今回は2年前に解釈した部分を含む10行です。
hic dea silvarum venatu fessa solebat
virgineos artus liquido perfundere rore.
quo postquam subiit, nympharum tradidit uni
armigerae iaculum pharetramque arcusque retentos,
altera depositae subiecit bracchia pallae,
vincla duae pedibus demunt; nam doctior illis
Ismenis Crocale sparsos per colla capillos
colligit in nodum, quamvis erat ipsa solutis.
excipiunt laticem Nepheleque Hyaleque Rhanisque
et Psecas et Phiale funduntque capacibus urnis.
自分でもよくこの部分だと分かったなと思います。ただ今見るとつたない解釈なので、いろいろ修正する必要があるのが分かります。前回はケンタウロスはケイロンだと仮定して解釈していましたが、今回ここまで訳してきた結果どうやらケンタウロスはカドモスです。そんな新しい前提も踏まえた内容にしないといけません。
さて、細かく解釈していきます。
hic dea silvarum venatu fessa solebat virgineos artus liquido perfundere rore.
hicは代名詞の可能性もありますが、この文では「ここで」の意味のある副詞hicとした方がいいでしょう。deaは女性名詞の単数の主格/呼格/奪格です。silvarumは女性名詞silva(森、木)の複数属格です。この属格は前のdeaを修飾しています。venatuは動詞venor(狩る)の動詞状名詞(supine)の単数中性奪格もしくは、男性名詞venatus(狩り)の単数奪格です。fessaは形容詞fessus(疲れた、弱った)の単数女性の主格/呼格/奪格か複数中世の主格/呼格/対格です。fessaは女性単数主格で主語deaを修飾しています。venatuは男性名詞の単数奪格でこのfessaの理由を示しています。
solebatは動詞soleo(習慣とする)の三人称単数未完了過去です。virgineosは形容詞virgineos(乙女の)の男性複数対格です。artusは男性名詞artus(手や足)の単数の主格/呼格/属格か複数主格/呼格/対格もしくは形容詞artus(ぴったりした)の男性単数主格です。artusは複数形では、手と足すべて、さらに体全体も意味します。この場合はvirgineosに修飾される男性名詞の複数対格で、「乙女の体を」となります。liquidoは形容詞liquidus(きれいな、澄んだ)の単数の男性/中性の与格/奪格です。perfundereは動詞perfundo(濡らす)の不定法現在か命令法受動態二人称単数現在か直説法受動態二人称単数未来です。roreは男性名詞rosの単数与格か奪格です。これは形容詞liquidoに修飾されていて、格は奪格になり、perfundereの理由を示しています。この動詞の目的語は前にあるvirgineos artusとなります。virgineos artus liquido perfundere roreが不定法句になっていて、動詞solebatの目的語になっています。まとめると、「ここで狩りに疲れた森の女神は乙女の体を透明な滴によって濡らすことを常としていた。」となります。
これを絵に合わせて解釈していきます。silvaは普通selvam(森)の意味ですが、複数形で使われた場合piante(植物)を意味することがあります。これを使って、dea silvarumは「植物の女神」とできます。体に枝を巻き付けた彼女に相応しい形容です。fessaは女性単数奪格で、これを名詞化して使います。fessaの意味にはprostrato(打倒された、打ちひしがれた)があります。ケンタウロスの表情に使えそうです。しかし、venatusの意味が「狩り」のままだと少し意味が通じません。venatusのイタリア語での意味cacciaには「狩り」の他に「狩りの詩、狩猟歌」というのがあります。これはまさにこのアクタイオンの物語そのものです。翻訳だと分かりにくいですが、確かに『変身物語』は叙事詩です。ケンタウロスはこの絵ではカドモスですから、孫が獲物として食い殺される詩を聞けば打ちひしがれてしまうでしょう。ここまでで「狩猟歌で打ちひしがれている者とともにいる植物の女神が」となります。しかしここで少し問題が見つかります。打ちひしがれているケンタウロスを表す言葉fessaが女性形だという点です。この問題を解決する解釈を一つ思いつきます。それはケンタウロスの左腕です。ケンタウロスはまるで恥じらいのウェヌスのように胸を左腕で隠しています。中指の表情も女性的に見えます。つまりケンタウロスが女性のような仕草をしていることで女性形の単語を表すと考えます。
