「ワープする宇宙」に出てくる余剰次元のことをちょっと整理したくなったので、書いてみる。あらかじめ断っておくけど、僕の立場は科学好きの単なる読者なので誤解もあるかもしれない。
ネット上の解説文だけを読んで、その本が何を伝えているのかを判断している人もいるだろう。でもそれだけの情報だと、ランドール博士が最初に5次元時空を提唱したと誤解している人がいるんじゃないだろうかと思ってしまった。4の次の5だから、単純にアインシュタインの4次元時空を越える5次元時空の理論が出たと思った人もいるかもしれない。
それにNHKが彼女の理論が紹介するとき「異次元」という言葉をやたらに多用してしまっていることにも僕は違和感を覚える。意図的なキャッチフレーズなんだろう。異次元、異次元世界という言葉は、日本ではオカルトやSFで「異世界」という意味で使われることの多い言葉であるから、科学者の考えを指す言葉としては避けるべき言葉であるはずだ。この言葉に新たな意味を持たせて、彼女の説を表すキーワードにしたかったのならば、明確な定義をはっきりと示し、それを繰り返して誤解が生じないような配慮をすべきであった。番組では、表面的な紹介だけで、余剰次元の歴史は何も語られず、ランドール博士の漠然とした偉業だけが語られている。本来彼女の業績として強調すべきことは「歪曲した余剰次元」のアイデアによって、シンプルに、他の力に比べて重力が弱いことや、次元の見えない理由を説明できるモデルを作ったことである。
以下の文章は、ランドール博士の「ワープする宇宙」そのものを元にしている。他からの補足もちょっとある。
まず、私たちが日常接している次元の数は三つである。私たちは日常においてこれ以外の空間次元を見つけられない。また時間を次元の一つとしてこの空間次元と合わせて考えたものを時空と呼ぶ。時間は時空において次元の一つとして扱われるが、あくまでも時間は時間であり、空間次元とは区別される。この本の主役の「余剰次元」とは知覚できない空間次元のこと。理論上はそれがあった方が、いろんなことが説明できて都合がいいんだけど、どうしてもそれを見つけることはできない空間次元。
この本では五次元時空、つまり日常接する《空間の三次元》と《次元としての時間》に《一つの余剰次元》を加えた世界が語られる。けれど余剰次元が一つしかないと断言しているわけでもない。第一章39ページに次のような文章がある。
本書では、余剰次元の数がいくつになろうと、その可能性を柔軟な姿勢で探っていきたいと思う。この宇宙が実際にいくつの次元を含んでいるかを断言するのはまだ早い。これから説明する余剰次元についての考えの多くは、余剰次元の数がいくつであっても適用できるのだ。ごくたまに、そうでないケースも出てくるが、その場合はそれと分かるように明記しよう。
この本のタイトル「ワープする宇宙」も妙な訳だと以前書いたが、副題の「5次元時空の謎を解く」というのも、この引用からすると五次元に限定していると誤解しかねないから厳密には的確ではない。原書の副題は「Unraveling the Mysteries of the Universe's Hidden Dimensions」。「五次元時空」に対応する語は本来は「宇宙の隠された次元」という語になっていて、それもちゃんと次元dimensionが複数形で表されている。
第二章にすすむと、はっきりと「余剰次元」という考えが既に1919年に提出されていたことが書かれている。数学者カルツァが四番目の空間次元を導入し、その目に見えない次元の形状を数学者クラインが微少な円に巻き上げられているとした。この本では巻き上げられた四番目の空間次元をもった宇宙を指して「カルツァ・クライン宇宙」という言葉が使われる。このように次元を極めて微少にすることをコンパクト化という。ちなみに、この本では紹介されてはいないが、このカルツァ・クライン理論は、一般相対性理論から重力と電磁気学の両方を扱えるようにするための理論だ。
このように余剰次元という考え方はおよそ90年前からある決して新しいとは言えない。
この本のいたるところで、ひも理論、超ひも理論の話が出てくる。「ひも理論」は量子力学と一般相対性理論を組み入れられるとされる理論で、宇宙の粒子が粒ではなく「ひも」からなっているとする理論である。「超」は超対称性という特徴を持っているという意味である(それが何かはこの投稿では説明しない)。超ひも理論について詳しく書かれているのは、第14章。シュワルツとグリーンが算出した「超ひも理論」では次元数は10次元という考えが出される(1984年)。つまり超ひも理論では余剰次元が6つの空間次元になる(391ページ)。
この余剰次元も現実に合わせて見えなくする工夫が必要になるのだが、当初これを「弱い力」(素粒子の間にはたらく力)の性質を保ったままコンパクト化する方法が見つからなかった。しかしすぐに「カラビ-ヤウ多様体」という特殊な形にコンパクト化すればいいことが分かった。
「超ひも理論」以前の「ひも理論」においても26次元など大きな次元数が考えられていた。また現在も、複数の系統に発展した「ひも理論」をまとめる「M理論」において次元数は11必要になっている。
このように「ひも理論」が現れ、ひも理論とともに余剰次元の存在を多くの物理学者が理論の上において認めるようになっていった。
ひも理論の研究が進むと、ブレーンという高次元の膜のような物体も理論上欠かせないことが分かってくる。BSの番組でバスルームのカーテンで喩えられていたものだ。閉じていないひもの両端がブレーンに接し拘束されていると考えられる。その後、特定の粒子や力が全て拘束されているブレーンというものも考え出され、それはブレーンワールドと呼ばれるようになる。
第16章440ページに、2つのブレーンを並べて空間を挟む方法が紹介されている。これはホジャヴァ-ウィッテン理論によって使われるものだ。2つのブレーンには9つの空間次元がある。11番目の次元をこの2つのブレーンが挟み込んでいる。また2つのブレーンに別れて粒子や力が拘束されている。ブレーンには9つの空間次元があるため、先のカラビ-ヤウ多様体によって6次元を巻き上げコンパクト化する。
ブレーンを使った「大きな余剰次元」という考えも19章で紹介される。これは提唱者三人の頭文字を取ってADDモデルと呼ばれる。これは重力が弱いことを説明しようとするモデルである。一枚のブレーンを使う。これに標準モデルの粒子が閉じこめられている(巻末の用語解説の言葉を借りると、標準モデルというのは、既知の全ての素粒子と重力以外の力を、その相互作用とともに記述した有効理論のこと)。バルクに重力だけがある。余剰次元は円筒状に数ミリ程度に巻き上げられていて、その中心にブレーンがある。
このように九十年代後半、様々なブレーンワールドを使ったモデルが提出され、そして、いよいよ1999年ランドール博士とサンドラム博士の「歪曲した余剰次元」という考え方が出てくる。これには二種類ある。
RS1と呼ばれる最初のものは、二枚のブレーンによって余剰次元を挟み込む。第20章で説明されている。同じように二枚のブレーンで挟む上記HWモデルと違って、見えなくしなくてはならない余剰次元はブレーンにではなく、バルクにある。ブレーンはともに四次元で、一方を重力ブレーン、他方をウィークブレーンと呼ぶ。ウィークブレーンに標準モデルの粒子がある。重力はブレーンには束縛されていない。この2つのブレーンの間に挟まれているのが有限の長さの余剰次元である。このモデルの最大の特徴が、ブレーンとバルクにあるエネルギーにより、その間に挟まれた空間が歪曲することである。この歪曲により、余剰次元が見えないこと、重力が弱いことが説明される。
もう一つの理論はRS2と呼ばれ、第22章で説明される。これは非常に小さく巻き上げられた有限の広さの余剰次元でもなく、また「大きな余剰次元」モデルの数ミリ大に巻き上げられた有限の余剰次元でもない。RS1モデルで使われた二枚のブレーンに挟まれた有限の長さをもった余剰次元とも違う。驚くことに見えないはずの余剰次元は無限の大きさを持っている。このシナリオは一枚の重力ブレーンだけを使い、この重力ブレーンに全ての標準モデルの粒子が閉じこめられているとする。このブレーンから離れていく方向に広がる余剰次元は、無限の大きさを持っているというのに、時空の歪曲により、重力が重力ブレーンの近辺に局所集中し、次元が隠されてしまう。重力の法則を含め物理法則が4次元時空のものと見分けが付かなくなってしまう。
まとめると以上のようになる。
余剰次元についてはこの本の中だけでもいくつも出てきていて詳しく説明されている。それらの影響の元にランドール博士のモデルが出てきたことがはっきりと読み取れる。こう並べると、逆にいいとこ取りで組み上げたように見えるかもしれない。しかしそれも間違っている。新しい理論というのは、先人の理論の影響を受け問題点を修正することでうまれていくものだ。それにブレーンを使って余剰次元を歪曲させるという点だけでも十分にこのモデルは独創的である。とてもシンプルに物事を説明できる素晴らしい理論である。
最後に、間違えてはいけないのは、このモデルはいくつもある宇宙に関する理論の一つに過ぎないということだ。この理論が一番もっともらしく見えるのは、研究者本人が書いているからに他ならない。このモデルが来年のLHCを使った実験でうまく実証できるかもしれないし、できないかもしれない。それは実験してみないと分からない。だからこそワクワクして待っている。それからLHCはこれを証明するためだけに何千億円もかけて作られるわけではない。LHCはより本質的な標準モデルの検証のために作られている。