2006年09月18日

「独眼竜政宗」放送開始!

「独眼竜政宗」が時代劇専門チャンネルで明日9月19日(火)より放送開始!
 放送時間 月〜金 朝夜9時 土曜夜9時からも二話放送

「独眼竜政宗」番組詳細時代劇専門チャンネル

NHKで1987年に放送された大河ドラマ。全50話。渡辺謙の出世作。原作は山岡荘八『伊達政宗』。脚本はジェームス三木。古き良き質実剛健な大河ドラマ。明日からいよいよ、待ちに待った全話放送の開始だ。以前リクエストで放送されていたNHKでの総集編を見たけど、じっくり見直してみたかった大河ドラマだ。

ついでに自分の好きな大河ドラマをあげてみると、「独眼竜政宗」、「黄金の日日」、「武田信玄」。それと「新選組!」、「大河」として同列に並べるのには抵抗があるけど、作品としては大満足。

ちなみに今やってる「純情きらり」絡みだと19年前の若い三浦友和、竹下景子、村田雄浩、八名信夫が出る。
塩見三省、平田満も。

完全版DVDが発売されている。期間限定のDVD-BOXの入手は難しいが、ばら売りのDVD(全7巻)は今でも入手可能の模様。総集編版DVDもある。下のアフィリリンクはの山岡荘八の愛蔵版『伊達政宗』

伊達政宗伊達政宗
販売元 : Amazon.co.jp 本
価格 :
[タイトル] 伊達政宗
[著者] 山岡 荘八
[種類] 単行本
[発売日] 1997-03
[出版社] 毎日新聞社

>>Seesaa ショッピングで買う


◆関連する当ブログ記事
「梵天丸もかくありたい」

※いろいろ修正


posted by takayan at 21:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

「梵天丸もかくありたい」

「独眼竜政宗」やっぱりいい。今回は、第二話「不動明王」

初回もよかったけど、今回も印象深い場面があった。溺愛する生母義姫(岩下志麻)がひからびた梵天丸ぼんてんまる(のちの政宗)が失った目玉を食べる場面とか、父親の輝宗(北大路欣也)が梵天丸を立派な人物になるよういろいろと人材を集めていくところとか、乳母の喜多(竹下景子)が生母の義姫の嫌がらせにも負けずに、梵天丸に信頼されていくところとか。特に名ゼリフ「梵天丸もかくありたい。」という場面はよかった。そこのところを描き出すとだいたいこう:

暗い寺の中。中央では祈祷する僧がいる。隣に虎哉禅師こさいぜんじ(大滝秀治)もいる。その横を通り過ぎ、梵天丸は乳母の喜多に連れられて不動明王像の前に進んでいく。
梵天丸が像を見上げて、「これは化け物か」と喜多に問う。喜多は「不動明王様でございます。若様のお目を直してくださいますありがたい仏様でございます。」と答える。喜多が「お参りいたしましょう」と促すと、梵天丸は「仏様が何故このような恐ろしい顔をしておるのだ。」と問う。「さあ、それは」と喜多が困って答えられずにいると、突然後ろから「教えて進ぜよう」と声がかかる。二人が振り向くと、虎哉禅師が子どもだからといって容赦のない厳しい口調で説明する。「恐ろしい顔をしているのは悪をこらしめるためじゃ。不動明王は優しい仏様じゃ。そと見と異なり慈悲深い。篤と御覧じろ!」。それを聞き、梵天丸はありありと不動明王像をみつめて言う。「喜多、梵天丸もかくありたい」。そして目をつむり手を合わせる。

梵天丸と乳母との信頼、梵天丸の利発さ、虎哉禅師の厳しさを表している場面。この子役のセリフの言い回しが何故か貫禄があってとてもいい。虎哉禅師は以前から父輝宗より懇願されていたが、このやりとりを通して梵天丸の師となることを決意する場面でもある。
(セリフの聞き取れなかったところは徳田さんのコメントにより修正)


ところで前回、ここに独眼竜政宗のことを書いたとき(「独眼竜政宗」放送開始!)、政宗が正宗という字になってしまっていた。投稿した後、すぐに修正したけれど、ブログ検索では間違ったタイトルのまま検索続けられてしまう。恥ずかしい。正しく入力した人はあのページにはたどり着けない。