virgineos artusは本来の意味のまま「乙女の体を」でいいでしょう。問題はros(露、滴)と呼べる描写が見つからないことです。しかし、rosには同じ綴りの中性名詞があり、この単語だけでローズマリー(ros marinum)を表します。ローズマリーが地面ではなく、処女神の体を這っていると考えるわけです。あとはこれに合わせて、liquidusとperfundoを調べます。liquidusの意味の中にchiaro(明るい、輝く)があります。植物は金の指輪を通って伸びていているので、確かに光っています。perfundoの意味にはcolmare(満たす、埋める)があります。ここで動詞soebatが未完了過去であることを考慮します。つまり他のBotticelliの神話画を解釈したときの未完了過去の記述と描写の関係と同じように、この描写にもどこか不完全なところがあるはずです。それはどこかと言えば、女神の足に植物が巻き付いていないことです。artusという言葉を使いながら、両足には何も巻き付いていません。
まとめると、「ここで狩猟歌で打ちひしがれている女性(乙女の仕草をしたケンタウロス)とともにいる植物の女神(ディアナ)は乙女の体を光り輝くローズマリーでいつも不完全に埋めていた。」となります。
quo postquam subiit, nympharum tradidit uni armigerae iaculum pharetramque arcusque retentos, altera depositae subiecit bracchia pallae, vincla duae pedibus demunt;
まず本来の意味です。postquamは英語のafterに相当する接続詞です。subiitは動詞subeo(行く、動く)の三人称単数完了過去です。quoはいろいろな可能性がありますが、文脈やsubiitから、場所を表す関係副詞と考えた方がいいでしょう。この節の意味は「彼女はこの場所に来た後に」となります。nympharumは女性名詞nymphaもしくはnymphe(ニンフ、花嫁、若い女性)の複数属格です。tradiditは動詞trado(委ねる、渡す)の三人称単数完了過去です。uniは形容詞unus(一つの)の単数与格です。armigeraeは女性名詞armigera(武器持ち係)の単数属格/与格か複数主格/呼格もしくは形容詞armiger(武器を運んでいる)の女性単数属格/与格か女性複数主格/呼格です。nympharum uni armigeraeで「ニンフの中の一人の武器持ち係に」なって、女神が武器を渡す対象を示しています。
iaculumは中性名詞jaculum(槍、投げ矢)の単数の主格/呼格/対格もしくは、形容詞jaculusの中性単数の主格/呼格/対格か男性単数対格です。これは渡している武器なので、名詞の単数対格となります。pharetramは女性名詞pharetram(矢筒)の単数対格です。arcusは男性名詞arcus(弓)の単数の主格/呼格/属格か複数の主格/呼格/対格です。retentosは動詞retendo(弛んだ)の完了分詞男性複数対格、もしくは動詞retineo(背負う)の完了分詞男性複数対格です。どちらでもあり得ますが、狩りが終わって渡そうとしている弓を修飾しているので意味的に前者の方とします。arcus retendoで「弛んだ弓を」となります。ここまでが一つの意味のまとまりになっていて、「ニンフの中の一人の武器持ち係に槍と矢筒と弛んだ弓を渡した。」となります。
ちょっとここで本来のiaculumの訳について書いておきます。女神がディアナであることから、これは投槍や投矢ではなく、(弓で飛ばす)普通の矢を意味していると考えるべきでしょう。その後に続くpharetram(quiver)とarcus(bow)からしても、iaculumを矢と考えたほうが自然です。しかし、英訳でも、「javelin」や「spear」と槍寄りの訳がされています。岩波文庫の中村善也氏の和訳でも「槍」となっています。iaculumという言葉が元々iacio(投げる)に由来するので、手に持って投げる意味が主になるのは仕方がないかもしれません。また単数形で書かれているのも槍であることを後押しします。狩りの後なので一本しか残っていないと考えられますが、矢ならば普通は複数本あるはずです。しかし、どちらにせよ、この絵は意図的に槍として描いてあります。そして和訳がiaculumを槍と断定してくれていたおかげで、この絵の謎を解く糸口が得られました。
