2014年08月01日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(2)

間隔が開いてしまいましたが、今回は『物の本質について』の6行目から9行目までの解釈です。
この内容を言葉遊びをして《ヴィーナスとマルス》の中に見つけてみましょう。これまでの考察から、兜をかぶっているサテュロスはクピド、その右にいる振り返っているサテュロスとホラ貝を吹いているサテュロスが、どちらか決めかねていますがデイモスとフォボス、そして鎧の中に入っているのが実は女の子でハルモニア、このように推定しています。ちなみにデイモス、フォボス、ハルモニアはウェヌス(ヴィーナス)とマルスの間の子どもです。それを前提に話を進めていきます。

ラテン語原文は次を使います。

Te dea te fugiunt venti: te nubila caeli:
Adventumque tuum: tibi suaves daedala tellus
Submittit flores: tibi rident aequora ponti:
Placatumque nitet diffuso lumine caelum.

手順としては、構成される単語の意味を調べて、本来の文章の意味を書いたあと、この絵の表現に近づけるための考察をします。そして結論の日本語と英語での解釈を示します。英文は日本語からではなくラテン語からの訳です。日本語に比べるとあまり自信はありませんが、明確に解釈が記述できるように思います。


Te dea te fugiunt venti:

まず単語の基本的な情報を並べてみます。te は代名詞tu「あなた」の単数、男性/女性の対格/奪格。deaは女性名詞dea「女神」の単数主格/呼格/奪格。fugiuntは動詞fugio「飛ぶ、逃げる」の三人称複数現在。ventiは男性名詞ventus「風」の複数主格/呼格、もしくは動詞venio「来る」の過去完了分詞の単数中性/男性の属格、複数男性の主格か呼格。本来の意味は、動詞が複数なので、主語は後ろの複数名詞ventiとなり、残りのte dea te は起点を示す奪格と考えて、「女神よ!あなたから風が逃げる」となります。

しかしこの絵では、風が逃げている描写はないようなので、違う解釈を試みます。te dea は、teを場所を表す奪格、deaを呼格と考えます。つまりteをマルスとみなすと「あなた(マルス)のところにいる女神よ!」となります。

主動詞はfugioしかないのでこれで確定です。そして複数主格となり得るのはventiだけなので、主語も確定です。ここでventiに風以外の意味を考えてみます。ventiは動詞venio「来る」の過去完了分詞の複数男性主格と考えることもできます。つまり、「来た者たち」という意味です。イタリア語でvenioの訳はvenire「来る」です。venireを詳しく調べると「生まれる」という意味もあります。これを使うとventiは「生まれた者たち」となり、奪格とみなしたteと合わせれば、あなたのところにいる生まれた者たち、つまりマルスの子どもたちを表す言葉になります。絵の中のダイモス、フォボス、ハルモニアが確かにこれにあたります。クピドはマルスの子どもではないので、ventiには含まれません。

次は動詞の意味を考えます。動詞fugioのイタリア語での意味はfuggire「逃げる、過ぎる、走る」です。振り返っている真ん中のサテュロスは、足を前後に広げ、しっぽを躍動させていて、走って逃げている姿に見えます。フォボスには英語でpanic flightという意味があるので、この子の描写から、こちらの方がフォボスだと考えられます。

fuggire

fugioの他の意味として、evitareがあります。これには「避ける、逃れる、遠ざける」などの意味があります。ホラ貝を持っているサテュロスは、後ろの二人が持っている槍を避けているので、この意味に当てはまります。真ん中の子どもがフォボスならば、こちらはデイモスということになります。ヒントは、彼の体が一見槍に貫かれているというぎょっとするような恐怖の描写です。

evitare

fugioには他にsvanire「衰える、姿を消す」もあります。鎧の中に入っているハルモニアは、ウェヌスから姿を消していると言えます。そう思ってみると、マルスも左手で協力しているようにも見えます。

svanire

まとめると次のようになります。

あなた(マルス)のそばの女神よ!あなたのところにいる生まれた者たちは、走ったり、避けたり、身を隠したりしている。

Goddess near you ( mars )! those who were born near you ( mars ) do "fugio" ( run,  avoid, disappear ).



te nubila caeli:

nubilaは中性名詞nubilum「雲」の複数主格/呼格/対格。caeliは中性名詞caelum「空、天」の単数属格か処格。動詞は前のfugioが省略されていると考えます。本来の意味は「空の雲があなたから逃げている。」です。