それから、そのとき完全版のDVDが手に入らないとも書いてしまったけど、期間限定の品物なので手に入りにくいということなので探せば何処かにあるかもしれないし、ばら売りならば7巻別々に買えば手に入る。
この時代劇専門チャンネルの「渡辺謙祭り」に乗り遅れた人はDVD見て追いついてください。

・Amazon.co.jpでの「独眼竜政宗 完全版」 DVD 検索結果(アフィリリンク)


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2006年10月07日

『名探偵モンク』放送開始

ミステリチャンネルで「名探偵モンク」の初回からの放送が始まった。

放送時間 毎週水曜日22:00〜。再放送は木曜〜日曜。詳しくはミステリチャンネルサイトで。
ミステリチャンネル 名探偵モンク / MONK

今月の放送予定
#1 狙われた市長候補
#2 モンクVS超能力
#3 復讐(ふくしゅう)殺人
#4 陰謀の観覧車

NHK BS2で今年7月に「モンク3」(=米シーズン4)が終わったばかり。アメリカでは現在第5シーズン放送中。

NHK BSで放送されているのを時々見てた。この機会に最初から見てみようと思ってる。一番印象に残っているのは、金魚が出てくるエピソードだ。
妄想や強迫観念に迫れていてこの人大丈夫かなという場面も多々見られるけど、その病的な観察力を武器にして難事件を解決していく。これはもともとの彼の明晰な頭脳によるものなのか、病気が悪化したためにより強化されてしまったのかは知らないが。妻の死という大きな苦しみを受け、カウンセリングを受けている悩める主人公モンク。人間味があって愛すべき主人公。

第1話を見逃した人、まだチャンスあります!自分自身そうなんですが。
残りの再放送 10/7 26:30-28:00、10/8 12:00-13:30

◆関連リンク
ミステリチャンネル 名探偵モンク / MONK
名探偵モンク - NHK
名探偵モンク2 - NHK
名探偵モンク3 - NHK
名探偵モンク - Wikipedia(ja)
Monk (TV series) - Wikipedia(en)
List of Monk episodes - Wikipedia(en)
Official Site of Monk - USA Network


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2007年01月25日

「新選組!」放送中

先日ちょっとふれたが、「新選組!」がBS-hiで放送中だ。
月曜から金曜までの午後五時から。
今日は第4話の予定。

第一回目を見逃したのは痛かったが、あらためて見ても「新選組!」はやっぱりいい。

火曜日にあった第二話「多摩の誇りとは」で栗塚旭が出た。本放送で見たときは、この人が何者だかまだ知らなかった。暴れん坊将軍で時々見かけた人だとは分かったが。それが、つい先日まで時代劇専門チャンネルで「新選組血風録」と「燃えよ剣」を見た後となると感慨深い。あの土方歳三がここにいる。

この「新選組!」では土方歳三の兄、土方為次郎役で出ている。盲目の役だ。粋な計らいというか、今から始まる若者たちの物語に素晴らしいはなむけの言葉をおくってくれる。

「新選組!」は大河ドラマらしくはなかったが、それでも好きな大河ドラマの一つだ。始まったばかりの今は、終盤の殺伐とした雰囲気とは違って、若者たちの希望や悩みがない交ぜになった青春物語といった感なのだが、それがまたいい。

今の雰囲気のままをずっと見ていたいという気もなくはないが、やがて来てしまう後半には、山南さんの切腹とその前の鈴木砂羽演じる明里との別れ、源さんの弾丸斬り、斉藤一の咆哮、そして新旧沖田総司の刀のバトンタッチ、などなど名シーンが待っている。