alteraは形容詞alter(別の)の女性単数の主格/呼格/奪格か中性複数の主格/呼格/対格です。これが主語になります。depositaeの動詞depono(下に置く)の完了分詞の女性単数の属格/与格か女性複数の主格/呼格、もしくは形容詞depositus(絶望した、下に置かれた)の同様の活用形です。subiecitは動詞subicio(下に投げる、下に置く)の三人称単数完了過去です。bracchiaは中性名詞bracchium(腕、枝)の複数の主格/呼格/対格です。ここでは複数対格です。pallaeは女性名詞palla(外套、衣)の単数の属格/与格か複数の主格/呼格です。ここでは単数与格です。これは完了分詞depositaeによって修飾されて、合わせて「脱いだ衣に」となります。したがって、「(女神の)脱いだ衣にもう一人が両腕をその下に置いた。」となります。意味としては、もう一人のニンフが女神の脱いだ衣を両腕で下から抱えるように受け取ったということになります。vinclaは中性名詞vinclum(鎖、紐、履物)の複数の主格/呼格/対格です。duaeは数詞duo(二つの)の女性複数の主格/呼格です。これが主語となり、vinclaは対格となります。pedibusは男性名詞pes(足)の複数の与格/奪格です。demuntは動詞demo(取り去る)の三人称複数現在です。したがって、「二人が両足から履物を脱がす。」となります。
さて、この部分を絵に合わせた解釈をします。この文章は途中で分けます。まず、quo postquam subiit, nympharum tradidit uni です。今回は何を表すか明かさずに解釈していきます。quoは関係代名詞ですが、これは先行詞が省略されているとし、quo subiit 全体で一つの場所を表す単数奪格と解釈します。動詞subeoにはspuntareという意味があります。そしてこの自動詞spuntareには「生える、姿を現す」の意味があります。三人称の主語はとりあえず「それ」としておきます。つまり、quo subiitで「それが姿を現したところ」を意味していると解釈できます。次は、nympharum tradidit uni です。ここにはニンフは描かれないので、uni nympharum を「若い娘たちの一人」と訳します。ガルガィエが見つかったので、若い娘たちをガルガフィエとディアナとしてもいいのですが、折角ケンタウロスが恥じらう女性の仕草をしているので、若い娘にケンタウロスを含めてみましょう。動詞taradidoの意味ですが、調べると、rimettereがあります。 これには「戻す、(芽などを)生やす」という意味があります。まとめると、「それが姿を現したところに若い娘たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)の一人(ディアナ)は芽を生やした。」となります。もちろん、この文章が表しているのは、女神の右手首の下の若芽のところです。つまり、関係節の主語はアクタイオンとなります。改めてまとめると、「彼(アクタイオン)が姿を現したところに若い娘たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)の一人(ディアナ)は芽を生やした。」となります。
次のarmigerae iaculum pharetramque arcusque retentos は感嘆文とします。armigerae を女性名詞の複数呼格とします。ケンタウロスはここでも女性扱いです。「武器を持っている女性たちよ!」となります。確かに二人とも武器を持っています。そしてその後に持っている武器の羅列ですが、これらは感嘆を表す対格と解釈します。iaculumとpharetramはそのまま「槍」と「矢筒」とします。槍は女神の左手に、矢筒はケンタウロスの背中にあります。問題はarcus retentos(弛んだ弓)です。たしかに弛んだ弓は描かれていますが、ケンタウロスの右手に一つしかありません。arcus 単独ならば単数の可能性もありますが、retentosに修飾されていると考えると、複数とする以外ありません。これを解決するのが、動詞retineoです。本来の意味のところで指摘したように、retentosという活用形になる動詞は二つあって、retendo(弛んだ)とretineo(背負う)です。つまり、arcus retentosは「背負われた弓」とも訳せます。しかし、ケンタウロスも女神も弓を背負ってはいません。ケンタウロスが背負っているのは矢筒で、女神が背負っているのは波打った黒い盾のようなものです。そう波打っています。この黒い盾のようなものをよく見ると、側面は金色で縁どりされていて、ケンタウロスの弓のような曲線を描いています。arcusの意味のarcoには「弓」だけでなく、「弓状に曲がったもの」の意味があるので、arcus retentosは「背負われた弓のように曲がったもの」と訳せます。この言葉はまさに女神が背負っている盾のような物体を表せます。まとめると、「武器を持っている女性たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)よ!槍と矢筒と弛んだ弓と背負われた弓状に曲がったものよ!」となります。