やはり、この絵には雲らしい雲が描かれていないので、別の意味を考えます。caelumには同じ語形変化の別の意味の単語caelum「のみ、たがね」があります。たがねと言えば、マルスが左手で支えている棒がたがねのような形をしています。両側がハンマーで叩く部分に見えるので、完全なたがねではないようですが、たがねのようなものとは言えるでしょう。これを手がかりにします。caeliは処格と見なすこともできるので、たがねのところにある「nubilum(雲)」という描写を見つければうまくいきます。nubilumの他の意味を調べていくと、イタリア語のvelo「ベール、薄い膜、覆い隠すもの」が見つかります。つまり、マルスの下半身を隠し、金属の棒に押さえつけられている白い布をnubilumと考えればいいわけです。しかし、問題があります。主語であるnubilumが複数でなくてはいけません。ここで絵をよく見ると、この金属の棒は絵の中で、ハルモニアの着ている鎧の下の服にも触れています。ハルモニアはまだ小さな子どもですが女性です。この布は彼女の胸を隠しています。つまりマルスの布と同じ役割を果たしています。

nubilacaeli

そしてnubilumを複数対格と解釈して、感嘆の意味を表しているとします。残ったteですが、これもマルスと考えなくては成り立たないでしょう。どちらのnubilumも、たがねとマルス両方に触れています。随伴を示す奪格として、「あなた(マルス)のともに」となるでしょう。

あなた(マルス)とともに、たがねのところにある複数の覆い隠すものよ!

the veils near the chisel with you ( mars ) !



Adventumque tuum:

adventumは男性名詞adventus「到来」の単数対格。tuumは形容詞tuumの中性単数の主格/呼格/対格もしくは男性単数対格。tuumは前にある名詞と一致していると考えると男性単数対格となります。対格だけなので、これは感嘆を表していると解釈して、「あなた(ウェヌス)の到来よ!」とします。

これも絵にするのは難しい表現です。adventumは動詞advenio「来る」の過去完了分詞と考えることができます。中性単数の主格/呼格/対格か男性単数対格で、上記のtuumと一致します。さらに調べてみると詩の表現として、男性もしくは中性の複数属格の場合も存在します。これはtuumも同じです。

advinioの意味にはイタリア語でvenireがあります。venireは先ほど出てきたように「生まれる」と解釈できるので、adventum tuumは「あなたの生まれたもの」となります。tuumは直前のteと同様にマルスを意味していると考えます。したがって「あなたの生まれたもの」はダイモス、フォボス、ハルモニアの誰かを指していることになります。

これでもいいのですが、この語句が複数としても解釈できるのでその可能性も調べてみます。adventum tuumが複数ならば属格となり、前の語句中にあるnubilaを修飾していると考えられます。子どもたちそれぞれに描かれているnubilaが見つかれば、この解釈が成り立つことになります。

ハルモニアに関しては、既に前の語句で分かっているように、鎧の下に着ている薄い服がnubilumとなります。次に振り返っているサテュロスに雲らしいものを探してみると、角が白くてとても柔らかく描かれています。この角が単体で空に描かれていれば、雲と間違いそうなくらいです。これを彼のnubilumとみなします。

nubilum1

あとはホラ貝を持ったサテュロスです。nubilumの意味にはobnubilamentoがあります。イタリア語の動詞obnubilareの名詞化です。この動詞obnubilareの意味には、「曇らせる」、「精神を朦朧とさせる」という意味があります。二番目の意味はこの絵にとってとても重要なものです。いままでずっとこのホラ貝はマルスをびっくりさせて起こしてしまうものだとばかり思っていました。しかし、この単語によって全く逆のことがこの絵に描かれていたことが分かります。このホラ貝でサテュロスはマルスの意識を朦朧とさせているのです。分かってしまうと、この方が納得がいきます。結局このサテュロスのnubilumとはこのホラ貝による行為となります。

obnubilamento

まとめるとこうなります。

あなたの生まれた者たちの複数のnubila(雲の角、覆い隠す服、意識を朦朧とさせるホラ貝)よ!

some "nubila" ( cloud shaped horns,  a veil, a shell to obnubilate) of the people who were born of you ( mars ) !



tibi suaves daedala tellus submittit flores:

tibiは代名詞tuの単数与格、suavesは形容詞suavis「快い、甘い」の複数主格/呼格/対格。daedalaは形容詞daedalus「熟練した、器用な」の女性単数の主格/呼格/奪格か、中性複数の主格/呼格/対格。tellusは女性名詞tellus「大地」の単数主格/呼格。submittitは動詞submitto「繁らせる、下げる」の三人称単数現在。floresは動詞floreo「繁茂する」の現在分詞二人称単数もしくは男性名詞flos「花」の複数主格/呼格/対格。

性数格の一致から、suavesとfloresが結びついて、男性複数の主格/呼格/対格のどれかを表します。同じように、daedalaとtellusが一つになって、女性単数主格/呼格となります。主動詞が三人称単数なので主語はdaedala tellusの方だと分かります。したがって、本来の意味は、「あなたのために器用な大地が快い花々を繁らせる。」となります。

この言葉から想像できるのはボッティチェリの別の作品《春》の足下に描かれている花々の描写に近いでしょう。しかし、ボッティチェリの描いた他の神話画と違ってこの絵には花が描かれてはいません。floresに花以外の意味を探さなくてはならないのでしょうか?しかしよく探してみるとこの絵の中にも花が咲いていました。それは本物の花ではありません。ウェヌスの体の下にある赤いクッションに金糸の刺繍で作られている規則的な模様の中にいくつも花が描かれています。この花を使って考えてみましょう。

flores

suavisの意味としてイタリア語でsoaveがあります。意味は「快い、甘美な、柔らかな」です。このクッションは、女神の腕の沈み方から確かに柔らかく描かれています。この部分がsuaves floresを表していると考えていいでしょう。では、daedala tellusはこの絵でどれになるでしょうか。字義通りならば「器用な大地」となります。よく見ると地面から何かが出てきて、このクッションを押さえているように見えます。

daedalatellus

確かにこれは器用な行為です。ただこれだと金色をまとった描写を説明できません。そこでdaedalusの意味を調べてみると、artistico「芸術的な」という意味があります。正直自信はありませんが、これでいいでしょう。もっと解像度の高い画像があれば、また当時のフィレンツェの俗語を含めたdaedalusの意味が分かれば、もっと確実なこの奇妙な形の意味を考えられるかもしれません。現時点では、「芸術的な大地」としておきます。

あとは動詞submittoの意味です。この語はいろんな意味のある単語ですが、この場合はelevare「あげる、持ち上げる」がいいでしょう。大地から出ている棒状のものが下から花々をクッションごと支えているように見えます。残ったtibiは持ち上げる行為の対象と考えます。したがってこの場合はマルスではなくウェヌスを指しています。二人称の相手として、マルスとウェヌス、それぞれに語りかけながらこの絵は描かれていることになります。この二人称の揺れは、すべての解釈が終わってから点検し直す必要があるでしょう。

芸術的な大地があなた(ウェヌス)のために柔らかな花々を持ち上げている。

the artistic earth lifts the soft flowers to you (venus).



tibi rident aequora ponti:

tibiは代名詞tu「あなた」の単数与格。ridentは動詞rideo「笑う、輝く」の三人称複数現在。aequoraは中性名詞aequor「表面」の複数主格/呼格/対格。pontiは男性名詞pontus「海、波」の単数属格/処格、複数主格/呼格。この文の動詞は三人称複数のridentなので、主語は複数となり、aequoraかpontiとなるが、pontiは単数属格とも解釈できるので、aequora pontiは海の表面、つまり海原が、主語と考えられます。与格のtibiは笑いかける相手を示しています。まとめると「海原があなたに輝いている。」となります。

どう見てもこの絵には海が描かれているようにみえません。しかしよく見るとこの絵の中で海を連想するものが輝いています。それはクピドが被っているヘルメットです。

pontus1

このヘルメットは海のような濃い青色をして、その表面が輝いています。つまりpontusを「海」ではなく「海色の物」と解釈するわけです。輝いているのはおそらく太陽のせいですが、この方向にはちょうどウェヌスが座っています。そうなると、tibiはウェヌスを指していると考えた方がいいでしょう。

tibirident

しかしこの輝いている表面はもう一つなければいけません。なぜなら動詞の形から主語は複数でなくてはならないからです。もう一つ青いものが輝いていないかよくこの絵を見てみると、これもすごく目立つ場所にありました。それは真ん中のサテュロスの両目です。

pontus2

いままで気づかなかったのですが、この絵の中で彼だけが青い目をしています。そしてこの目だけがウェヌスを見つめています。彼の青い目はちゃんとその表面に白いハイライトが描かれています。ここのtibiもマルスではなく、ウェヌスを指しています。まとめると、次のようになります。

海色の表面(クピドのヘルメットと真ん中のサテュロスの目)があなた(ウェヌス)に向けて輝いている。

the surfaces of ocean color ( cupid's helmet and the eyes of the satyr in the middle ) shine to you ( venus ).



Placatumque nitet diffuso lumine caelum.

placatumは動詞placo「和らげる、鎮める」の完了分詞の中性単数の主格/呼格/対格か男性単数の対格、もしくは詩において男性/中性の複数属格。nitetは動詞niteo「輝く」の三人称単数現在。diffusoは動詞diffundo「まき散らす、放つ」の完了分詞の単数男性/中性の奪格/与格、もしくは形容詞diffusus「広い」の単数男性/中性の奪格/与格。lumineは中性名詞luminen「光」の単数奪格。caelumは中性名詞caelum「空、天」の単数主格/呼格/対格か複数属格。

この文の動詞は三人称単数現在のnitet、主語は単数のcaelumとなります。分詞placatumは形容詞として主語を修飾しています。したがって、この三つの単語の意味は「鎮められた空は輝く。」となります。diffuso lumineは単数男性奪格でまとまって、輝き方について「光を放ちながら」と補足説明しています。まとめると、本来の意味は「鎮められた空は光を放ちながら輝いている。」となります。

もちろんこの描写はこの絵の中にありません。「空、天」を表すcaelumですが、この意味ではこの絵の中には見つからなさそうなので、他の意味を探してみます。caelumは先ほど出てきたように「たがね」と訳してみます。本来の解釈でcaelumを形容詞として修飾している分詞placatumですが、これはこのままの解釈「鎮められたたがね」では無理のようです。分詞placatumを名詞的に解釈してみると、「鎮められた者」となります。そう考えて、このたがねの周りを眺めてみると、マルスとハルモニアの状態が気になります。眠るというのはこれ以上にない鎮まった状態です。やんちゃな子どもが鎧の中に閉じ込められている状態も鎮められていると言えるでしょう。

placati

分詞placatumは、caelumとの結びつきを無くし、単独で単数主格か呼格か対格となっているか、詩にみられる語形で複数属格なのかもしれません。そこで注目するのは、このたがねのようなものとこの二人の描写です。マルスは左手の指でこの棒を押さえていますが、ハルモニアも絵の中でこの棒に手で触れています。物理的には距離があってハルモニアは直接触れてはいませんが、絵の平面の上では触れたような描写になっています。手で触れることは所有を表す最も分かりやすい表現です。つまり鎮められた状態の二人が棒に触れている描写は、placatumの複数属格という文法構造を表したものと言えます。

placatum

この棒はにぶく輝いているので、動詞nitetはそのまま「輝く」と解釈します。ここまでをまとめると、「鎮められた二人のたがねは輝いている。」となります。残りはdiffuso lumineです。luminenの意味は「光」ですが、他の意味に「日光、明るい色」の意味もあります。絵のたがねのようなものの下には、マルスの腰にかかっている白い布の端が平らに広がって、日光を受け明るく輝いています。lumineはこの輝きを表していると考えるとうまくいきそうです。diffuso lumineは奪格なので、場所を表しているとします。

diffusolumine

まとめると、次のようになります。

鎮められた者たち(マルス、ハルモニア)のたがねが、広げられた明るいところで輝いている。

the chisel of the persons ( mars, harmonia ) who  were calmed shines at expanded bright object.


今回はここまでです。実のところ、ここをうまく解釈するアイデアが浮かばなくて、1年間先に進めませんでした。





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2014年07月13日

点字タイプソフト修正(20140713)

度々ですみません。読点(、)が打てなくなっていました。外字の前置符号の処理を書き換えたときにこの処理が抜け落ちていました。それと先日モード切替をCtrl+Alt+Bに変更しましたが、これはPC-Talkerで起動中のアプリケーション数を読み上げるショートカットでした。切り替えの動作はちゃんとするのですが、いちいちアプリケーション数を読み上げるのもうるさいので、また変更します。新しいショートカットはCtrl+Alt+変換キーです。修飾キーを使ったときの動作も見直しました。

今回の修正(1.0.0.3):
・読点が打てなくなっていたので、修正(5、6の点、その後、スペース)。
・モード切替のショートカットをCtrl+Alt+変換キーに変更。
・修飾キー(Shift、Ctrl、Alt、Win)が押されているときは、点字入力とは見なさない。

修正されたソフトは次の記事内のリンクからダウンロードしてください。
点字タイプソフト作ってみました。



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2014年07月12日

点字タイプソフト修正(20140712)

昨日修正したのに、今日もです。昨日の修正で、ちゃんと英字の大文字が打てるようになったのですが、キャプスロックをオンにした後、大文字の前置符号である6の点を使うと、小文字が表示されてしまいます。分かっていれば、これはこれでいいのですが、そのときの音声ガイドが「大文字」のままになっています。これだと音声ガイドと入力される文字との間に齟齬が出て、混乱させてしまいます。これは放置すべきではないので、はやめに修正します。ついでに他も修正します。

修正箇所
・Shift+CapsLockでキャプスロックをオンにしたとき、本来は英字の大文字化の前置符号である6の点を、その間だけ小文字化の前置符号とみなすことにした。それに伴いその間の音声ガイドも「小文字」となるようにした。
・該当しない点字パターンを入力したとき、PC-TalkerもしくはNVDAで「エラー」と発音するようにした。
・入力する手の切り替えメニューにチェックが付くようにした。

修正されたソフトは次の記事内のリンクからダウンロードしてください。
点字タイプソフト作ってみました。



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2014年07月11日

点字タイプソフト修正(20140711)

不具合が見つかったので、点字タイプソフトを修正します。

まず、モード切替に使っていた、Ctrl+Alt+Spaceは、Windowsで使っているのが分かったので、Ctrl+Alt+Bに変更します。BはBrailleのBです。これもVisualStudioなどで使っているショートカットですが、そのような場合はタスクを一時的に切り替えて回避してください。

それから、数字入力と外国語引用符の処理がおかしくなってしまったので、修正しました。3,4,5,6の点で数字モードに切り替え、3,6の点でかなに戻します。2,3,6の点で英字モード、かなに戻るには、3,5,6の点です。一文字だけ英字を打つときは5,6の点です。後続の一文字だけを英字にします。

大文字の入力に対応しました。英字入力が可能な時に、6の点だけを打つと、後続の一文字だけを大文字にします。連続して英大文字を使うときは、Shift+CapsLockで大文字入力に切り替えれば、通常の入力で大文字が入力されます。元に戻すときも、Shift+CapsLockです。

現在対応していないカタカナ入力や記号入力は日本語変換で入力してください。カタカナはF7キーで一括変換です。

次の記事内のリンクからダウンロードしてください。
点字タイプソフト作ってみました。



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2014年07月10日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(1)

今から書くことは、去年Facebookに書いたものの転載です。思い立って書いてみたものの、そのときは続きを書けませんでした。 今回はうまくいくと思います。この解釈は以前示した、兜をした子供はクピド、鎧の中にいる子はハルモニア、残りの二人のサテュロスは、デイモス、フォボスであるということを前提にしています。

次の引用は『物の本質について』のラテン語冒頭です。

Aeneadum genitrix hominum divumque voluptas
Alma Venus: caeli subter labentia signa
Quae mare navigerum: quae terras frugiferenteis
Concelebras: per te quoniam genus omne animantum
Concipitur. visitque exortum lumina solis.

それでは、ラテン語の『物の本質について』を言葉遊びで意味を変えて、《ヴィーナスとマルス》の絵の描写の説明をしてみましょう。様々な要素が描きこまれている絵に対して、それに合うように単語の意味の都合よく選んでいけば、こじつけでどこかにぴったりなものを見つけ出すことができるかもしれません。まあそうかもしれません。しかし、これから示すように数十行にわたって絵に合わせられるという事実は、ただの偶然やこじつけだけでは説明できないのではないかという話です。その中には言葉遊びでできあがる表現にしか、その奇妙な描写の理由を見つけられないようなものも見つかります。

Botticelli と依頼者は当時のフィレンツェの言葉で絵の意味を考えていたことでしょう。偉大なるダンテのおかげで現代イタリア語は古いトスカナの言葉が基礎になっています。したがって、ラテン語の意味を現代イタリア語に訳せば、この絵の描かれた当時の意味にかなり近似させることができます。当時の言葉の厳密な研究をすれば、もう少し正確な答えになるかもしれませんが、それは現代イタリア語を使った解釈が分かってからやれば十分でしょう。なお今回はイタリア語は単語の意味調べだけで、それを日本語に訳して文の意味を確定します。補足的に英語による解釈も添えておきます。

まず、最初の行です。

Aeneadum genitrix hominum divumque voluptas Alma Venus:

本来の意味は次のようになります。

アイネイアスの子孫(ローマ人)の母であり、人と神々の悦びである、命を育む女神ウェヌスよ!

Aeneadum は男性名詞Aeneadesの複数属格です。Aeneadesの複数形での意味はイタリア語でdiscendenti di Eneaです。Eneaというのがイタリア語でのアイネイアスのことで、つまりこの語はアイネイアスの子孫たちという意味になります。アイネイアスは、人間アンキセスと愛の女神ウェヌスとの間の子で、ローマ建国の英雄です。ローマ人はその子孫ということになりますから、Aedeadesという言葉はローマ人全体を表す呼び名として使われます。しかし、この絵にはローマ人もアイネイアスも描かれていません。この意味ではこの絵を作ることはできません。そこで Aedeadesの別の解釈を言葉遊びで考えなくてはいけません。しかしもしかするとこの変換がこの絵の中で一番難しい言葉遊びかもしれません。