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2007年01月28日

仮面ライダー電王、初回

第一回目だから見てみた。この前の仮面ライダーは結局一度も見ていない。名前すら知らない。今度は、バイクではなく電車に乗るというので、心配になってみてみた。
電車つながりで、主人公の性格が電車男風味です。ちゃんと平成生まれのイケメンということになってますが。ライダー史上最も頼りないかもしれない。全部見てきたわけではないけれど。演歌の女王並みについてません。第1話の最後に主人公が「特異点」だということが謎の少女によって明かされます。この物語が時空ものだけに、「特異点」というネーミングセンスにニヤリ。大学の専門の数学や物理をやらならないと出てこない「特異点」という言葉を、これを見ている子どもたちのほとんどがこの物語の中だけでしか一生聞かないのではないかと。それはそうとバイクに乗るからライダーでしょ、こいつライダーを名乗れるの?と思っていたら、ちゃんと電車にバイクつむようになるみたいで、ちょっと安心。おもちゃメーカーに抜かりはありませんね。
変身すると、声が声優に変わります。平成ガンダムでよく聞く声。主人公がとり憑かれるわけです。変身後は「俺口調」になって、「俺、参上!」とか、「はじめからクライマックスだぜ!」とか変な口癖を連発してます。次回も見るかもしれない。

そのあと、プリキュアの最終回も見てみた。最終回にして、このシリーズ見るの初めて。姪っ子が楽しみに見てるんだろうな。でも思い入れがないとふーんという感じで見てしまう。次回もまたプリキュア。今度は5人組。美少女戦隊ですな。
ドレミのころは意外に見た。七時半に戦隊シリーズがあって、八時から仮面ライダーがあって、でも八時半からのこの時間は、丁寧な子どもの心を描く作品があって、心が洗われてました。でも今は三番組連続で腕力で問題を解決する物語が続くっていうのは、いかがなものか。スポンサーさん。


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2007年01月29日

『ハウルの動く城』感想

寝る前、NHKで久石譲の番組があっていた。いい曲ばかりだ。ずっと聞いていた。

NHK番組情報
アジアの風に吹かれて〜作曲家・久石譲の世界〜

チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2007年 1月28日(日)
放送時間 :翌日午前0:40〜翌日午前1:25(45分)
ジャンル :音楽>ライブ・コンサート

関連して、番組予告の情報

久石譲コンサート アジアンエクスタシー
チャンネル :BS2
放送日 :2007年 2月 3日(土)
放送時間 :午後3:30〜午後5:00(90分)
ジャンル :音楽>ライブ・コンサート



その中でハウルの曲もやっていた。そう言えば、半年前にハウルのこと書いて、結局ここに投稿していなかった。そういうわけでまた投稿し忘れるかもしれないので、今投稿。


映画館に行かなかったし、DVDも見なかったので、「ハウルの動く城」は先日のテレビ放映が初見だった。思ってたより良かったので、なんか感想を文章にしたくなった。情報源はこの放送なので解釈が間違っているかもしれない。それにネタバレがあるので、まだ見てない人は読まないほうがいい。

「ハウルの動く城」って結局何が言いたかっただろうと、見終わっていろいろ考えてしまった。いろんな人が出てきて、いろんな呪いがあって、いまいちよく分からなかった。戦争ってあんな簡単に終わらないでしょうとか、呪いはどうして解けたのとか、いろいろ疑問が残ってしまった。だからもう一度見直してみた。するとあっさりわかってしまった。分かった気分になれただけかもしれない。見直さないと分からないのは僕の理解力のせいもあるんだけど、セリフの聞き取りにくさにもある。よく見るとちゃんとヒントしゃべってるから、話の流れが分かって、疑問を持ってから見直せば、納得がいく。そうしてみると、こんなふうに見終わってみて考えさせてくれる点だけでも、この映画もなかなかいいなと思った。宮崎アニメで一番好きとは言えないけれどね。良作だと思う。

ソフィーが90歳の老女になるというのは、女性としての表面的な魅力を失ってしまうということ。そこには、女性としての魅力って一体なんだろうという問いかけがあるんだろう。でも90歳の老女となったソフィーは決して、魅力を失った人とは描かれない。様々な者達に慕われ、彼らを惹きつけ、ハウルの城を賑やかな家庭に変えていく。それは彼女が老人だからではなく、ソフィーその人の性格もあるだろう。だって若い女の子が一晩でおばあちゃんになってしまったというのに、その立ち直りの早さ!老人になることでものの考え方も変わったと本人も語っているけど、そこにはソフィーだからこそということが、最初の短い彼女の実年齢時の描写に描かれていると思う。帽子屋での地味な仕事に真剣に取り組んでいる姿は、その姉とは対比的な人気者の妹からは批判されるけれど、今何が重要なことなのか自分が何をすべきなのかソフィーがちゃんと考えることができる人間であることをあらわしている。
ソフィーは呪いが解けていないはずなのに、ときどき若々しい表情に戻る。眠っているときも呪いは解けているように見える。これってどういうことなのかなと疑問に思う。これはよくわからなかった。