次は altera depositae subiecit bracchia pallae です。bracchiumには「枝」という意味があるので、これを使います。この絵にはbracchium(枝)が巻き付いているpalla(衣)が描かれているので、女神の服装に関する描写ではないかと予想が立ちます。deponoはイタリア語でdeporre(下に置く)なので、depositae pallaeを「下に着ている衣」とします。白い方の服を表していると考えるわけです。これを女性単数属格とし、bracchiaを修飾しているとします。そうするとaltera subiecit bracchiaは「下に着ている衣の複数の枝」となります。これは絵の中では白い服の上を這っている植物です。alteraを女性単数奪格とします。subicioはイタリア語では「gettare(投げる)/mettere(置く) sotto(下に)」の意味です。deponoと似た意味になりますが、mettere sotto(下に置く)の意味を使います。したがって、altera subiecit bracchiaは「複数の枝を別のものの下に置いた。」と解釈できます。この文の主語は女神という言葉が省略されていると考えます。つまり、白い服の上を這っている枝の何本かが緑のマントの下になるように、そのマントを体に巻いていたことを表していると解釈します。以前は、緑の布が地面についていることを表していると解釈しましたが、今回は大幅に修正しました。まとめると、「(女神は)下に着ている衣(白い服)の複数の枝を別の衣(緑のマント)の下に置いた。」となります。
そして、この文の最後、vincla duae pedibus demunt です。この節はラテン語だけでなくイタリア語の意味を利用しないと解釈できませんでした。vinclumのイタリア語の意味の一つにcordone(ひも)があります。この単語は地質学では「帯状の土地」、建築では「縁石」という意味があります。確かにケンタウロスの足の後ろには帯状の地層が見えています。vinclaが示しているのはこれでしょう。さらにケンタウロスはわざわざ足を上げてこの地層を隠すようにしています。動詞demoの意味にはtogliereがあり、普通は「取り去る」という意味ですが、古語では「邪魔する」という意味もあります。これはケンタウロスの足元の仕草にちょうどいい表現です。pedibusは奪格とし手段を表しているとします。足を使って帯状の土地が見えるのを邪魔しているわけです。最後になりましたが主語はduaeです。duaeがpedibusと同じ性数格であれば、「二本の足で」という解釈もできたのですが、それはできないようです。ケンタウロスは他の足も地層を隠しています。そしてケンタウロスだけでなく、女神の足も地層を見えなくしています。duaeはケンタウロスと女神を指していると考えられます。まとめると、「二人は足を使って帯状の土地を邪魔している。」となります。
この文の全体をまとめると、次のようになります。
「彼(アクタイオン)が姿を現したところに若い娘たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)の一人(ディアナ)は芽を生やした。武器を持っている女性たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)よ!槍と矢筒と弛んだ弓と背負われた弓状に曲がったものよ!(女神は)下に着ている衣(白い服)の複数の枝を別の衣(緑のマント)の下に置いた。二人は足を使って帯状の土地を邪魔している。」
以前はここまで、6行目の途中で引用を切りました。その後の文にはディアナに従う侍女の名前がいくつも並んでいて(Ismenis Crocale、Nephele、Hyale、Rhanis、Psecas、Phiale)、これは絵には表現できないだろうと考えました。しかし、ここまで徹底して絵にしているのですから、これも何らかの形で表現していると考えるのが素直な解釈でしょう。
nam doctior illis Ismenis Crocale sparsos per colla capillos colligit in nodum, quamvis erat ipsa solutis.