ここでイタリア語でのこの語の意味を考えます。discendenti di Eneaです。このdi Eneaはラテン語ではAeneiusです。この言葉と近い綴りの言葉にaeneusがあります。「i」が一つ足りないだけの言葉です。この語の意味は di bronzo(ブロンズでできた)です。Aeneiusをわざとaeneusと間違えて、Aeneadesの意味をdiscendenti di bronzoと解釈し、「ブロンズでできた子孫たち」と変換します。なお、aeneusはブロンズだけでなく銅そのものや銅を含んだその他の合金を表すこともあります。

この絵の中には金属製の防具が描かれています。確実にブロンズ製かどうかははっきりしませんが、ブロンズは金属の比率でいろんな色になるので、どれもaeneusであると考えます。金属製の兜をかぶっているのはクピドで、画面右下で鎧の中に入っているのはハルモニアです。彼らは防具を身に着けているので、aeneusという形容に合っています。そして彼ら二人はともにウェヌスの子どもなので、彼女の直接の子孫であることに違いありません。したがって、discendenti di bronzoの意味で解釈したAedeadesの複数形は「ブロンズの子どもたち(ブロンズを身に着けた子どもたち)」という意味に変換できます。

ところでAeneiusをaeneusと綴りを間違えて描いたのだと考えながら、ハルモニアを見てみると一つ面白いことに気付きます。それはマルスの左手が支えている金属の棒です。その存在はもちろん以前から気付いていますが、aeneiusからaeneusへ変換を踏まえてみると、この棒がいままでと全く違って見えてきます。これは綴りから脱落した「I」そのものを表しているのではないでしょうか。この棒が不自然に直立して描かれている理由は、それが「I」を表していることを明確にするためではないでしょうか。背後にあるハルモニアの防具に重なるように描かれているのも意図的なものに思えます。この解釈を採用すると、aeneusであるハルモニアと棒を重ねることで、本来のAeneiusを表していることになります。では一方のクピドはどうかというと、そこには垂直な「I」はありませんが、ちゃんと「I」に見えるものがあります。それはクピドがしっかりと抱きかかえている槍です。水平になっていますが、これも確かに「I」の形をしています。同じようにaeneusで頭を包んだ彼と「I」を重ねることで、Aeneiusを表していることになります。

letter_i

「ブロンズの子どもたち」に変換されたAeneadumの複数属格がgenitrixを修飾することになりますが、ここにいるのは彼らの母親ウェヌスなので、意味的にも問題ありません。genitrixの格は主格か呼格となりますが、近くに動詞が見つからないので呼格とし、「ブロンズの子供たちの母親よ!」となります。

次はhominumです。意味は通常「人」という意味になりますが、この絵にはサテュロスと神ばかりで人は描かれていないようなので、別の意味を探す必要があります。探していくと、イタリア語でsoldati(軍人)やfanti(歩兵)の意味があることが分かります。確かにこの絵には兜をかぶったり、槍を抱えたり、勇ましくホラ貝を吹いたり、鎧の中に潜り込んでいる、かわいい子どもの兵士たちが描かれています。

次の単語はdivumqueです。後ろにくっついてるqueは接続詞で、前の語句と並列されていることを示しています。divumは通常は男性名詞 divusの主格か呼格か対格の単数ですが、詩的な表現ではその複数属格と扱われることがあります。本来の訳でもそのように複数属格と解釈されています。 volputasは女性名詞volputasの単数主格か呼格ですが、ここでは呼格と解釈します。hominum divumque volputasをまとめると「兵隊さんたちと神々の悦びよ!」となります。

問題はこの語句がこの絵で何を表しているかです。兵隊さんたちの悦びとは、おそらく無邪気な子どもたちの様子を表しています。クピドたちも本来は神々ですが、サテュロスの姿をしているため、この絵ではそうは呼べません。したがって子どもたちの様子は「兵隊さんの悦び」となります。実際に悦んでいる表情に見えるのは真ん中の男の子と、右下のハルモニアです。ちゃんと複数になっています。「神々の悦び」の方はというと、子どもたちは神として描かれていないので、必然的にウェヌスとマルスのことになります。ウェヌスの表情は笑顔に見えなくもないですが、マルスは眠っていて表情が分かりません。したがって二人に悦びがあるとすれば、それは二人の性的関係の暗示だと考えた方がいいでしょう。

残りは「Alma Venus」です。女性名詞Venusは単数主格か呼格です。それを修飾するalmaは形容詞almusの活用形ですが、確かに修飾する名詞と一致して女性単数の主格か呼格のなっています。この絵の中で彼女は自らの子どもたちに囲まれているので、形容詞almusの意味はイタリア語でche nutreと考えていいでしょう。つまり二つの単語からなる語句の意味は「子どもたちを育てるウェヌスよ!」となります。

この文章をまとめると、
        ブロンズの子どもたちの母親よ!兵隊さんたちと神々の悦びよ!子どもたちを育てるウェヌスよ!
となります。

英語だと
        The mother of children in bronze! Delight of the soldiers and Gods! Nursing Venus!

この絵を表す詩の意味としてはとてもよい出だしとなります。

次の文です。

caeli subter labentia signa quae mare navigerum: quae terras frugiferenteis concelebras:

天の滑り行く星々の下、船の行く海を、実り豊かな大地をあなたは祝福したもう。

この文の意味をこの絵に合わせていきます。まず次の語句、「caeli subter labentia signa」を考えます。caeliは本来の解釈通り男性名詞caelumの単数属格とします。この語はイタリア語ではcieloになります。本来この詩では「空、天」の意味で使われますが、「神」という意味でもあるので、それを使います。labentiaは動詞laborの現在分詞で、signaは中性名詞signumです。前置詞subterの支配下にあるので、labentia signaは複数中性対格です。labentia signaの意味は、本来「滑るように進む星々」となりますが、この絵に合うような意味を探すと、laborはingannarsi「間違う、誤る」と意味、signumはsegno(記号)が見つかります。つまり「間違った象徴」です。caeliをこれらの語句を修飾すると考えると、「caeli subter labentia signa」の意味は「神の間違った象徴の下にいる」となります。この神をクピドだと考えると、目隠しの布の代わりの兜、矢の代わりの槍が、間違った象徴となります。

残りは「quae mare navigerum: quae terras frugiferenteis concelebras:」です。この文は、動詞を共有した関係節と考えます。つまり、「quae mare navigerum concelebras」と「quae terras frugiferenteis concelebras」となります。concelebrasは動詞concelebroの二人称単数現在です。二人称なので主語はあなた、つまりウェヌスです。mareは本来「海」と訳しますが、ここでは名詞mas「男性」の単数奪格と考えます。navigerumは形容詞navigerの単数中性対格とし、名詞とみなします。つまり、mare navigerumは「男性のところにある航行可能な物を」とします。この言葉と絵との対応はちょっと苦しいです。マルスの下にあるバラ色の敷布は左足の先で引っ張られ、船の縁のように曲げられています。つまりこのバラ色の敷布全体を航行可能な物、つまり船とみなすことができます。これは今回の解釈の中で一番苦しい変換だと思います。次は動詞concelebroの意味です。この単語にはいろいろな意味がありますが、この場合はfrequentare「通う、しばしば会いに行く」が合っているでしょう。したがって「quae mare navigerum concelebras」の意味は「あなたは男のところにある航行可能な物(バラ色の敷布)に通っている。」となります。

次は「quae terras frugiferenteis concelebras」です。terrasは女性名詞terraの複数対格で意味は「大地」です。frugiferenteisは形容詞 frugiferensの複数対格です。意味はfruttifero「実りの多い、生産力のある、多産な」です。まずウェヌスの左の足首が置かれているぎっしりと草の茂った地面は、確かに「多産な大地」の意味に解釈できます。しかしこれでは複数形を表せません。そこで少し意味をひねります。この語をイタリア語でsuolo(地表)と訳します。さらにこの語suoloのトスカーナ方言にある「層状のもの」の意味を採用します。そうするとウェヌスの体の下にあるクッションがこの意味に解釈できることに気付きます。このクッションには金色の三つの層状の模様が描かれています。そして表面には花柄の金色の刺繍が施されています。たくさんの花があるということはつまり将来多くの実をつける多産なものです。次は、動詞concelebroの意味ですが、先ほどの「通う」では意味が通じないので別な訳popolare(住みつく)を使います。つまり「quae terras frugiferenteis concelebras」は「あなたは多産な層状のもの(クッション)に居ついている。」となります。

これらをまとめると、次のようになります。

神の間違った象徴の下で、あなた(ウェヌス)は男(マルス)のところにある航行可能な物(バラ色の敷布)にしばしば通い、多産な層状のもの(クッション)に居ついています。

この文章はそれほど直接的ではありませんが、性的な意味合いになっています。
英語だとおそらくこうなるでしょう。

under wrong symbols of God, you go often to the navigable near man, you populate on the fertile stratified thing and ground.

次の文です。

per te quoniam genus omne animantum concipitur.

あなたによって全ての種類の生命が妊娠させられます。

この絵に合わせてほんの少し意味を変えます。quoniamは接続詞か副詞で、ここでは英語のbecauseに相当する接続詞と考えます。この文の動詞は concipiturで、受動態の三人称単数現在です。本来の主語はgenus omneになりますが、この絵では代名詞が省略されていると考えます。したがって今回の解釈ではgenus omneは単数対格となります。animantumは形容詞もしくは名詞のanimans複数属格で、本来の解釈と同じでgenus omneを修飾しています。これらを絵の描写に合わせます。animansは本来、名詞だと「生命」、形容詞だと「生きている」になりますが、他に形容詞で「賑やかな」という意味があります。これはこの絵に描かれている子どもたちの様子にぴったりな言葉です。これを名詞化して「賑やかな者たち」とします。今度はこの語が修飾しているgenus omneを考えます。本来の詩の意味では「全ての種類」としていましたが、genusをnascita(誕生)と考えると、この絵に合います。つまり、 genus omne animantumを「賑やかにしている者たちの全ての誕生を」と解釈できます。

この絵に描かれている子どもたちは、クピドを除いて、デイモスとフォボスとハルモニアは三人ともマルスとウェヌスの間の子どもです。したがって今回の語句「genus omne」で示される子どもたちは「デイモス、フォボス、ハルモニア」でなくてはいけません。実際、クピドの顔が隠れていて表情から活発さがうかがえないことや、槍にしがみついているだけの仕草からも、彼がanimansに含まれない可能性を示しています。

なおクピドは一般にはウェヌスの子どもとされていますが、神話によってはウェヌスより先に存在した原始の神であり、ウェヌスの誕生とともにその従者となった存在です。クピドのお腹をよく見ると、体の向きのせいかもしれませんが、あるべきところにへそが描かれていません。似たような体の向きであるデイモスとフォボスのお腹を見てみると、しっかりとへそが描かれているので、クピドにへそがないのは体の向きなどではなく、女性から生まれていない属性を示していると推測できます。

したがって全体は次のようになります。

彼(マルス)は賑やかにしている者たちの全て(デイモス、フォボス、ハルモニア)の誕生をあなた(ウェヌス)によって得ています。

となります。英語だとこんな感じです。

he is received every birth of lively children by you.

次の文はこれです。

visitque exortum lumina solis.

そして彼らは生れ、太陽の輝きを目にします。

この文の意味を変えます。visitqueのqueは文をつなぐ接続詞です。visitは動詞viso(じっと見る)の現在時制か完了時制の三人称単数です。exortumは動詞exoriorの動詞状名詞supineか、完了分詞です。この動詞にはnascere「生まれる」の他にも様々な意味がありますが、ここではlaversi「起き上がる」とします。これを名詞化した単数主格と考えて、「起き上がった者」とします。この絵のウェヌスを表していると考えます。luminaは中性名詞lumen(光)の主格、呼格、対格の複数です。主格は既に決めたので、ここでは対格として考えます。

lumenにもいろいろ意味があるのですが、ウェヌスの視線の先にあるものと合致するものを探すと、occho(目)が見つかります。つまりウェヌスの方を見ているサテュロスの目ということになります。複数形なので、ちゃんと両目になります。ここまでで、「起き上がった者は両目を見詰めています。」。残るsolisですが、これは本来、男性名詞sol(太陽)の単数属格と解釈するのですが、今回は中性名詞solum(地面)の与格もしくは奪格の複数と考えます。奪格を処格として考えれば、ウェヌスの足は地面に触れているので「地面のところにいる」という意味で使えそうです。しかし、数が合いません。そこでもう一つ別の単語の活用形を考えてみます。それは中性名詞solium(椅子)の与格もしくは奪格の複数です。そしてウェヌスの体の下にあるクッションのことを指していると考え、これも奪格であるとします。意味は「玉座のところにいる」となります。しかしこれも数が合いません。ここで重要なのがウェヌスが両方に接していることです。地面とクッションの両方合わせて、複数とすれば、うまく数を合わせることができます。solumとsoliumは別の単語ですが、複数奪格のときは同じ形のsolisと表記できるので、このような言葉遊びが可能になります。いままでウェヌスに関する記述は二人称になっていたのですが、ここでは三人称の文で表記されています。

gaze

この文をまとめると、次の意味となります。

そして地面と玉座の上で起き上がった者は(サテュロスの)両目を見詰めています。

英語で示すと、次のようになるでしょうか。

and the person sitting up on the throne and the ground gazes at eyes.

 

まずは、5行訳してみました。所々苦しいところもありますが、言葉遊びによってこの絵の描写にすることができました。たった5行を説明するのにこれほどの言葉を尽くす必要がありますが、これだけ複雑だからこそ、今までこれが答えとして認識できなかったのだと思います。



posted by takayan at 02:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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