2006年07月26日

怒り心頭に発する

今日の記事
国語調査:「怒り心頭に発する」を「達する」と誤用多く -- MSN毎日インタラクティブ

はい、間違って覚えていました。ことわざとか漢字の読みとか得意なつもりだったのですが、間違って覚えていました。

「怒り心頭に発する」が正解です。以後気をつけます。
意味は、心底から激しく怒るということ。


google検索でも、「達する」と書いている人の方が多いです。「達する」5650件「発する」615件。そして「発する」の方は、この間違いを指摘しているページがいくつも出ているから、実質はもっと少ないってことになります。「達する」の方も重複してるから、そっちも減ってきますが。


小1、小2の時の先生が二人とも国語が専門の先生だったので、そのとき分からない言葉はちゃんと辞書を引くという習慣を身にしみこませてもらいました。ここのブログも知らないことを調べ知ることが楽しいから作ったわけです。小3のときに自分専用の広辞苑を買ってもらって親指の感覚で探せるようにまで夢中になって使っていました。中1のとき国語の先生に「故事成語辞典」は持っとけよと言われて真面目に買って、おもしろがってそれを読み物として楽しんでいました。だから言葉に関してはちょっと自信を持っていたのに、かなりショック。驕りは禁物です。


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2006年08月20日

『北斗の拳』の斗の字

『北斗の拳』は大好きだ。
最初に買ったジャンプが『北斗の拳』の初回だったせいもあって、思い入れがある。あのインパクトはすごかった。すぐに、『マッドマックス2』のモロパクリの時代設定だとは分かった。でも良い。ブルース・リーの影響もいい。あの濃い絵のタッチと、北斗神拳の破壊力は、とにかくいい。格闘マンガ最高!
それにしても今では『北斗の拳』は知ってても、『マッドマックス2』知らん人の方が多そう。

さて本題。
この『北斗の拳』の『斗』の字、『闘』の略字として使われることがあるが、この『斗』の字には一切、「闘う」の意味は含まれない。手書きの時代、『闘』の画数が多いために、音が同じこの字で代用されてきた。これを活字としては使わないほうがいいだろう。許されるのは、誤用だが手軽な略字だと割り切って、手書きのメモ書きの場合だけだろう。

『北斗の拳』のセリフの中でも『斗う』という使い方はしていなかったはずだけど、これを読んだ後に、どこかで『斗う』と使うことがあるという知識を吹き込まれれば、ずっと『斗』の字に「たたかう」の意味があると思い込んでしまうだろう。このマンガのせいで、かなり多くの日本人が子どもの時に刷り込まれてしまっているんじゃないかと心配したりする。昔は学のある人たちが割り切って使っていたことが多かっただろうが、まだ知識のない子どもたちへのマンガ由来での浸透だからちょっと心配。くれぐれも漢字変換できないとか苦情は言わないように。

『斗』は、水をくむ道具の象形文字。日本だとヒシャクという道具。意味はそれに由来する。北斗七星の形を見ればいい。ちゃんとヒシャクの形をしている。そのことは小学校でみんな習っているはずだ。北天にあるヒシャクの形の七つの星、それが北斗七星(大熊座)。ついでにいうと、南斗六星も、南にあるヒシャクの形をした六つの星(射手座)。でも『北斗の拳』では南斗六星のヒシャクの形を全く強調していなかった。それは意図的なのか、それとも知らなかったのか。

もうひとつ。ローマの初代皇帝アウグストゥスには胸から腹にかけて大熊座のあざがあったという伝説がある(スエトニウス著『ローマ皇帝伝』)。本を読んだとき、絶対これを元ネタにしてる!と思った。ユリアの名前がローマ風なのも、ここから来ているのではないかと密かに思ってる。


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2006年09月05日

村山槐多「いのり」

「純情きらり」で冬吾が引用した槐多の詩に関心を持って、純情きらり(130)でも抜き書きしたが、「槐多の歌へる」を手に入れたので、分かったことを少し書いておく。

ドラマの内での引用では実は詩の前半部分だけである。これだけでも十分槐多の心情を表していると思うが、折角なので全文を引用してみる。底本は「中央公論新社 日本の詩歌17」

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いのり
    わが神はわれひとりの神なり

 神よ、神よ
 この夜を平安にすごさしめたまへ
 われをしてこのまま
 この腕のままこの心のまま
 この夜を越させてください
 あす一日このままに置いて下さい
 描きかけの画をあすもづづけることの出来ますやうに。

 神よ
 いましばらく私を生かしておいて下さい
 私は一日の生の為めに女に生涯ふれるなと言われればその言葉にもしたがひませう
 生きて居ると云うその事だけでも
 いかなるクレオパトラにもまさります
 生きて居れば空が見られ木がみられ
 画が描ける
 あすもあの写生をつづけられる。

       ――― 十二月八日

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槐多は1919年2月20日に22歳で夭折した。つまりこの詩が書かれた1918年12月8日というのは死の2ヶ月ほど前になる。この年の四月に結核性肺炎で血を吐いて倒れ、その後療養するも喀血を繰り返した。この頃は自分の命と向き合いながら最後の創作活動をしていた時期である。

「槐多の歌へる」は彼の死後に集められた遺稿集である。槐多は生前画家として評価された人であるが、没後1年にこの詩集が出版されることで、詩人としても世間から評価を受けることになる。
この「いのり」のあとには二つの詩がある。最後の一つは日付的にはより以前のものらしいと脚注にある。読み比べてみれば分かるが、最晩年に最後の輝きを放つ詩はこの「いのり」だ。

8月31日の投稿のとき、ネットで情報を探してみたがドラマの言葉から聞き取ったものと違ったので、そこからは引用しなかった。またネット上には「いのり」と同じ文言を第三の遺書としたものもあった。ここにある「槐多の歌へる」の脚注で、遺書のことにも触れてあるが、それには第二の遺書のことまでしか書かれていない。また第二の遺書の日付は2月7日となっている。


僕にはまだこの詩の心境が自分のものとして分からない。


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2006年09月11日

ピンキリの語源

テレビを見ていると、歌舞伎由来の言葉を扱った番組をやっていた。ウッチャンナンチャンが司会をしている「クイズ!日本語王」の歌舞伎の言葉の回。時間帯は東京とは違ってたらしい。

知らない言葉も出てきたりして面白かったが、「ピンはね」の語源のとき、先生がついでに「ピンキリ」の話をして、その話ちょっと違うだろうと思った。

ピンキリのピンはピンはねのピンと同じで、一のことを表し、キリは十で、十字架の形、つまりキリストだからキリと呼ぶとか言ってた。常識的に考えてそれはありえんだろうと思った。

当初からキリシタンという言葉は使われていたと思うが、十字架をキリと呼ぶという話は聞いたことがなかった。この先生の専門は歌舞伎由来の言葉だというのだから、それ以外の由来の言葉は不案内だと思うんだけど。


以下、調べた結果(有力と思われる説)

ピンキリ=
始めから終りまで;最上等のものから最下等のものまで。
ピンはポルトガル語「点」であり転じて1を意味し、キリは最後のカードを意味する。これにより、最初から最後までの意味を表す。

ピンはね=
興行主が役者の手当をあらかじめ手数料として1割引くこと。転じて、他人の利益のうわまえを先に取ること。この1割の1を表すのにポルトガル語由来のピンが使われた。

ついでに、ピン芸人のピンも同様にこのポルトガル語由来のピン。


以下、その理由と考察

ピンキリは「ピンからキリまで」の省略で、ピンからキリまでは、

 広辞苑によると
  ピンからキリまで=
  (1)始めから終りまで。
  (2)最上等のものから最下等のものまで

ピンの由来:

 広辞苑によると
  ピン=
   (pinta(ポルトガル) 点の意)
   (1)カルタ・采(さい)の目などの1の数。
   (2)はじめ。第1。最上のもの。

つまり、ピンはポルトガル語のpintaが語源らしい。意味は点。カードやサイコロの一の目を表すのに使われたらしいので、転じて1の隠語となった。

pintaをポルトガル語の辞典で調べると、実際に「点」の意味があった。ちなみにpintaは動詞pintarに由来する語で、これは英語のpaintに相当する。

2008.2.8追記:(pintaには点の意味はあることはあるみたいだが、斑点やしみの意味らしい。これについての考察は、ピンキリ考第三弾に書いた。)


ポルトガル語オンライン辞書 Lingua Portuguesa On-Line

ただしこのオンライン辞書は結果もポルトガル語なので、確認するには、Babel Fish Translationを利用して「Portuguese to English」で英語に訳した。

サイコロのあの一の点を思い起こすと、なんだか納得いく。でもカードに関していうと当時の1のカードは今のトランプのような真ん中に一つのスートのマークが入る形式ではなかった。そういうわけで、最初はサイコロ由来だと想像できる。でも、当時日本に来たポルトガル人がそう呼んだという記録がなければ何とも言えない、見つからないだろうが。

キリの由来:

 広辞苑によると
  キリ=
   クルス(cruz(ポルトガル))の訛。十字架の意から転じて、十の意。

広辞苑には、こう書いてあるのだけど、以前調べたときは別の説を見つけた。

わかりやすい解説を探すと、[暮らしの歳時記]All Aboutのえっ!「松竹梅」は平等で「ピンキリ」は逆?。ここに紹介されているように、「限り」を意味する「切り」という説である。

 広辞苑で「切り」を調べてみると、ちゃんと書いてある。
  切り=
  (6)天正カルタで、武将をかたどった最後の12の札。

「天正カルタ」はポルトガルから伝わったポルトガル式のトランプを日本で作ったものである。なお当時のポルトガルのトランプは現在日本で使われているトランプとは枚数や絵札などに違いがある。

これに関連する話として、花札の12月の花が桐(キリ)となっているのも、この天正カルタで12をキリと呼んでいたことの名残とする説がある。花札は禁令を逃れるために天正カルタのようなトランプらしさを表面的に排除していったすえに出来上がった日本独自のカードだ。


考察:
キリについては、クルス(Cruz)がキリに訛って十字架だから十を表すと言うよりも、最後のカードをキリと呼んでいたことのほうが説得力があるように思う。ピンもキリもカルタ(カード)の用語として使われていたわけだから、両者を並べて使うことにも違和感がない。
これに対してキリがクルス由来であると主張するためには、キリという言葉が、この言葉が作られたとき人々が誤解しないくらいに12の意味以上に十の意味として強く使われていたという事実を示さないといけない。



参考資料
三池カルタ記念館の紹介...復刻天正カルタの画像、カルタの歴史一覧がある。

更新 2006年9月12日1:05:09

追記 2007.5.1
その後、また考えてみた。「ピンキリ再考」。かえって答えが出せなくなった。

追記 2008.2.8
今度はピンについて調べてみた。
「ピンキリ考 第三弾」


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2007年01月24日

上目線

最近の言葉で、僕はどうしてもこの言葉がなじめない。理由は明快。意味のベクトルが字義のベクトルと違っているから。「目線」という方向を伴う言葉に、上という方向を示す言葉がついていれば、直感的にどうしても僕は上向きのベクトルをイメージしてしまう。けれどこの場合の「上」は方向ではなく位置を示すためにつけられていて上の立場から下に向けられる目線という意味で使われる。ベクトルは下向きになる。この紛らわしい点に配慮してか「上目線」と言わずに「上から目線」という良心的な使い方をしてくれる人もいる。どうしても使いたい人はそう言ってほしいと切に願う。

「見下す」という言葉があるのに、どうして「上目線」を使うんだろうかと考える。すぐにわかることだけど、この言葉には上目線を向けられている自分が一切問題にされていない。この点で「見下す・見下される」という言葉とは完全に異なっている。この言葉は、相手の行為ではなく、自分の体験でもなく、相手の態度のみを語っている。この言葉は、見下されるような立場にある自分の惨めさ、見下された心の痛み、見下された理由など、そういう自己への言及を一切回避している。この「見下す」という生々しい意味を回避していることで、軽い謝罪にも利用される結果となる。「上目線でごめん」とは書けても、「見下した表現でごめん」とは決して書けない。

「目線」と似た言葉で、「視線」という言葉がある。ほとんど似た意味であるけれど、「視線」の方が一般的だと思っている。広辞苑で調べてみると、目線という言葉は、「もと、映画・演劇・テレビ界の語。」とある。この響きの特殊性はそういうところから来てるんだろう。