本来の意味から考えます。namは接続詞、英語だと「for、on the other handなど」の意味です。doctiorは形容詞doctus(経験豊かな)の比較級の単数主格か呼格です。illisは指示代名詞ille(英語のthat)の複数与格か奪格で、これは比較対象を表す奪格となります。Ismenisは女性名詞の単数主格です。これはイスメノス(Ismenos)川に由来する言葉で、この川が近くを流れる古代都市テーベに住む女性の意味があります。もちろんテーベというのはカドモスの拓いた町で、この話の舞台になっている山もこの地域にあります。またイスメノスは河神の名前でもあるので、その娘という解釈も成り立ちます。Crocaleは女性名詞の単数主格で、ディアナの侍女の名前です。
sparsosは動詞spargo(撒き散らす)の完了分詞の男性複数対格です。perは対格支配の前置詞で「~を通って」などの意味があります。collaは中性名詞cullum(首、くびれた部分)の複数の主格/呼格/対格です。capillosは男性名詞capillus(髪)の複数対格です。これは先にあったsparsosに修飾されて「撒き散らした髪を」となります。colligitは動詞colligo(集める)は三人称単数現在です。inは対格か奪格支配の前置詞です。nodumは男性名詞nodus(結び)の単数対格です。これが前置詞に支配されているとすると、対格なのでinは方向を示す前置詞となります。quamvisは英語のalthoughに相当する接続詞です。eratは動詞sum(ある、いる)の三人称単数未完了過去です。ipsaは再帰代名詞ipseの女性単数主格か中性複数の主格/対格です。ここではクロカレのことなので、「彼女自身が」となります。solutisは形容詞solutisの複数与格か奪格です。これは省略されていますが、髪についての形容で、その意味で名詞化されているとします。
ここまでをまとめると、「一方で彼女たちよりも経験豊かなテーベの女性クロカレが首を通る乱れた髪を結んで集める。彼女自身は乱れた髪をしていたが。」となります。
ここを絵に合わせて解釈します。侍女の名前Crocaleはギリシャ語κροκάληに由来します。κροκάληのイタリア語での意味を調べると、ciottolo(砂利、小石、陶製の食器、瀬戸物)、riva del mare(海岸)、spiaggia(海辺、川岸)とあります。この絵の背景には海だか川だか分からない水辺が描かれています。これが何であるのかがやっと分かりました。Ismenisは元々、テーベの近くを流れるIsmenos(イスメノス川)からできた形容詞の女性形です。従って、Ismenis crocaleはイスメノス川の岸となります。これが主語です。この主語には比較級がついてましたが、それもそのまま利用します。ただdoctusが「経験豊か」の意味だと岸には合わないので他の意味を探します。abileという訳語に「立派な」という意味があるので、これを使います。つまり、doctior illis Ismenis crocaleを「他のものより立派な岸が」とできます。この川の岸を見回して、立派そうなものを探してみます。一見、比較級を使うほど特別な岸はなさそうに見えます。しかし、念入りに見ていくと、一か所とても頑丈そうで美しい曲線を描くcrocaleがあるのに気付きます。そう、女神が背負っている弓のように曲がった盾のようなもの(以後、断定されたわけではないが盾と呼称する)です。この盾は岸のように水面に接して描かれています。おそらくこれは陶器製です。そうすることで川に接している部分だけでなく、全体をcrocaleと呼ぶことができるようになります。確かに金縁の立派なcrocaleです。
この盾には女神の乱れた髪が覆いかぶさっているので、sparsos capillosはそのまま「乱れた髪」と訳してよさそうです。cullumは「首」ですが、くびれた部分も表せます。ちょうど盾の側面の曲線の細くなっている部分から乱れた髪が外の方へと流れています。つまり、これがsparsos per colla capillosとなります。そしてこの流れていく髪が二つに分かれている部分で束ねられている描写になっています。colligit in nodumで表現される部分です。これは風によって起きた自然のいたずらなのでしょう。しかし盾が風を使って作り出したと考えれば、盾を主語として表すことができます。さらに次の節のerat ipsa solutisは盾の領域にある乱れた髪のことを表していると考えられます。ただeratが未完了形なので、ここでも不完全な描写になっています。これはくびれから外に出る直前、束ねられている描写があるからです。この描写は分かりにくいですが、細い髪の束がほんのちょっと外に出ていて、それを逆にたどっていくと分かるようになっています。
まとめると、「一方で他のものより立派な岸(女神が背負っている盾のようなもの)がそのくびれの部分を通る髪を結び付けている。しかしそれ自身(盾)は乱れた髪と不完全に一緒にある。」となります。
excipiunt laticem Nepheleque Hyaleque Rhanisque et Psecas et Phiale funduntque capacibus urnis.