一方のハウル。誰にもできない魔法と、そして女性を虜にする美しさを兼ね備える若者。礼儀作法も申し分ない。また一人で戦場に出かけていき、勇気や正義感にもあふれている。でも彼には大事な何かがかけている。このままでは彼は恐ろしい存在になってしまう。次第にそれがわかってくる。同じ城の中に住むことで、そしてソフィーだからこそ見ることができた、彼の弱さ。彼の純粋さの理由も見えてくる。彼は自分の寝室のいろいろな品物を指して、それらが自分の臆病さから守るためのものだと告白する。彼を守るためのものは、寝室のものだけでなく、この城の中にあるものすべてがそうなんだろう。いや、それだけでなく、この奇妙な動く城そのものも、そして今の彼自身も、そうなんだと思える。カルシファーを手に入れるに至った理由も、結局は自分を守る力がどうしてもほしかったからだ。
彼は自分のために魔法を使う男だったが、ソフィーとの出会いによって、人のために魔法を使うようになる。彼は彼自身でも、ソフィーの存在を通じて自分の失ってしまったものを取り戻しつつある。

物語の中心にある大きな謎に、ハウルと火の悪魔カルシファーの間に結ばれた契約がある。この契約の場面をソフィーは覗くことができた。これは実際にその過去の時間に行ったのか、それともその記憶に触れることができたのか、わからない。けれど、彼女はそれを知ることができた。その人のことを深く愛し、救いたいと心から願ったからという理由で十分だと思う。

水をかけたら、死んでしまうはずのカルシファーもソフィーの水では死ななかった。それは何よりもソフィーに純粋な気持ちがあったからだ。自分をこんな境遇に陥れた最も憎むべきはずのおばあさんを必死になって助けたいと願う気持ちでは、誰の命もなくなりはしない。人の命を心から大切に思う気持ち、そして同じように自分を心から大切に思ってくれる人への感謝の気持ち、この単純な気持ちを失わずに皆が生きていければ、世界はすぐにでも幸せで満たされるのではないかという希望を最後にうったえている、そう思った。戦場の中心ではなく、どことも知れないところを走っている、鎧のはがれた動く城だった物の上で、愛する人の復活と、そして戦争の終結に結びつく出来事が起こるというのは、決して偶然ではないだろう。

誰もが呪いをかけられた人生を生きている。世界そのものにだって呪いがかけられている。でも、それが自分の行動が招いたことなのか理不尽にかけられたことなのかは問題ではないんだ。みながソフィーのように生きることができれば、この呪いに喩えられるそれぞれにとっての何かを克服していくことができるのではないか。そんな気持ちにさせられた。呪いが解けた後も、ソフィーの髪の色は元のようにはならなかった。けれどハウルはそれを褒め称えた。呪われていた月日の名残も、彼女自身の大切な人生の一部に他ならない。


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2007年04月09日

二代目風車の弥七

今日から水戸黄門第37部の開始である。毎週毎週のお決まりの筋書きの中に、唯一無二のその回だけのドラマを作ってるんだなというのが見えてきたら、もう見るのがやめられなくなる。里見浩太朗の黄門様もいい。いままででも一番活動的な黄門様なんじゃないかな。悪者を懲らしめるときも強すぎるし、話の流れの中でいろいろな役になりす頻度も歴代のなかで多いはず。
(参照:以前書いた里見浩太朗が出てくる記事徳川将軍家役者

今日は、新聞に今日から始まると広告が出ていた。でもこれは!知らない人間が御一行の中にいる。誰だか分からないが、アキの隣にいる。鬼若がいないから、鬼若の代わりの役者かな。でもよく見ると、手元に風車(カザグルマ)を持っている!

そういうわけで、37部公式ページを見る。「水戸黄門第37部 公式」。確かにいる。赤い風車を持った弥七のような人が。鬼若はいなくなってはいない。

サイト内にちゃんと記事があった。製作発表のときの写真があるが、時代劇ではない服装でみんなが並んでいるとすごい違和感。鬼若に最大の敵が現れるのか。なかなか面白そうな展開らしい。お銀・お娟の入浴シーンは190回なのか。
水戸黄門第37部 かわら版<『製作発表レポート』/a>

Wikipediaを見てみる。
水戸黄門 (テレビドラマ) - Wikipedia。あまりにも情報量が多いので見るのがたいへんなのだが、鬼若のことについて書いてあった。
このシリーズから8年ぶりに風車の弥七が復活。兼ねてより出演を要請していた内藤剛志が快諾し、2代目弥七を演じる事となった(6月18日放送分(予定)から出演)。
31部から登場していた風の鬼若演じる照英の最終シリーズになる(6月11日放送分(予定)まで出演)。

それはそうと、鬼若死んでしまうのか?どんな別れになるんだろうか。アキ様残して、生きたままいなくなるというのは考えにくいのだけれど。

中谷一郎の身軽なイメージの弥七。でかい内藤剛志には身軽な印象はないけど新しい弥七はどうな活躍をするんだろう。ぜひとも必ずクルッととんぼはきってもらいたい。六月になるのが楽しみ。


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2007年06月12日

『死ぬな!風の鬼若!!』

せっかくなのであらすじを書こう。
知りたくないときは読まないで。

第37部 水戸黄門 第10話『死ぬな!風の鬼若!!』(能代)
TBS系列 2007年6月11日20時〜

とうとう、風の鬼若とお別れの回。
先週から、アキが黄門様のことジイジと呼ばなくなったり、そんなアキ様の成長ぶりを鬼若が優しいまなざしで見つめている場面があったりと、着々と別れのときが近づていた。

冒頭からアキ様と鬼若中心で物語が始まっていく。二人のセリフの中に「風車」という言葉が出てくるところあたり、話上共演できない二人のバトンタッチの意味を込めた演出だろう。

アキ様と鬼若は秋田の山の守人をしているアキ様の母方のおじいさんに会いに、黄門様御一行とは別行動。
しかしおじいさんは山中で何者かに襲われ、生きて会うことができなかった。
アキはおじいさんをおくるときも、涙一つ流さない。
それがアキがいままで鬼若と一緒の旅の中で、強く成長してきた証でもある。
不幸を知った御一行も村に合流するが、みんなは気丈なアキを見て強く成長していることを思いながらも、その心の底の悲しみを察している。

鬼若は、アキの祖父をおくった後、小さな仏像を彫り始める。
それを見つけたアキが問うと、アキ様はいつかは成長して自分から離れるのだから、そのとき自分の身代わりとなるものだという。そしてこれはまだ完成していないので、渡せないという。

町に入ったとき、行方知れずになる者がいるらしいとの情報を知っていた老公たち。今回のおじいさんの死もそれと関係あるんではないかと探索を始める。格さんとお娟は山に潜入しようとするが、お娟は腕に矢を受け深傷を負ってしまう。
傷の癒えないお娟を残して、御一行は町と山に別れて探索を続ける。
老公は、悪党たちが出入り禁止にしてある札山の杉の木を勝手に伐採して私腹を肥やしていることを突き止める。
しかし老公は、敵の屋敷で捕まってしまう。
黄門様と引き離された格さんと新助は、蔵の中で縄で縛られ身動きができない。
唯一の頼みの綱は、敵の用心棒として入り込んでいる助さんだが、今は助け出す機会をうかがっている。

いつもの頼もしい味方が、バラバラになってしまって、黄門様御一行がこんな危ない状況になるなんてそうあることじゃない。
そんなときだからこそ、起きてはならないことまで起きてしまう。

山の方では、アキと鬼若、そしておじいさんの手下だった三人が、仇をとるために、あやしい札山に乗り込んでいた。敵の忍者たちは手強く、アキの味方は一人また一人とやられてしまい、アキと鬼若も離ればなれになってしまう。

鬼若の目前に夜叉王丸が現れる。夜叉王丸は昔は鬼若と因縁の対決を繰り返してきたが、今は時として協力し合う仲となっている。
夜叉王丸は抜け忍を探しにこの山まで来ていた。鬼若がアキと五郎太が一緒にいることを夜叉王丸に告げると、すぐに駆け付けろと鬼若に忠告する。
夜叉王丸は老公にこの山で起きていることを知らせに向かった。

町では格さんが縄を抜け、動けるようになったお娟もかけつけ、助さんも雇い主を裏切って、いつもの立ち回り、そして印籠。いつもならばここでめでたく終わるのだけど、終われるわけがない。そこに夜叉王丸が現れる。

鬼若が駆け付けたときアキは無事だった。
アキが鬼若の言うことを聞かなかったことを詫び、そしていつまでも自分の元にいてくれと頼む。
鬼若はその言葉に心からうれしそうな顔をみせる。

その瞬間突然の銃声で、鬼若が崩れる。五郎太は味方を装って、二人の隙を狙っていたのだ。
今までアキと一緒に行動していたこの五郎太こそ、実は敵方の忍びの首領であった。
鬼若は深傷を負いながらも、アキまでも亡き者にしようとしているその相手と必死に戦い続ける。

御一行もようやく争っている二人が見えるところまで駆け付けるが、一足遅く、鬼若と五郎太がもみ合ったまま崖から落ちて激流にのまれてしまう。普通じゃ助からないが、でも鬼若だったらもしかすとると。そんな期待を残しながらの最後だった。ただそのあとの夜叉王丸のアップは何か意味ありげだった。ただ力を認めた鬼若の死を悼んだだけかも知れない。

屋敷の中、老公とアキの二人。アキの前には鬼若の彫っていた仏像が置いてある。
アキはここに残って、鬼若が仕上げていない仏様を彫りに帰ってくるのを待つと言う。
老公は一緒に旅に出ることを説得しない。アキの思うとおりにするがよいと言う。ただアキに、一人ではなく自分たちがいることを忘れないでほしいと話す。老公の優しい言葉に、気丈なアキも老公に抱きつき泣き崩れる。
鬼若とアキの回想シーン。最初のまだ肩にちょんと乗るくらいの小さな頃のアキ様。鬼若の乗り越えてきた様々な戦いの場面。そしてもう肩には乗らずに自分で歩くと宣言したときのアキ様と鬼若の笑顔。

アキを一人残していくのが心残りの御一行は足取りも悲しげ。
しかし山道を曲がるとそこにアキが現れ、お供に加えてほしいと願う。
老公が、それでいいんじゃなとアキに問う。アキは、鬼若は追いかけてきてくれるからと答える。
悲しみを乗り越え内面的に大きく成長したアキを受け入れ、また旅が始まる。

一時間で放送するにはもったいないような、濃厚な展開だった。
今回のアキと老公の別れのシーンもそうなんだけれど、里見浩太朗のシリーズは、この黄門様とその回の主役との対話がとても心に響く。
他の黄門様も好きなんだけれど、このシリーズの対話のシーンは別格だと思う。

いよいよ来週、二代目弥七登場。
第11話『母と娘つないだ風車』(青森)
予告編で弥七登場。弥七らしくちゃんととんぼ切ってる!



■関連
水戸黄門公式サイト(TBS)

第10話『死ぬな!風の鬼若!!』(能代)

第37部かわら版その1『製作発表レポート』
鬼若が消えてしまってから、改めて製作発表の照英と晶ちゃんのコメントを読んでみましょう。

第37部かわら版その9『内藤剛志×宮川一郎 “風車の弥七”を語る!』

弥七通信vol.1『風車の弥七』
こういう連載も始まったようです。中谷一郎さんの初代弥七の写真もあります。


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2007年06月19日

弥七参上!

もう冒頭から、風車が飛ぶ!弥七も飛ぶ!
二代目弥七登場の回だからか、番組中風車、大サービス!

「弥七がなかまにくわわった」的イベントを期待していたのに、ご老公の前に飛んできた風車を見て、老公がもう当然のこととして「弥七」というセリフには、驚いた。新たなメンバーとしてではなくて、以前からご老公と関わりのある存在として扱っている。初代の存在に敬意を示し、初代のそれまでの活躍を否定しないで、そのまま引き継ぐというわけだろうか。

弥七との絡みはご老公と、ゲストの前田愛に対してのみ。他の御一行のメンバーの目にも入ったはずなのに挨拶も何も無し。
これでいいのか。どうなっていくのか。助格もお娟も、これからもそんな態度を取っていくのか。

ゲストの前田愛がやさぐれ女役。土場で博打を打ったり、一人酒で飲んだくれたり。今までのイメージとは全然違う感じだけど、そんなに悪くなかった。泥水は飲んでも体はきれいな、あばずれを好演。十分に弥七登場の大切な回を盛り上げてくれた。

ストーリーとしては、瞼の母の女版のような、やっと出会えた生みの母に嫁入り前の娘がいて、親子であることを無下に否定されてしまう。その仕打ちにひねて、悪党にそそのかされて仕返しをしようと母が仕切る廻船問屋にしのびこむと。。。てな話。弥七は今回の主役ではなくあくまでも影から支える役に徹している。

内藤剛志が演じる風車の弥七にはどうしても違和感を感じずにはいられないけど、初回はまずまずという感じ。今後慣れていけるかもしれない。

●番組情報
第37部 水戸黄門 第11話『母と娘つないだ風車』(青森)
TBS系列 2007年6月18日20時〜


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2007年06月20日

セクシーボイスアンドロボ最終回

この物語はなかなかよかった。
七色の声を操る14才の少女「ニコ」とロボヲタで女好きの青年「ロボ」の冒険活劇。メルヘンのような展開ながら、えぐるような世界を描いていたりする。

テレビの前できっとみんなひいてるんじゃないかなと思うほどの極端なまでのロボ(松山ケンイチ)のヲタ演技さえ乗り越えれば、普通じゃ恥ずかしくて聞いてらんない人生の本質を語りあう場面が現れてくる。ロボの一途な行動の後だからこそ、そういう本質を語るような話が平気にみていられるというものだ。

ストレートすぎるメッセージもあれば、今回出てきた二人にしか見えない小鳥のような、比喩的なエピソードを通しての遠回しのメッセージもある。毎回最後はニコ(大後寿々花)の独白で終わる。その回の体験を通しての、この現実を生きている生身の彼女が感じた包み隠さない気持ちが語られる。途中で音楽を止め、最後の一言で決める。見ている者の心に届けと力強くメッセージを投げかける。
最終回のメッセージは、ロボが劇中、自分自身の生き方についてニコに教えてくれた言葉を踏まえたもの。私を救えるのは宇宙で、私だけ。


結局二人は別れてしまう。明日また会うような会話をしながら、そのまま会うことがなくなってしまう。一度だけニコはロボを見かけるが、夢中に星空を眺めている姿をみたら声をかけられなかった。それでもニコは変わらぬロボの姿を見つけられただけでも心からうれしかっただろう。きっと二人はもう二度と会わない。恋人ではなかったけれど、とっても変なやつだったけれど、ほんの短い間だけ同じ感性で世界を一緒に共有できた大切な人。ニコの少女時代の一つの思い出となるのだろう。

二人が完全に別れてしまうことの象徴としての表現が、ニコが感じることができなくなった二つの存在、小鳥と、中村獅童演じる幽霊の「三日坊主」だと思う。最初はニコにも感じることができていたのだけれど、話が進むにつれて、小鳥も、三日坊主も、ニコには見えなくなってしまう。一方のロボには最後の最後までずっと見えている。その原因が、自分の気持ちを殺し周りに迎合してしまうニコの態度であるように思えたが、それだけが理由ではなかった。ニコが感じられなくなった原因は結局なんだか分からない。ニコはそれを受け入れる以外にない。

とても切ない。同じ世界を共有できないことは、悲しいことだ。今まで当たり前のように二人だけで共有できていたことだけに。そしてこの距離は決して埋めることができない。でも人と人との間にできてしまう距離というのはそういう理由のはっきりしないものだったりもする。好意を持ち続けていたとしても、それはどうすることもできない。そんな理由でニコは星を見ているロボに声をかけられなかったのだと思う。ニコのロボへの気持ちはとても切なく終わるけれど、二人はそれぞれの人生を自分の気持ちに正直に生きていこうとする。この物語の最後を僕はそんなふうに感じた。


posted by takayan at 03:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする