分かりません。そこで方針を変更します。結論を書いてしまって、その理由をあとからゆっくり書いていきます。読む方も、役に立たない難しい文法の説明がダラダラ続くよりもその方が分かりやすいでしょう。

なお、遅くなりましたが、対象が性愛の女神アフロディーテなので、どうしても性的な表現が出てきます。避ける必要がある人は避けてください。

さて、この文章を元にボッティチェリが《ヴィーナスの誕生》を描いたのは確かなことだと分かりました。以前紹介したルキアノスの文章とともにこの絵の描写を作り上げています。

根拠となるのは、『アフロディーテ讃歌』から導き出せる次の事柄です。

・この絵で金色の描写が多用されているのは、この文章にχρυσός(黄金)やその合成語が多用されているから。
・ゼピュロスと一緒に飛んでいるのは有翼の勝利の女神ニケ。
・複数主格で記述されているホーラを文法的に与格単数とみなすことで一人にしている。
・曲がった白い波は精液(泡)を表している。
・アフロディーテの貝の下にある荒波が、アフロディーテを運んだ泡として描かれている。
・ゼピュロスとニケが息を出している描写は歌の喩えでもある。
・赤いローブには酔仙翁(Silene coronaria)が描かれている。
・赤いローブは金とオリハルコンで刺繍がされている。
・ホーラの服にはスミレ色の王冠が描かれている。
・ガマの穂と解釈できる言葉がある。
・アフロディーテの髪を束ねている白銀色の髪飾りについての記述がある。

以後投稿では、素直に読んでも出てこない、これらの事柄をどうやって『アフロディーテ讃歌』から導き出したのかを詳しく説明していきます。それにしても、いままでいろいろ考えてきましたがゼピュロスの隣の女神がニケだとは思いもよりませんでした。



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2012年02月01日

《ヴィーナスの誕生》アフロディーテ讃歌の翻訳(4)

それでは、続きをこの絵に合わせて翻訳していきます。今回はいきなりこの絵の核心部分の描写となります。なお、この一連の解釈には神話の世界の性的な表現があるので、ご注意ください。

ὅθι μιν Ζεφύρου μένος ὑγρὸν ἀέντος ἤνεικεν κατὰ κῦμα πολυφλοίσβοιο θαλάσσης ἀφρῷ ἔνι μαλακῷ:

この部分の、以前紹介した沓掛良彦氏の翻訳を引用すると次のようになります。

吹きわたる西風(ゼフュロス)の湿り気帯びた力が、やわらかな水泡(みなわ)に女神をそっと包んで、高鳴り轟く海の波間をわたって、この地へ運び来た。

このアフロディーテ讃歌のアフロディーテは『神統記』で語られる切り取られたウラノスの男性器から出た白い泡から生まれた女神です。上記の引用部分はこのことを踏まえています。アフロディーテにはゼウスとディオネの娘とする話がありますが、それとは違います。

この文には「泡」が出てきますが、この絵をいくらじっくり見つめても彼女を包んできた泡は見つかりません。この翻訳ではこの絵を説明することはできません。この日本語訳に間違いがあるのではなく、ボッティチェリの絵の方が特殊なのです。

泡と通常訳す単語 ἀφρός の解釈を変えれば、うまくいくかもしれません。この語は『神統記』の表現からウラノスの精液を暗示しているのですが、この絵を解釈するにはこれだけでは足りません。そこで手元のギリシア語-イタリア語辞書で調べると、この語には泡schiumaの他にbavaという言葉が書かれていました。この語の意味は「よだれ、ねばねばした液汁、蚕糸、波打ち際の水泡」とあります。この意味を知ると、より生々しく具体的にこの絵の中に ἀφρός を見いだせるようになります。

この文の動詞はἤνεικενで、不規則変化の動詞φέρω「運ぶ」のアオリスト三人称単数です。主語はμένος ὑγρὸν で「湿った力」です。他の言葉を主語にするのは難しそうです。この主語の意味を他の意味に解釈できないか調べてみると、ὑγρόςには他にも「曲げやすい、曲がっている」という意味もあります。またμένοςの意味を調べると、forza「力」などの他にspermaの意味もあります。通常はこの意味は見落としてもいいでしょうが、この絵を解釈するには、一番相応しい語に思えます。

先ほど、bavaの意味として「波打ち際の水泡」とありましたが、この絵には意味ありげに不自然な白い波が描かれています。遠近感がなく壁を降りているように見え、どれもが同じように曲がった形をしています。正直、なんて下手な波打ち際の描写だろうと思った人もいるでしょう。しかし、μένος ὑγρὸνが「曲がった精液」と解釈できると、状況は一変します。

μένος ὑγρὸνの周りの言葉は、この語を修飾しています。ἀέντος は「吹く」の分詞で、属格のΖεφύρουはその行為者を対格のμινアフロディーテで表し行為の方向を示していると解釈します。そして行為の対象が主語のμένος ὑγρὸνとします。主語の部分の訳をまとめると、ゼピュロスがアフロディテの方に吹くクロノスの曲がった精液(白い波)となります。

後半の動詞ἤνεικενの目的語の部分は、次のようになります。κατὰは前置詞ではなく、あえて副詞として解釈します。この語の意味は「下の方向へ」です。つまり、この絵で波が下に落ちているような描写をこの語の描写であると考えるわけです。そのあとにある波の意味を持つ対格のκῦμαは、この動詞の目的語としてぴったりのようですが、既に「白い波」を主語にしてしまっているので、今回は別な意味に解釈しなくていけません。

さて、この絵の中で白い波が運んでいるものは何でしょう。ホタテ貝のような形の巨大な貝です。この貝の波打つ形こそが、κῦμαが表している物と解釈します。そう「波状の物」です。

あとはこの目的語を修飾する単語です。ἀφρῷとμαλακῷは前置詞ἔνι(in,among)に支配されている与格の名詞と形容詞です。この「柔らかな泡」は貝の下で泡立っている波のことです。貝がこの泡の中にいるという表現は問題ないでしょう。πολυφλοίσβοιο θαλάσσηςはこの泡の材料を表す属格の形容詞と名詞で、「多く反響している海水」と訳せます。つまり、この目的語の部分をまとめると、「多く反響している海水からなる柔らかな泡の中の波状の物」となります。

この文全体をまとめると、

ゼピュロスが彼女(アフロディーテ)の方へと吹きやっている(クロノスの)曲がった精液(白い波)は、多く反響している海水からなる柔らかな泡の中の波状の物(貝)を下の方へ運んだ。

となります。

苦しい、実に苦しいですが、このように解釈すると、この絵の描写に合わせることができます。でも、不思議な波打ち際にいるアフロディテとゼピュロスの表現に対して、これほど得心がいくものは他にないでしょう。

この文章だけを提示してもきっと誰も理解してはくれないでしょう。ただの強引な辻褄合わせにしか見えないはずです。しかし、アフロディーテ讃歌の言葉は、余す所なくこの絵の中に描き込まれています。全部読めば、強引なのは、ボッティチェリの方だと分かってもらえるでしょう。



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2012年02月02日

《ヴィーナスの誕生》アフロディーテ讃歌の翻訳(5)

次は、ホーラたちが出迎え、アフロディーテを飾り付ける場面の前半です。

τὴν δὲ χρυσάμπυκες Ὧραι δέξαντ᾽ ἀσπασίως,
περὶ δ᾽ ἄμβροτα εἵματα ἕσσαν:
κρατὶ δ᾽ ἐπ᾽ ἀθανάτῳ στεφάνην εὔτυκτον ἔθηκαν καλήν, χρυσείην:

これを本来の意味で訳すと次のようになります。

黄金の髪飾りをしたホーラたちが女神を喜び迎え、
彼女たちは神々しい服を彼女に特別に着せた。
不死なる頭に、装飾の施された、美しく、黄金でできた冠を、彼女たちは載せた。

絵との共通点を見ると、同じなのは神々しい服を与えようとしているところだけです。しかしそれも文章では服を着せてしまっているので、絵と文章とは厳密には違います。第一、このときのホーラの人数が違っています。

人数に関しては、《プリマヴェーラ》の解釈において、ラテン語のHoraの変化を使って、本来複数形で書かれている文を単数形で書かれているかのように解釈しました。ギリシア語で書かれたこの讃歌でも同じ手法でうまくいくかもしれません。

古典ギリシア語の名詞には、主格、属格、対格、与格、呼格の5つの格があります。ドイツ語を習ったことがある人は分かるでしょうが、英語では名詞においては格変化は失われてしまっていますので、ぴんとこない人もいるでしょう。分かりやすく言うと、英語の代名詞における3種類のhe-his-himのような文中での役割によって起きる変化が、全ての名詞において起き、それが5種類あるということです。この変化は名詞の数、つまり単数と複数においても、それぞれ行われます。さらに古典ギリシア語には、出てくる頻度は少ないですが、単数と複数の他に双数という二つ組になっているものを表す数もあり、さらに多くなります。

上記のὯραιの変化は、第1変化(α変化)と呼ばれるもので、規則的に変化すると考えると次のようになります。これを見ると、文中の形は二つとも主格複数であることが分かります。

  単数 sg 複数 pl
主格 nom

Ὧρα

Ὧραι
属格 gen

Ὧρας

Ὧρῶν
対格 acc

Ὧραν

Ὧρας
与格 dat

Ὧρᾳ

Ὧραις
呼格 voc

Ὧρα

Ὧραι

与格単数のαの下に付いているのは、発音されなくなった「ι」の記号で、与格単数の目印のようなものです。これを本来のὯραιとみなすと、上記の主格複数と同じ形になります。つまり、他の語句との関係が矛盾を引き起こさなければ、主語にはなれませんが、これで一人のホーラについての記述と考えることができます。

ホーラを一人として訳せるめどがたったので、文の内容について考えて行きます。

 

最初の文は、本来、ホーラたちが女神を迎え入れている場面のものです。

τὴν δὲ χρυσάμπυκες Ὧραι δέξαντ᾽ ἀσπασίως,

δέは単純な接続詞で、この讃歌に多用されている語です。

この文の動詞は、δέξαντ᾽ です。これはδέξαντοの省略形で、本来の訳では動詞δέχομαι(take, accept, receive)の中動態の三人称複数アオリストとなっています。しかし、ここでは同じ変化形を持つ動詞δείκνυμι(show, point out, exhibit)の中動態三人称複数アオリストとみなします。その後のἀσπασίωςは副詞で「うれしそうに、喜んで、快く」です。

Ὧραιを主格として扱わないので主語は、χρυσάμπυκεςだけになります。これはχρυσός(黄金)とἄμπυξの合成語で、「黄金の髪飾り」の意味があります。ここで、ἄμπυξの意味を調べておきます。すると「紐、額、正面、王冠、髪飾り、輪」とあります。

τὴνは対格単数女性ですが、これはアフロディーテのことです。そしてὯραιは、ここでは与格単数女性の一人のホーラです。

これらをまとめると、「正面が金色のものたちはホーラとともにアフロディーテに対してうれしそうに自分たちを誇示していた。」となります。なんだか分からない文章です。しかし、絵を眺めながら考えると理解できるでしょう。この絵の中の物は画面のこちら側が金色に輝いています。ホーラの後ろの木々は、丸い幹の一番こちら側の部分だけが金色になっています。ホーラの足下の草さえも、こちらの側だけ金色に輝いています。左下にあるガマの穂も前面が輝いています。ホーラにしても、こちら側に見せてる左腕に金色の紐を巻き付けて、こちら側を輝かせています。

 

次はこの文です。ホーラたちがアフロディーテに服を着せている場面です。これはこれでも良さそうですが、これも面白い意味になります。

περὶ δ᾽ ἄμβροτα εἵματα ἕσσαν:

この文の動詞はἕσσανで、本来の解釈ではἕννυμι(着せる)の三人称複数アオリストですが、他にἵζω(座る)の三人称複数アオリストの方言とも解釈できます。

περὶは対格支配の前置詞にもなりますが、ここではaround, exceedinglyといった意味の副詞と解釈します。本来の解釈では、このexceedinglyの意味を使っています。なお、δ᾽はδέのことです。

εἵματα は名詞εἵμαの複数中性の主格か対格です。その前のἄμβροταは形容詞ἄμβροτοςの複数中性の主格か対格で、性数格はちゃんと一致しています。本来は、この二つの語を対格と考え「神々しい服を」の意味となります。しかし、これでは面白くないので、他の意味を探してみます。

ἄμβροτοςの意味をいろいろ探していると、ピタゴラス学派の5の意味があることが分かります。この辞書によると西暦300年頃のネオプラトン主義の哲学者イアンブリコスの著者が出典のようです。次にεἵμαの意味を調べてみると、普通は「服」を表す言葉ですが、専門的な意味で植物の房の意味があります。つまり合わせて「5つの房」となり、植物の花の付き方を表す言葉になります。植物が主語となれば、それが根付いている様子は、動詞ἵζωの意味に合っています。

この絵の中で5つの花を探してみます。アフロディーテに着せようとしている赤い服を見ると、5つの花が咲く植物の絵があります。これを表しているのかもしれません。περὶという副詞の描写に相応しい感じで房が広がっています。

fivecluster

複数形で書かれているので、他にも株が必要です。この柄のすぐ下にも五房の株があります。さらにもっとよくこの絵の中を探してみると、暗くてはっきりしないのですが、きれいな配置の植物がホーラの足下に見つかります。

fivecluster2

これは地面に花々が広がって咲いています。こちらも房が広がっていますが、その配置は正五角形に近くなっています。ピタゴラス学派といえば、五芒星がシンボルですから、ぴったりです。5が重要な数だからこそ、「不死なるもの」が5だったりするのでしょうか。この形はとても特殊な用法であるピタゴラス学派の「5」の意味で使われたことを主張していると思われます。

そういうわけで、この文は「いくつかの五つの房の植物が広がって植わっていた。」となります。

 

次の文は、ホーラたちは美しい冠をアフロディーテに載せる描写です。もちろんこの記述はボッティチェリの絵にはそのまま描かれていません。

κρατὶ δ᾽ ἐπ᾽ ἀθανάτῳ στεφάνην εὔτυκτον ἔθηκαν καλήν, χρυσείην:

この文の動詞はἔθηκανで、τίθημι(置く)の三人称複数アオリストです。周りを見回しても主格の単語がないので、この動詞の主語は、この文には記述されていない、この絵の中の描かれた複数の何かとなります。

対格の名詞στεφάνηνは、単数女性で、冠や輪といった意味の言葉です。アフロディーテ讃歌の最初の方では、形容詞ですがχρυσοστέφανονという合成語の形で出ていました。このときは、黄金で頭を囲んでいる様子から「金髪をした」と解釈しました。今回はどう訳しましょう。

この名詞στεφάνηνには、性数格が同じことから3つの形容詞εὔτυκτον、καλήν、χρυσείηνが修飾しているのが分かります。それぞれ、装飾が施された、美しい、金色という意味です。冠の形容としてはどれもふさわしいものです。

しかしこの絵の中には冠は描かれていません。以前の翻訳の時のように金髪を表していると考えてみましょうか。三人の女神の中でホーラの髪はきれいに編まれているので、装飾が施されたという形容に適合します。もちろん美しいです。しかし、ホーラを主語とした場合、動詞が三人称複数であることを説明できなくなってしまいます。

では、この絵の中に冠と呼べる物は他にないでしょうか。そう思って見回すと、この絵にたくさんの花々が描かれていることがヒントであると気づきます。花びらの王冠状の集まりは花冠(collora)と呼ばれます。これです。金色の花びらの花はないかと探すと、ホーラが手に持っている衣装にちゃんといくつか描かれています。これは刺繍でしょうから、装飾が施されているという表現も合っています。この金色の花冠を持った植物が主語ならば、動詞が三人称複数であることも文法的に解決します。

golden

 

この文にはまだ解釈されていない言葉があります。κρατὶ ἐπ᾽ ἀθανάτῳです。短縮されているἐπ᾽はἐπίです。与格が周りを囲んでいるので、きっとこれらを支配しているのでしょう。本来の解釈では「不死なる頭に」となります。しかし、これでは花々を主語とする解釈では合いません。

そこで、ἀθάνατος(immortal)の意味をさらに調べてみると、名詞として使って植物のlicnide coronariaを意味するとあります。これはイタリア語で書かれたギリシア語辞書で調べたわけですからイタリア語名です。これのラテン語名を調べると、silene coronariaとあります。日本語名だとスイセンノウです。

この花をこの絵の中から探してみます。ἀθανάτῳが名詞であるならば、これは単数なので、おそらくこの衣装の中に一株だけあるはずです。

flower

該当するのは上の画像の植物だと思います。残念ながら、一株だけではありませんでした。これはスイセンノウの画像検索で出てくる物とは似ていませんが、カーネーションのようなガクと、ナデシコのような細い花弁のこの花だと思います。

ἀθανάτῳを花の名前とするので、κρατὶとἀθανάτῳは別々になってしまいます。つまり、前置詞ἐπ᾽の支配を受けるのはκρατὶ で、ἀθανάτῳは単独の与格とします。

まとめると次のようになります。

アタナトスと共にあるいくつかのものは頭に装飾が施された、美しい、金色の花冠を置いていた。

 

この絵にはいくつもの花が描かれていますが、その最大の理由は、ここで説明したようにアフロディーテ讃歌のギリシア語を、花に関連する意味に置き換えて描いているからです。



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2012年02月03日

《ヴィーナスの誕生》アフロディーテ讃歌の翻訳(6)

それでは、ホーラがアフロディーテを飾り付ける続きの部分です。

ἐν δὲ τρητοῖσι λοβοῖσιν ἄνθεμ᾽ ὀρειχάλκου χρυσοῖό τε τιμήεντος:
δειρῇ δ᾽ ἀμφ᾽ ἁπαλῇ καὶ στήθεσιν ἀργυφέοισιν ὅρμοισι χρυσέοισιν ἐκόσμεον,

この文章の本来の解釈は次の通りです。

耳に開けた穴に、オリハルコンと貴重な黄金でできた花を付けた。
柔らかな首に、そして白銀の胸に、金のネックレスで彼女を飾り付けた。

やはり、この内容は絵には反映されていないようです。これらも解釈の仕方で、何とかしてみましょう。

 

最初の文は、花のピアスをアフロディーテに飾り付ける描写ですが、これもボッティチェリの絵には描かれていません。

ἐν δὲ τρητοῖσι λοβοῖσιν ἄνθεμ᾽ ὀρειχάλκου χρυσοῖό τε τιμήεντος:

この文の動詞はἐνで、これはεἰμίの三人称複数の未完了過去です。本来の主語はアフロディーテを飾り付けているホーラたちです。しかし、今回の解釈ではホーラは複数ではありませんので、他のものを主語にしなくてはいけません。

ここに並べられた単語の中で、主語となり得るのは本来の訳では対格としていたἄνθεμ᾽ です。これは主格としても解釈できます。ἄνθεμ᾽ は末尾を省略してある形ですが、動詞からの要請で、主格複数になるわけなので省略しない形はἄνθεμαとなります。意味は「花々が」です。

あとは、与格の形容詞と名詞からなるτρητοῖσι λοβοῖσινと、属格のὀρειχάλκου χρυσοῖό τε τιμήεντοςです。与格の部分はそのまま訳すと「耳たぶの穴」ですが、これはこの絵では誰もピアスをしていないので、採用しません。今のところは意味の特定は保留しておきます。属格の部分はこのまま材料を示していると解釈できそうです。オリハルコンは真鍮と訳してしまっていいようですが、折角なのでカタカナにします。χρυσοῖό は叙事詩体の名詞とも形容詞とも解釈できます。が、ここでは名詞としてみます。「貴重な金とオリハルコンで」となります。

さて、τρητοῖσι λοβοῖσινが別の意味にならないかの探求です。τρητόςの意味をイタリア語で調べると、「forato、traforate、cucito」となります。最初の二つの意味は「穴の開いた」の意味ですが、三番目は「縫った」です。この意味で解決策が見えてきます。花柄の布が描かれているので、これらを刺繍するためには縫う必要がありますから、この意味がこの絵で成立します。実際、アフロディーテに渡そうとしている衣装を見ると、いたる所に金色の装飾がされています。

τρητόςは分かったので、残りはλοβόςの意味です。これも植物の用語で調べてみると、「裂片」という意味が見つかります。花びらが一繋がりになっている花で、切れ目が入って別れているそれぞれのことを裂片と言います。葉やガクについても言います。カエデの葉っぱが一番分かりやすい例です。なおイタリア語ではギリシア語由来のloboという綴りをしています。

さて、ホーラが手に持っている衣装を見てみると、次のような部分が見つかります。

lobe

白い花は花びらが一つ一つはっきりと描かれていますが、金色の花は花びらが一つ一つ区切ってありません。まさに裂片として描かれています。しかしよく見ると、左上の株の花には塗り忘れがあります。塗り忘れはここだけではありません。でもこれも説明可能です。理由はこの文の動詞がアオリストではなく、未完了過去だからです。金の刺繍がまだ完了していない表現のため、白い花と違って、金色の花は描きかけになっているという細かな演出なのでしょう。

この文をまとめると、

オリハルコンと貴重な黄金で刺繍された裂片を持つ花々があった。

となります。

 

次です。これはアフロディーテの胸にネックレスが掛けられている記述ですが、これも直接この絵には描かれていません。

δειρῇ δ᾽ ἀμφ᾽ ἁπαλῇ καὶ στήθεσιν ἀργυφέοισιν ὅρμοισι χρυσέοισιν ἐκόσμεον,

この文の動詞はἐκόσμεονで、本来の解釈ではκοσμέω(飾る)の三人称複数未完了過去です。なおこれは一人称単数未完了過去とも同形になります。本来の主語は複数のホーラですが、やはりホーラを一人として解釈しているので、ここでは別の複数の主語を考えなくてはいけません。しかしそのときもし見つからなければ、誰かを一人称の主語として考えていいかもしれません。

この文の単語を見回してみると、δειρῇ、ἁπαλῇ、στήθεσιν、ἀργυφέοισιν、ὅρμοισι、χρυσέοισινはどれも与格になっています。前置詞ἀμφί(両側に、周りに)は与格、属格、対格支配をしますから、この前後の与格はこの前置詞の支配下の可能性が高いでしょう。そのほかは動詞のなんらかの補語になっているはずです。それぞれの単語のだいたいの意味は、δειρή(首)、ἁπαλός(柔らかい)、στῆθος(胸)、ἀργύφεος(白銀の、輝く)、ὅρμος(ネックレス、ひも)、χρύσεος(金色の)となっています。

δειρῇ ἁπαλῇ は前置詞ἀμφίの支配下にあるとします。これは本来の解釈と同じです。ἁπαλόςの意味は、イタリア語ではtenero、delicato、molleといった「柔らかい」という言葉で説明されているのですが、そのmolleの意味として他に「曲がりくねった」の意味が含まれています。そこでこの意味を採用し、「曲げた首のそばに」と解釈します。こうすると絵の中のアフロディーテの首を曲げた仕草を描写できます。

首の両側には金色の髪を束ねている白い紐が描かれています。この紐の色は、ただの白ではなく光沢のある白です。この紐の描写としてἀργύφεοςが使えそうです。ὅρμοςは本来の解釈ではネックレスとされていますが、鎖や紐の意味もあるので、これも使えます。したがって、ἀργυφέοισιν ὅρμοισιの二語で、髪を束ねている紐を表していると考えられます。本来はστήθεσινを修飾するために中性与格とみなしたἀργυφέοισινでしたが、これは男性与格とも同形なので、男性名詞ὅρμοισιをそのまま修飾すると考えても問題ありません。

χρυσέοισινは、「金色の」という形容詞ですが、ここでは女神の金色の髪を示す名詞として考えてみます。ἀμφίの「両側に」という意味を重要な物だと考えると、この髪も、対称ではありませんが、首の左右に分かれて描かれています。

残っているのは、στήθεσινですが、これはまさに右手によって隠しきれていないアフロディーテの両の乳房です。これもしっかりと紛れもなく、アフロディーテを美しく飾り付けている要素に違いありません。隠されてしまっていて完全には描かれていませんが、当然これも左右に描かれています。

こうして見ると、髪を束ねる紐、金髪、乳房と、アフロディーテの首を軸に両側に描かれているという共通点があります。アフロディーテ讃歌では、ホーラたちはアフロディーテをいろいろ飾り立てていますが、ボッティチェリは逆にたった三つの要素だけでアフロディーテを美しく飾っています。

さて、ここまで解釈してみて、三人称複数の主語となるものはどうもなさそうです。そうなると、1人称単数の主語になるのですが、その主語はボッティチェリ自身となります。なぜなら、そう解釈したほうが、私はいかにして美しく女神を描いたのかというボッティチェリの主張を読み取れるようになるからです。

私は、両の乳房と、曲げた首の両側にある白銀色の紐と、金色の髪で(アフロディーテを)飾った。

この文も前の文と同じように未完了過去の時制で書かれています。前の文と同じように、この時制を不完全な描写をあえてすることで表しているのならば、ここでもそう解釈できる描写があります。それはアフロディーテの風に乱れる彼女の髪です。白銀の帯は左右には描かれていますが、彼女の左肩の上のものは、真後ろのものが横からのぞいているだけです。右肩の上のように左側も束ねていれば、これほど激しく髪は乱れていないでしょう。つまり、この風に舞い乱れた髪の描写さえも、この文章から導かれる表現であるということです。



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