本来の意味から始めます。excipiuntは動詞excipio(取り去る)の三人称複数現在です。laticemは男性名詞latex(水、液体)の単数対格です。これは前の動詞の目的語です。そのあとにディアナの侍女たちの羅列があります。それらが接尾辞のqueや接続詞etで連結されています。Nephele、Hyale、Rhanis、Psecas、Phialeです。これらの人名はそれぞれ単数主語で、それが集まって複数主語になっています。続いて、fundunt、動詞fundo(注ぐ)の三人称複数現在があります。capacibusは形容詞capax(とても大きな)の複数与格か奪格です。urnisは女性名詞urna(壺、甕)の複数与格か奪格です。これは前にあるcapacibusによって修飾されています。ここには二つの動詞がありますが、どちらの動詞も5人の侍女が主語になります。それだけでなく対格や奪格も共有しています。まとめると、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが甕(かめ)に水を汲み、そして注ぐ。」となります。
ここを絵に合わせて解釈します。この文もとても面白いです。この単語latexの意味が秀逸です。本来はliquido(水、液体)の意味なのですが、latexにもまた同じ綴りの別の単語があって、その意味がnascondiglioです。この意味は「隠れ場、隠し場、隠れ家」です。動詞excipioにはいろんな意味があります。これには一般的なtrarre fuori(引き出す)やeccettuare(除く)の他に、sostenere、sorreggere、appoggiare(支える)などの意味があります。このことから、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが隠れ家を支えている。」と解釈できます。
次に後半のfunduntque capacibus urnisですが、urnaの意味はイタリア語でもurna(壺、甕、墓地)ですが、他にbrocca(水差し、取っ手付きの壺)という意味があります。さらに、このbroccaに同じ綴りの別の単語があって、その意味は「若枝、芽、鋲」です。若枝と言えば女神の全身にあるこの植物です。そしてfundo(注ぐ)にも同じ綴りの別の言葉があって、fondare(土台を据える、建設する)の意味があります。この語に他にも様々な意味がありますが、その中にもappoggiare(支える)があります。そして形容詞capaxに対応するイタリア語capaceには、「収容力のある、能力のある、豊かな、広範囲にわたる」などの意味があります。どれでも使えそうですが、ここでは「能力のある」を選びます。そして奪格は同伴の役割とします。つまり、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが隠れ家を能力のある若枝とともに支えている。」と解釈できます。
まとめると、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが隠れ家を支えている。それを能力のある若枝とともに支えている。」となります。これだけだと何の事だかさっぱりわからないでしょう。でも、いろいろ考えてみましたが、この解釈で描かれているとしか思えません。
それでは、今度は侍女たち(nephele、hyale、rhanis、psecas、phiale)がどこに描かれているかを示していきます。もちろんこれは侍女たちの名前に関係しています。それぞれの名前はもともとギリシャ語で、綴りはそれぞれνεφέλη、ὑάλη(=ὕαλος)、ῥανίς、ψεκάς(=ψακάς)、φιάληです。νεφέληのイタリア語での意味を調べると、nuvola、nube、macchia、sublimata、rete per uccelliです。ὑάληにはὕαλοςを参照と書いてあって、ὕαλοςの意味はpietra trasparente、alabastro、cristallo、vetroです。ῥανίςは、goccia、sperma、macchia、chiazzaです。ψεκάςはψακάςの異体で、ψακάςの意味はgocciadi pioggia、goccia、pioggerella、pioggia、particellaです。そしてφιάληはurna、coppa、tazzaです。意味が重なっているものもあって選ぶのが難しいですが、絵に描かれているものから逆に考えて、nepheleはnuvola(雲)、hyaleはcristallo(水晶)、rhanisはmacchia(汚れ)、psecasはgoccia(滴)、phialeはurna(壺)と考えるとうまくいきそうです。
まず、雲です。この絵にはっきりと雲は描かれてはいません。霞のようなものは山の上に掛かっていますが、空に雲と呼べる存在は見当たりません。しかし、この絵には確かに雲が隠されています。さて、それはどこでしょうか。女神の腕の何か所かには布を巻き上げたような飾りがついています。これが雲のような形をしています。特に左手です。右手のものは形を雲に似せないように描いているようです。二の腕のあたりは空が背景なので、本物の雲に重ねた描き方もできるのに、それをしないのは左手が重要だからでしょう。
次に水晶です。これは形が独特なので、場所がすぐわかります。画面右端にある山のふもとにある遠景の建物です。ここに先端がとがったシルエットが見えます。これは建物の側面の影がそれだけ浮き上がっているように見えますが、これは確かに水晶の結晶の形をしています。その先端が盾の縁に触れるように描かれています。これで侍女たちが支えているものが何であるのか分かってきました。おそらくこの盾を支えています。
その次は汚れです。これはこの絵を見た人だれもが気付いている表面の汚れや下絵のようなものです。もちろんこれは意図的に描かれています。この汚れは盾の周りに描かれています。特に盾の右上のあたりは、盾を覆うような曲線がこれを支えています。
今度は滴です。これは解像度がもう少し高ければもっとよくわかるかもしれません。滴があるのは、盾の下です。盾の表面に貼りついている髪は盾の領域を下の方へと乱れながら伸びています。そして盾の縁が終わったところで髪も終わるのですが、そこからもさらに下の方向へ茶色のぼんやりとした筋が伸びています。これが滴です。髪を伝って茶色の液体が垂れているのでしょう。これを逆にたどっていくと、変色した二枚の葉に行きつきます。ここから染み出した茶色の液体がその葉先に触れている髪を伝って、下へと垂れているのでしょう。この滴は何本かのぼんやりとした柱になって、まるで盾を支えるように描かれています。
最後は壺です。盾の周りで壺のような形を探すと、水晶の左側にある小さな物体が見つかります。右上が高くなっているので、水差しのようにも見えます。そこのところは拡大してもはっきりしないので、単に壺としておきます。
これで、侍女たちを表す単語が確かに盾の周りを支えるように囲んでいるのが示せました。つまり、これが隠れ家です。隠れ家ならば何かが隠れていなくてはなりません。よく見てみると、手足の長い怪しげな人の姿が見えてきます。そして右にも誰かいるように見えます。他にもいるかもしれません。ここにいるのが侍女たちならば、5人そろっているのかもしれません。隠れ家で彼らは何をしているのでしょう。本物を拡大して見ることができれば、もっといろんなことがはっきりすると思います。
今回はここまでです。2年前と同じ部分を解釈してみましたが、以前の違う内容が出てきました。解釈のしようによっては様々な絵の内容が導き出せるのがこの解釈の最も疑わしいところですが、それをこういう形で自分自身で実証したわけです。言葉遊びでこの作品が描かれているという強い思い込みが、言葉の意味を捻じ曲げどうしても意味を描写に近づけてしまいます。今回新しく解釈した部分も素晴らしい内容でした。謎を解こうとここは何度も繰り返し読んでいたのに、これが盾の描写になるなんて思いもよらない結末でした。