広辞苑では両者の意味の区別は書いていない。個人的な印象として、目線という言葉の方が、相手の目の位置や立場を強調しているように感じる。つまり「視線」と「視点」の両方の意味を含んでいるように思える。見かけたことのある「○○目線」という言葉:「お客様目線」、「子ども目線」、「親目線」、「赤ちゃん目線」。これらは「視線」で置き換えると使えなくもないが意味が微妙に違ってくる。「目線」を言い換えるならば「視線」ではなく、「視点」を使うほうがいいだろう。目線とはそういう属性を持つ言葉だと考えられる。類推し、そこまで考えると、方向としてではなく、位置としての「上」の用法は納得できなくもない。でも「上」という言葉は、立場だけではなく、本来より強い意味で方向を示す言葉であるために、やっぱりこの言葉の違和感を僕はどうしても払拭できない。


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2007年04月10日

イタリア語の辞書

昨日は仕事のあと、久しぶりにブックオフに寄った。とりあえず持っていないポルトガル語とかラテン系の言語の辞書があればと思って辞書の棚に行ってみたが、英語やフランス語ぐらいしか見つからなかった。

そのあと一番の目的だった岩波新書・黄版102松田道弘著「トランプものがたり」(1979/11) を探してみた。タイトル覚えてこなかったので岩波新書が並べてあるところをひとつひとつ眺めてそれらしい名前がないかずっと調べた。でもなかった。

このまま帰るのもなんだなと、何の気なく棚をざっと見回しながら歩いているとどこかの棚のその上に伊和辞典を見つけた。本との出会いはときどきこういうものがある。あとから考えるとまるでその本に引き寄せられるように歩いている。

きっと辞書の棚に入りきれないから適当に空いている場所をみつけて仕方なく臨時の辞書置き場にしていたのだろう。辞書とは全然関係のない、こんなところにあるなんて誰も思わない。マンガ目当ての人がほとんどのこの店ではイタリア語の辞書をほしがる人なんていないからかもしれない。値札は105円。ちょっと目を疑ってしまった。

家に帰ってから眺めてみるとその辞書は1994年発行のものだった。定価は6600円。箱入りでほとんど使っていない。手垢も付いていない。ただ試しに探してみると挨拶の単語にいくつか下線がひいてあった。

僕はオンラインや電子辞書よりも紙の辞書が好きだ。便利だからデジタルのほうもよく使うけど、それだと調べていることしか調べられない。紙の辞書は、使っているうちに馴染みの挿絵ができてくるし、めくってるうちに予期しない知識にも出会うことができる。そういう体験がいい。両手の中から言葉をとりだしているという感覚もいい。

そういうわけで、まだまだトランプ関係の投稿が続くだろう。


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2007年05月22日

ヨーロッパの竜を表す言葉

「世界の龍の話」(三弥井書店刊)という、今の僕にとってとても面白い本がある。この本では世界中に残っている龍の伝説が紹介されている。各国の物語の後には詳しくその国における龍の解説も書かれてある。この本で、ヨーロッパの地域で取り上げられているのは、イングランド、ウエールズ、スコットランド、アイルランド、ドイツ、デンマーク、フランス、スペイン、バスクと数多い。ヨーロッパだけでなく、東洋やインド、ペルシア、南米の話も載っている。

この本の解説で今回注目した部分を書き出すと、
・英語(イングランド)ではdragonとwormという語が使われる。
・英語に元々あったのがwormの古い形のwyrmである。dragonはフランス経由の言葉。
・ドラゴンとワームはともに鱗を持ち、水辺に現れ、娘を求めるという共通点がある。
・ドラゴンには四本の足があり、蝙蝠のような羽があり、先には針のついた尻尾を持ち、火を吐くという特徴がある。
・ワームには大きな蛇の姿をし、長くとぐろを巻き、毒のある息を吐き、切られても元に戻るという特徴がある。
・ドイツにも二つの系統がある。DracheとWurm(Lindwurm)。
・「ドラゴン」という語とその概念はローマ人を通じてゲルマン民族に伝えられた。それまでゲルマン民族は爬虫類に対する総称概念である「ワーム」しか知らなかった。
・「ドラゴン」は鰐と猛禽の合体したような姿をしている。
・「ワーム」は大きな長い蛇に近い存在である。
・デンマークにも二つの系統がある。drageドラーウェとlindormレンオアム。
・ドラーウェとレンオアムともに口から火と猛毒を吐く巨大な蛇型の怪物である。
・ドラーウェは四本の足と翼を持ち、昔話では頭が複数のこともある。空を飛び、自分の洞窟の中に宝を蓄え込んでいる。
・レンオアムは、巨大な蛇のような生物で、空は飛べない。「太さは人の腕、長さは三アーレン(約二メートル)」との記述がある。
・北欧の竜の歴史は古く神話までさかのぼるが、もともと北欧には空を飛ぶ竜がいなかった。
・翼のはえた北欧の竜は11世紀のエッダ「巫女の予言」で世界の没落ラグナロクに出現するニーズヘグNiðhöggrが最初である。
・スペインはdragón。
・スペイン北部のアストゥリアス地方にはculebra蛇という言葉から派生した名前のcue‘lebreクエレブレの伝説がある。固い鱗で弾丸をはじき飛ばすが、のどに弱点がある。
・バスク地方の竜エレンスゲErensugeは蛇に近い姿をしている。これには卵に弱いという弱点がある。


上のように、ヨーロッパには言語的にギリシア語系のdragon(代表して英語)とゲルマン語系のworm(代表して英語)の二系統の竜がある。

なお、 en.wikipedia:Slavic dragon を見て分かったが、ヨーロッパにはこの二つに加えもう一つスラブ地方限定のзмей(zmey)(代表してロシア語)というのもある。その中で有名なのがЗмей Горыныч(Zmey Gorynych)というもの。辞書で調べると、змейは、蛇、物語中の悪龍、凧の意。なお蛇はзмея、змеи。蛇の原義は「地を這うもの」でземля(地)と同源とある。

さて、最初の二つの系統に分類できる竜を表す単語を並べてみると(並びは系譜的ではあるとは限らない)、

ドラゴン系の言葉:
δράκωυ(ギリシャ語)、draco(ラテン語)、dreki(古ノルド語)、dreke(古英語)、traccho(古高地ドイツ語)、dragon(現行英語)、drache(現行ドイツ語)、drageドラーウェ(デンマーク語)、dragon(フランス語)、dragón (スペイン語) 、drago(イタリア語)、dragone(イタリア語)。

ワーム系の言葉:
ormr(古ノルド語)、wyrm(古英語)、wurm(古高地ドイツ語)、worm(現代英語)、lindwurm(現行ドイツ語)、lindormレンオアム(デンマーク語)。蛇・竜を意味しないがvermis(ラテン語)。


もう少し詳しく辞書で調べてみると、ドイツ語Wurmは、ぜん中類(ミミズなど)や昆虫の幼虫などの柔らかく細長い虫、古語として竜の意。原義はder sich Windende。動詞windenの例文の中に、die Schlange windet sich durchs Gras.(蛇が草の中をのたくって行く。)がある。竜を表す別の言葉Lindwurmは、北欧神話の竜を表す。この単語は古高ドイツ語由来で語中のlindは古くはlintと綴りこの部分でSchlangeの意味があった。もう一つの竜Dracheは火を吹く空想上の動物の竜、凧の意。ちなみにドイツ語での蛇はSchlange。これは動詞schlingen(巻き付ける)と関係がある。

英語wormは現在の意味には竜の意味は記述されていないが、語源の解説の中に古英語において、serpant,dragonの意味とある。dragonはギリシャ語δράκωυからラテン語、フランス語の順に伝わってきた。ギリシャ語での本来の意味は英語でserpent。またこのギリシャ語δράκωυは古英語torht(bright)や、ギリシャ語derkesthai(to see)に縁続きともある。ちなみに蛇を意味する言葉serpentはフランス語経由してラテン語から来た言葉。この語そのものはラテン語動詞serpoに由来し、これは英語crawlやcreep(這う)の意味である。


今回は、前回の記事を書くために集めておいて、書かなかった資料を書きだしてみた。今回の内容をまとめるとすれば、ヨーロッパでは、各地の蛇という言葉が基本にあって、それが大蛇、つまり竜を表すようになったと言うことができるだろう。

参考
・本「世界の龍の話」・・・amazon.co.jp。興味深い様々な龍の伝説がまとめてあるので、龍に興味がある人はぜひ目を通してみてください。
Merriam-Webster Online・・・辞書サイト
Dragon – Wikipedia・・・Wikipedia


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2008年02月08日

ピンキリ考 第三弾

ピンキリの語源についてまた調べてみた。
今回は「ピン」について。
あらかじめ書いておくけど、卑語とか出ます。

以前調べたように、広辞苑(第五版)によると「ピン」は、「pinta(ポルトガル) 点の意」とある。ここを疑ってみる。

ポルトガル語の「pinta」が対応する英単語は「point」ではなく、「paint」である。広辞苑にある「点」という意味より、斑点とか、しみとかいう意味の方が近い。では英単語の「point」に対応するポルトガル語はというと、「ponto」である。これはサイコロの目を指す言葉としても使われる。つまり広辞苑の解釈ならば、pintaよりもpontoの方が語源には適している。

「ponto」というポルトガル語を聞いて、「先斗町」を思い起こす人もいるかもしれない。広辞苑で先斗(ポント)町のポントを調べると「pontaは先、pontoは点の意。「斗」は捨て仮名」と書いてある。

辞書でpinta, ponta, pontoの語を調べてみると、近いところにpintoという語が出てくる。ポルトガル語の発音なので、ローマ字読みそのままにはいかないようだが。

pintoの意味を白水社の辞書で調べてみると、次のような意味が出てくる。
pinto m.
1.雛、ひよこ
2.<古語>ポルトガルの通貨
3.<口語>子供
4.<卑語>ペニス
なかなか面白い。

別の辞書だと(辞書の名前は忘れた)、
pinto s.m.
雛、ひよこ
<俗語>子供
召使いが買い物のピンハネをする。

最後のものは、記号の意味を忘れてしまったのだけど、ブラジルだけで使われる表現という意味だったと思う。

この古い通貨のはっきりした価値は分からないが、他の意味からして、低い価値の単位だったんではないだろうか。日本語における「一文」のような感じかな。そのため、最初は貨幣の単位だったものがほかの意味が派生してきたのではないだろうか。ポルトガル語の単語の語源なんてそう簡単に資料が見つからないので、今は憶測でしか言うことができない。ただ日本語でもペニスを息子と呼ぶ俗語はみんなもよく分かるものだし、すべて想像できる範囲の意味の変化だろう。

最後のがなかなか面白い発見。でもピンハネが出てきたのは単なる偶然ではないかと思う。小銭をごまかすのはとても分かりやすい言葉の転用だ。日本語のピンハネは元々他人の利益から「一割を取る」から来てることになっているが、もしかすると、同じ由来だったのかもしれない。

確認しやすいように、ポルトガル語のWikipediaでpintoの項を示す。
Pinto pode ser:
Ave filhote da galinha, frango.
Nome de familia (sobrenome).
Giria popular para penis.
Giria para crianca.
Pinto - unidade de medida.
pinto - pt.wikipedia

機械翻訳を利用して訳してみると、
・若い雄鳥
・姓
・ペニスを表す一般的な俗語
・子供を表す俗語
・計量単位(英語におけるパイント)
という意味になるだろう。

このように値が少ないもの、幼いものを表す言葉として当時も使っていたのかどうか分かれば面白い。そしてカードの一番少ない値に対してそう呼んだという例が出てきたら、なおいい。

もしかすると、天正カルタ(というかポルトガルカード)の竜の描かれた1のカードがペニスのように見えたのかもしれない。連想としてそう呼ばれたのかもしれない。ミミズのようなあの竜が。とにかく、当時日本に来たポルトガル人がそんな俗語を使っていたか、調べてみないと分からない。でも、ピンの語源がこれだったら、ちょっと困る。


・関連過去記事
ピンキリの語源
ピンキリ再考


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2008年07月17日

アイヌイタッアニ

昨日の検索語を調べてみると、見る前の予想では 「Flock」が多いと思ったのに、意外にも「あるアイヌからの問いかけ」が一番多かった。二年前にNHKの特集を見たときの感想を書いた記事だ。何故今頃?どこかでこの番組が上映されたのか。
 ETV特集「ある人間(アイヌ)からの問いかけ」

久しぶりに自分で読み返して、この番組の感動がよみがえって泣きそうになってしまった。決してうまくは書けていないのだけれど、番組を見たときの記憶を思い起こすには十分だった。

萱野茂さんのことをもう少し調べようと、萱野茂 - Wikipedia を開いてみたら、萱野さんが参議院でおこなったアイヌ語を交えた質問の文章が掲載されたページへのリンクがあった。
参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号

せっかく見つけたので、引用しよう。「アイヌイタッアニ」は、萱野さんがこの質問の時にしゃべったアイヌ語の文章のタイトル。日本語では「アイヌ民族の言葉で」という意味。


イタップリカ ソモネコロカ シサムモシリモシリソカワ チヌムケニシパ チヌムケ カッケマク ウタペラリワ オカウシケタ クニネネワ アイヌイタッアニ クイタッルゥェ ネワネヤクン ラモッジワノ クヤイライケプ ネルウェクパンナ。  エエパキタ カニアナッネ アイヌモシリ、シシリムカ ニプタニコタン コアパマカ 萱野茂、 クネルウェネ ウッチケクニプ ラカサッペ クネプネクス テエタクルネノ、 アイヌイタッ クイェエニタンペ ソモネコロカ、タナントアナッネ シサムモシルン ニシパウタラカッケマクタラ アンウシケタ アイヌイタッエネアンペネヒ エネアイェプネヒ チコイコカヌ クキルスイクス アイヌイタッ イタッピリカプ ケゥドカンケワ、 クイェハウェネ ポンノネクス チコイコカヌワ ウンコレヤン。  テエタアナッネ アイヌモシリ モシリソカタ  アイヌパテッ アンヒタアナッネ ウウェペケレ コラチシンネ ユクネチキ シペネチキ ネフパクノ オカプネクス ネプアエルスイ ネパコンルスイ ソモキノ アイヌパテッ オカプネアコロカ ネウシケウン シサムネマヌプ ウパシホルッケ エカンナユカラ エクパルウェネ。  インネシサム エッヒオラーノ ユクアウッヒ  シペアウッヒ ニアドイェヒ ハットホ チコイカラカヲ オロワノアナッネ アエブカイサム  アウフイカクニ チクニカイサム アイヌウタラ ケメコッペアナッネ ケメコツパワ オドタヌオドタヌ ライワアラパパ シツヌワオカ アイヌウクラカ アイヌイタッ エイワンケクニシサムオロワ ハットホアンワ アイヌイタッエイワンケ、 エアイカプパプ ネプネクス チイェワピリカプ アイヌイタッ ネアコロカ タネアナッネ ウララシンネ ラヨチシンネ ウコチャンチャンケペコロ クヤイヌアコロカ タネオカ ペウレアイヌウタラ ヤイシンリッ、ヤイモトホェプリウェンパワ イタッネヤッカアイヌプリ ネアヤッカ フナラパワ、ウゥォポキン ウゥォポキン エラムオカイパコロ オカルウェネ。  ネヒオロタ ニシパウタラ クコラムコロヒエネオカピ アイモシルン アイヌウタラカ コエドレンノ シサムモシリタ オカアイヌカ ェネネヤッホ アイヌネノ アイヌイタッアニ ウコイタッパワ ラッチオカ、アプンノオカクニ  コサンニヨワ ウンコレヤン ヘルクワンノネアゴロカ アイヌイタックイェ、アイヌイタッ エネアンクニ チコイコカヌヒ ラモッシワノ クヤイライケナー

参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号


その直後に書いてある日本語訳
言葉のあやではありませんが、日本の国土、国土の上から選び抜かれてこられた紳士の皆様、淑女の皆様が肩を接しておられる中で、成り行きに従いアイヌ語でしゃべらせてもらえることに心から感謝を申し上げるものであります。  私は、アイヌの国、北海道沙流川のほとり、二風谷に生をうけた萱野茂というアイヌです。意気地のない者、至らない者、私なので、昔のアイヌのようにアイヌの言葉を上手には言えないけれども、きょうのこの日は、日本の国の国会議員の諸先生方がおられるところに、アイヌ語というものはどのようなものか、どのような言い方をするものかお聞き願いたいと私は考え、アイヌ語を私はここで言わせていただいたのであります。少しですので、私のアイヌ語にお耳を傾けてくださいますようお願い申し上げる次第です。  ずっと昔、アイヌ民族の静かな大地、北海道にアイヌ民族だけが暮らしていた時代、アイヌの昔話と全く同じに、シカであってもシャケであってもたくさんいたので、何を食べたいとも何を欲しいとも思うことなく、アイヌ民族だけで暮らしておったのだが、そのところへ和人という違う民族が雪なだれのように移住してきたのであります。大勢の日本人が来てからというもの、シカをとるな、シャケもとるな、木も切るなと一方的に法律 なるものを押しつけられ、それからというもの、食べ物もなく薪もなく、アイヌ民族たちは飢え死にする者は飢え死にをして次から次と死んでいったのであります。  生きていたアイヌたちもアイヌ語を使うことを日本人によって禁じられ、アイヌ語で話をすることができなくなってしまいそうになった。言っていいもの、使っていいもの、アイヌ語であったけれども、今現在は、かすみのように、にじのように消えうせるかと私は思っていたが、今現在の若いアイヌが自分の先祖を、自分の文化を見直す機運が盛り上がってきて、アイヌ語やアイヌの風習、それらのことを捜し求めて、次から次ではあるけれども、覚えようと努力しているのであります。  そこで、私が先生方にお願いしたいということは、北海道にいるアイヌたち、それと一緒に、各地にいるアイヌたちがどのようにしたらアイヌ民族らしくアイヌ語で会話を交わし、静かに豊かに暮らしていけるかを先生方に考えてほしいと私は思い、ごく簡単にであったけれども、アイヌ語という違う言葉がどのようなものかをお聞きいただけたことに、アイヌ民族の一人として心から感謝するものであります。ありがとうございました。

参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号




この文章は、萱野茂さんの質問の最初の方で読まれている。そして、そのあとに国会らしい質疑応答が続く。

それにしても、並べてみると、いろいろなことに気づいていく。やっぱり僕は言語に対する好奇心が強いんだなと改めて自覚する。



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2012年04月13日

Oxford Latin Dictionary 到着

十数時間前、 amazon.co.uk から到着。でかい、でも今は、とにかくうれしい。

以前からほしかったOxford Latin Dictionary。でも、とにかく高かった。三万円以上もするものだから、ずっと二の足を踏んでいた。

それが、今年の3月に増補改訂新版が出るというので、正月くらいから、この機会に買うぞと決めていた。けれど、4月になってもなかなか日本のアマゾンで取り扱いを開始しない。海外のアマゾンは中のクッションがおおざっぱすぎるので、日本で済ませられるのならば、その方が良いと思っていたが、もうこれ以上待っていられない。結局、イギリスのAmazonから買うことにした。

4月2日に注文。高価なものだから空港の通過が追跡ができて3〜4日で届くやつでも良かったのだけど、それだと日本での価格を超えてしまうので、10日ぐらいかかる通常便で注文した。待ち遠しくて、何度、通常便にしてしまったことを後悔したことか。でも、昨日、発送日に提示された予定よりも一日早く到着した。

ラテン語辞書は、Pocket Oxford Latin Dictionary などは持っていたけれど、例文も無しで対応する単語の羅列ばかりなので、言葉の意味がいまいち把握できなかった。

最初に調べてみた mundus の意味を例に挙げると、ポケット版だと、以下の2行が意味の全てになる。

・m. toilet,ornaments;world;universe
・adj. clean,elegant;delicate,refined

一方OLDだと、この綴りの言葉について、広いページの三分の一を使っている。もちろんだが、言葉の意味の説明がちゃんとある。一部を抜き出すと、次のような文がある。

・elegant or refined in appearance, manners, or taste
・the articles a woman uses to beautify herself, toilet, or sim
・the world, the earth

そして、セネカや、ルクレティウス、オウィディウスなど有名どころからの例文がたくさん添えられている。まだちょっとだけしか見てないが、これが確認できただけでも十分幸せだ。

今までこれを使って研究をしてこなかったのが、恥ずかしいくらいだ。これで、今まで分からなかったいろんなことが調べられる。

オックスフォード大学出版局のこの辞書の解説のページ
http://www.oupjapan.co.jp/products/detail.php?product_id=993



posted by takayan at 03:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉・言語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする